キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

2024年、総括

今年も気付けば終わりに近づいた。振り返ると何も起こっていないようで、はっきりと何かが変わった2024年。過去は過去のものとして風化させるべきとも思うけれども、ここで一旦の総括。……言うなれば2024年全体を備忘録として残しておきたいと思い筆を執っている。完全なる自分語りであるため内容は稚拙だが、どうかご容赦を。「ちょっと見ちゃおっかな〜」程度の軽いノリで読んで頂ければ幸いである。

 

・仕事

会社員なので当然のことだが、特に今年は仕事を遮二無二頑張っていた印象が強い。……この職場に入って、気付けば3年目。相変わらず僕が入って以降正社員の採用は一度として無いが、それでも「今のままの仕事ばかりしてちゃダメだよ」という雰囲気は痛い程伝わってきていた。

なもんで今年は、これまで携わってこなかった様々な責任者業務に片足を突っ込む形となった。バイトのシフト調整、月末業務、備品発注、請求書、業者連絡……。夜勤ではついに責任者になり、社長や会社の創立者たる会長にまで電話することも多々。明確に社員っぽい業務内容に変化した感がある。怒られることもあったが、そうした経験も含めて成長なのかなと。

ただキャリアを重ねる一方で、今年は過去一番に残業をした年だったことも否定できない。業務がボーンと一気に増えたことで、アップアップな状態になったのだ。僕の出勤は基本的に『9時〜21時を週6やる』の労働時間がデフォルト。そのためそもそもの労働時間が多い関係上、これまで残業はなるべく避けるようにしてきた。しかしながらどうしても仕事が終わらず、帰宅が深夜になることが増え、それと反比例するように文章を書く時間は減少してしまった。人生とはままならないものである。

そんな中でもやはり、関わってくれた人たちの優しさには非常に励まされた。特に今年はアルバイトの大学生が大幅に増えたのだが、音楽の話などで盛り上がるにつけ、「上手くやれてるっぽいなあ」と嬉しくなったり。夏以降は飲みに誘われることも増え、『僕以外全員学生』という謎シチュエーションの中で「キタガワさんがいるからやれてるっすよ〜」と言われてまた嬉しくなったり。つい先日はバイトの子たちが中心となって忘年会を開催してくれたのだが、何と集まった大学生バイトの子は10名を超えた。サークルでもゼミでもなく、本来であれば参加者が少ないはずの『単なるアルバイトの飲み会』で、ここまで学生が集まってくれたことには感謝しかない。

また、このブログでもたびたび登場している小学校からの友人たちには、いろいろとケアしてもらった。僕の仕事終わりの遅い時間にも関わらず、駆け付けてくれる彼らには本当に頭が上がらない。彼らと遊ぶ際にはまずその中の友人の家に集合するのだけれど、彼の家に入った瞬間、毎回子どもが「パパァー♡」と叫びながら玄関まで走ってくるも、横にいる僕の姿を見て「ビエー!」とギャン泣きするのもまた恒例。最近は会えていないけれども、来年こそは懐いてほしいと願うばかりである。

 

・30歳になった!

1年経てば歳を取る。そんなことは百も承知だけれど、日々の生活のルーティンを続けているうち、気付けば今年30歳になってしまった。精神性としては20代の頃とほぼ遜色ない中で、白髪の増加や傷の治りは遅くなっているという、そのアンバランスさにもだえる日々である。

20代と30代の違いとして明白なのはやはり『総合的な印象に差が出る』ことだと思っている。例えばアルバイト面接で考えると、20代と30代のふたりが面接に来れば若い方を取りがちだし、対して後者は「何で正社員じゃなくバイトなの?」「これまで何をやってたの?」とそもそもの質問以外の、プラスアルファの質問を問い掛けられてしまうリスクが自然と高まるものである。

