壁紙をキッチン洗剤で拭いたら、色がめちゃくちゃ剥げました。ごめんよ壁紙。
エレファントカシマシと最初に出会ったのは、確か中学生の頃だった。
中学生の頃と言えば、僕がロックンロールの沼に肩まで浸かっていた時期で、ASIAN KUNG-FU GENERATIONやELLEGARDENなど、邦楽のロックを片っ端から聴いていた。
その頃僕が愛用していたのは、iPod shuffleという機器だった。
本体自体が非常に小さく、クリップで挟めるような形状になっていて、手軽に音楽が聴ける安価な機器という触れ込みで販売されていたものだ。
確かにコンパクトで使い勝手がいい。しかし、致命的な弱点が2つあった。
一つ目は、音質が悪いこと。
今考えると、イヤホンの問題だったのかもしれない。だが、確かに音が悪かった。少なくとも、当時のキタガワ少年はそう感じていた。
次に、CDジャケットが表示されないこと。
CDジャケットを眺めるのが好きだった僕にとって、これはかなり引っかかる部分だった。
CDのジャケットは、なんというか、CDの全てを表していると思っていた。歌詞。曲名。アルバムタイトル。関わってくれた人……。
全てが詰まった一つの作品。CDジャケットは、とても美しく、綺麗で、触ることさえ憚られるような感覚になるのだ。
僕は思った。
「いつかは爆音で、ジャケットを見ながら曲が聴きたい」と。
だが、当時はiPod shuffleの時点で最先端と呼ばれる時代だったし、もし出たとしても、中学生の僕が買える代物ではないことは明白だった。
しかし。
文明の力は恐ろしいもので、その一年後、Apple社はとんでもない商品を世に送り出したのであった。
一年後のある日、いとこが家に遊びに来た。いとこは僕と10歳は離れていて、兄弟がいない僕にとっては、まさに兄のような存在だった。
いとこは、いつになく笑顔だった。理由を聞くと彼は言った。「これ買ったんだよ」と。
その手には、iPod touchがあった。
iPod touch。Apple社が大々的なPRと共に販売したそれは、まさに今までの常識をぶち壊す代物だった。
『コンパクト、軽量化』を謳っていた時代において、固定観念をバッサリと切り捨て、大画面に。
音質にもこだわり、ベースやドラム等の重低音がはっきり聴こえるように調整。ノイズキャンセリング機能が付いたのも、この時からではなかったか。
もちろんCDジャケットを見ながら、指でスライドして好きな曲を聴けるようになった。
価格は勿論、それらに見合ったものとなったが。
僕はすぐさま飛びついた。
「かして!」と言うや否や、適当にジャケットを選んでは聴いて、選んでは聴いて。
僕と似たようなジャンルが好きないとこだったが、アイドルやヒップホップ、インストゥルメンタル等、今まで僕が知らなかった世界も、たくさん知っている人だった。
楽しくてしょうがなかった。耳が聴こえなくなるんじゃないかと思うほどの爆音で聴いた。聴きまくった。
その時に出会ったのが、エレファントカシマシだ。
初めて聴いた曲は、アルバム『ココロに花を』に収録された、かの名曲、『悲しみの果て』だった。
悲しみの果てに 何があるかなんて
俺は知らない 見たこともない
ただあなたの顔が 浮かんで消えるだろう
[悲しみの果て]
ハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃だった。再生して20秒で確信した。
「あ、こいつらヤバい」と。
たった2分半の曲。突飛な歌詞ではない。演奏が上手いわけでもない。
ボーカル宮本浩次の声なのか、キャッチーなメロディーなのか。未だにはっきり分からないが、とにかく。
『悲しみの果て』は、僕がエレファントカシマシの曲を聴くきっかけとして、これ以上ないほどの必殺の一撃だったのは確かだ。
それからの僕は、酷いものだった。
CDショップでエレカシのCDアルバムを買い漁り、毎日聴いた。動画もたくさん見た。結成初期の、客が手拍子した瞬間にブチ切れて帰る浩次も。生中継のカメラを手で被い、マイクを放り投げて舌打ちする浩次も。
友人には「バンドを組もう」と言った。曲も作った。自作の曲を後で聴くと、「あれ?どこかで聴いたことがあるっぼいな」と思った。『悲しみの果て』だった。サビが完全にそれだった。
高校から大学に入る頃には、浩次の影響を色濃く受けるようになった。まず、ファッションは白と黒を貴重とした服ばかり選ぶように。浩次の、髪の毛をグシャグシャにするクセは真似するうちに、本当のクセになってしまった。
初めて人に憧れた。
初めて音楽で心打たれた。
初めてアルバムを全部入れた。
僕にとっての大事なバンド、エレファントカシマシ。紅白出場おめでとう。
12月29日には、またあなたたちに会いに行きます。
そのときは『悲しみの果て』、聴かせてください。