キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

此処に居る

「お疲れ様です。キタガワさん今日出れます?」……起きるなり何件か溜まっていた不在着信にかけると、おそらく僕も含む従業員全員にかけているであろう、発言の宛先だけ変更したような店長の言葉が鼓膜を揺らした。時刻はまだ午前9時過ぎ。アラームもバイブレーションもオフにする僕にとって普段の起床時間にしては酷く早かったが、こうも五月蝿いと仕方ない。この日の島根県全域には想定しうる最悪の避難勧告『レベル5』が発令されていて、レム睡眠に入った瞬間に町内サイレンとスマートフォンの緊急アラートで何度も起こされる地獄を体験していたため、何故だか睡眠時間の割に頭は冴えていたから。

僕は「おはざす。行きますー」と昨夜しこたま飲んだキンミヤ焼酎でガラガラになった声で伝えると、地べたを這いずる幼虫の如き挙動でベッドから抜け出した。まだ寝惚けた頭で物は試しと、ピシャリ閉めた窓を開けてブラインド状態にすると「今だ!」とばかりに暴風雨が瞬時に部屋に侵入した。そこから溢れた水滴は床に敷き詰められた漫画や小説のいくつかを濡らし、僕はげんなりした気持ちになった。ただでさえ嫌いな労働と豪雨が合致した時、ここまで気分が落ち込むのかとある意味では新たな発見を得て、僕は1階へと歩を進めた。

1階では母がテレビをザッピングしながら、緩やかな時間を過ごしていた。僕は挨拶もそこそこにリモコンを奪い取ると、起床後のルーティーンとしてぼんやりと設楽統MCのバラエティーニュース番組「ノンストップ!」を観る。ただ画面の左部分は洪水警報の情報で常に埋め尽くされていて、自ら選んだ選択とは言え、この状況下で出勤しなければならないのだと考えた瞬間、先程思考の定まらない頭で開口一番「おはざす。行きますー」と安易に答えてしまった自分に対して後悔の念が生まれた。出来れば昼まで寝ていたい。そして「雨やべー」と呟きながらオンラインゲームに興じたい。ただそうした、おそらく発言如何によっては実現していたであろう未来はもう来ない。既に出勤の報は伝えてあるため、僕には出勤一択しか残されていないのだ。

食パン1枚をモソモソを食べ終わり外を見ると、あれほど降っていた雨は奇跡的にほぼ止んでいて、精々しとしと降る程度だ。これ幸いと自転車を走らせバイト先に向かう。早めに起床したこともあり、進行不能な程に雨が悪化すれば傘を差してでも行く構えだったが、どうやらその心配はなさそうである。事前に調べた雨雲レーダーの情報にも午後には降水確率40%と表示されていたので、この出勤さえ乗り切れば後は勝ったも同然。ただ調子に乗ってゆっくり進んでしまってはいつ降られるか分からないので、取り敢えず全速力で向かう事とする。

そうして「うおおお」とペダルを勢いよく漕いで到着したバイト先は、事前に想像した以上に閑散としていた。実際僕が出勤した時点でかなりお客様は少ない印象は受けたのだけれど、暫くして再び豪雨が直撃すると、誰もが「今帰らなければまずい」という感情に支配されたのか急いで買い物を済ませて退店する動きが活発化。当然その間も外ではバケツをひっくり返したような大量の雨が降り続いていて、出勤して2時間程経過した頃には空車だらけになった駐車場と豪雨を眺めるだけの虚無時間が到来した。

暇を持て余した最初こそカウンター回りの掃除をしたり、諸々の書類整理をするなどして普段あまり出来ない業務をこなしてはいたがそれも直ぐに飽き、それではいかんと「次何やるか……」「これやろう!」「じゃあ次は……」「あれやるか!」と視点を変えて考え得る限りの雑務サイクルを何周か回したが、やはり最終的には『暇』に帰結してしまった。気付けばお客様はおろか従業員さえほぼ見えない(おそらくは倉庫で作業中)環境になっていた。……例えば目の前に見える売り場の手直し等をするだけでも多少は気が紛れるのだろうが、如何せんレジが無人になるのはまずいので僕は絶対的にここにいなければいけない。なので何をするでもなく僕はひとり、レジで時を過ごした。

僕は労働が嫌いだ。しかしながら取り敢えず手と足を動かしていれば何とかなるという事実も長らくの労働生活で実感している部分でもあって、逆にバイト中にも関わらず何もしていない方が疲弊してしまうことも重々理解している。故にこの日の労働は結果的にはとても時間が長く感じる環境下であったけれども、ひとつプラスになったことがあるとすれば、普段は喧騒に呑まれて気にも留めなかったお客様の姿を、遠目から観察することが出来たことだろう。久方ぶりの休日とおぼしき中年男性。雨さえも楽しさのスパイスとする子供。生活に必要なアイテムを吟味する主婦……。皆それぞれの人生があるのだなと改めて感じ、センチメンタルな気持ちになった。

ならばこうして雨の音を聞きながら稀有な労働をしている今の自分の時間というのも、どこか必要なことなのかもしれない。……時計を見ると、まだ退勤時間まで3時間以上ある。僕は突き動かされるように傍らの執筆用紙に文章を書き込み始め、次なる希望の足掛かりとした。今出来ることはこれしかない。ならばとことんやり抜いてやろうではないか。ふと外を見ると、雨は少し止んでいた。

 

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