同様に管理職に片足を突っ込んだ今年は、20代と30代の人を比べた時に「えっ!?30代なのにまだ人のこと考えられないの?」と疑問を抱く悪い例も多々見てきた。怒鳴る。発言を制止する。他責。印象操作。陰口。悪口……。時には話を大きく盛って、自分を良いように見せようとする人さえいる。これは30代に限らず40代50代の人にも当て嵌まるけれど、他者視点の把握を怠った人は総じて、横柄になる傾向が強い。そしてその悪手は全て、自分自身に返ってくるものだと思っている。もちろんこれは僕自身への戒めでもあり、反面教師にするべき事柄ではあるのだが、とにかく。30代になったならば30代らしく、少しずつ自分を律する形で動いていければなと。

 

・音楽

僕は音楽が好きだ。しかしながら今年は歴代で最も新たな音楽と出会わない、こと音楽に関しては収穫の少ない年だった。その理由としては、主にTSUTAYAと音楽雑誌が、僕が暮らす島根県から撤退したことが大いに影響している。

まず第一に、TSUTAYAがなくなったことから。このTSUTAYAはたかがレンタルショップと侮るなかれ、僕にとってTSUTAYAは中学生の時分から、生活に欠かせない存在だった。何故なら僕はこのTSUTAYAで、聴いたことのあるアーティストもそうでないバンドも、取り敢えず週に1度は最新アルバムをカゴ一杯にレンタルして帰る生活を十数年続けてきたのだから。この行動がなければ音楽に詳しくなることも、音楽ライターとしてロッキンで書かせてもらうことも無かったに違いない。ただこのTSUTAYAが今年閉店したことで、僕にとっては新たなアーティストのアルバムに接する機会の大部分が失われたのだった。

そして第二に、音楽雑誌の撤退。これは主に僕が毎月購読していた邦楽誌『rockinon JAPAN』と洋楽誌『rockinon』についてだが、これらが純粋に売り上げが見込めない事から、島根県内の多くの書店から一斉に姿を消したのだ。先のTSUTAYAが僕の音楽情報の主とするならば、こちらは重要なサブ。パラパラーっと読みながら、気になったアーティストはメモして帰る……。言うなればTSUTAYAに出回っていないインディー音楽を知る契機になったのが、これらの本だったのである。そのため僕にとっては新たな音楽を知ることも、またアルバム全体を包括して聴き尽くすことも、ほとんどなくなってしまったのだ。ちなみに今年、毎年恒例だった『音楽アルバムランキング』を当ブログで書いていないのもそれらが理由である。……だって今年出た音楽あんまり聴いてないんだもん。これまではともかくとして、今まともに曲すら聴いていない人が「今年のベストアルバム選んじゃうぜ!」というのはおこがましいんじゃないかという。

そのため僕にとっての今年の音楽の収集源は、もっぱらサブスク。しかしながらサブスクではいわゆる『流行歌』と呼ばれるものが上位に来るため、インディーバンドなどにはなかなか目が行き届かなかった印象があり、既存曲の収集が主だった。邦楽ではアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』にハマった影響で結束バンドを、洋楽はPhoenixとCigarettes After Sexを一番聴いた印象で、特にこの3組は聴かなかった日がないんじゃないかと。あとはoasisの再結成が嬉しすぎて、狂ったようにoasisを聴いていたりもしました。僕、スマホの待ち受けとラインのアイコンが10年くらいoasisなレベルで大ファンなんですけども、本当に嬉しかったですねあれは。

 

・ライブ

先述の通り、今年は仕事過多が著しかったために、久々の休日のたびに「生き延びた〜!」と一息ついていた。もちろんその休日は本当に何もせず、昼まで寝て次の6連勤に備える形を取るばかりだったが、ここで考えたのが『ライブの意義』という根幹部であった。……僕が暮らしている島根県では、そもそもライブがない。なのでどこに参加するにも、片道数時間かけて電車に乗る以外ないのだけれど、休みはこの1日しかないので日帰りは確定。しかもそれからは連勤のため「休みを削ってまでライブに行く必要があるのか?」という実益を考えざるを得ない。そのため今年は「ちょっと行ってみたいな〜」と思う程度のライブは極力削り、「どうしても観たい!」と思うライブにのみ足を運ぶ決断を下した。

中でもサマソニはやはり、1年を生きる上での最重要項目として位置していた。uzureaさんでもサマソニ記事ばかり書いているのでお察しの方はおられるかもしれないけれども、もう僕にとってサマソニは本当に生きる希望であり、もっと突っ込んだ話をすれば『年に一度・唯一連休が取れる場所』として確約した日なのだ。ライブになかなか行けない人間にとってのフェスは、本当に貴重である。結果としてそのサマソニ記事はブログで書けなかった(サマソニ後に10連勤&風邪になったのでマジでそれどころじゃなかった)が、素晴らしかった。

 

・父

キタガワ家は長らく、父・母・僕の3人暮らしであった。僕は一人っ子であり、兄弟はいない。かつ父が44歳の頃に産まれた遅い子であり、かつ900グラムで産まれたというガチ未熟児である。なもんで大いに溺愛されて育った感はあるし、僕自身も『そんな自分を産んでくれた両親に親孝行する』ということをある意味では存在意義にしながら生きてきた。

そんな父が、9月に亡くなった。享年73。このことに関しては未だに公開するか迷っている約3万字の記事があるくらいには思うところがある。本当に島根県イチ仲の良い家族である自負はあるし、とにかく一生分泣いたな、という。そして葬式の代表たる喪主についてだが、最も関係の深い人……つまりキタガワ家で言えば母が行うのが通例だそうだが、以前父とふたりで飲んだ時「ワシが死んだらお前喪主してごせやぁ」とふざけて語ってくれたことを思い出し、喪主は僕が行うことにした。……余談だが、最後の喪主代表のスピーチで、僕は母に「カンペ見ながらテンプレ通りやるわ」と言った。ただこれは母へのサプライズ。本番は何も持たず「これからもキタガワ家は何があっても、僕と母と父の3人家族です」と最後に言うことができた。これが僕にとって、おそらく父に捧げる最後の親孝行だと思った。

また今回の訃報に際し、父と交流したことのある友人らには連絡を送った。しかしながら焼香に参列するには関係性が希薄なように思えたため「会場に来たりとかは大丈夫よ。一応報告として!」と返すようにしていたのだが、当日驚いたのは、その連絡を送った友人が全員葬式に参列してくれたことだった。普段数年間同じパーカーを着ている友人や、髪のセットもしたことのないような友人たちがこぞって喪服で、更には香典も携えて訪れてくれたことに、僕は心底感動した次第である。中には仕事を休んでまで来てくれた友人もおり、ヤツは「お前のことで来るのなんて当たり前じゃん。それじゃ後は頑張って〜」と風のように去っていった。本当に良い友人を持ったものだが、これも父の穏やかな性格を受け継いだゆえ、と考えるとジンと来る。

ともあれ、今でも父がいなくなったことにはあまり実感がない。人生において大きな出来事が起こったとて、まあ人間そんなもんである。……てな訳でアンタが愛用してた時計はもらってくぜ〜。じゃあな〜とっつぁ〜ん。

 

・酒と読書

かねてより、僕には不眠症のケがある。僕はこれを『遠足の前の日症候群』と呼んでいるのだが、とどのつまり「明日◯時に起きないといけない」「明日ミスが起こるかもしれない」とグルグル考え続けて眠れなくなってしまうというものだ。そのため僕は20歳くらいの頃から不眠からの逃避行動として、夜に過剰飲酒をするようになった。350mlのビールを最低5本。時には7本以上飲むことで泥酔状態になり、ぶっ倒れるように布団に入る。そのことで睡眠時間だけはギリギリ確保できるという、言わば『肉を断てば骨は断たれない』の馬鹿な考えである。これについては今のところ問題はないが、何となしに「40代くらいでアルコール依存症になるな」と思ってはいた。

では酒を減らつつ夜を過ごすためには、どうすればいいのだろう?……そこで辿り着いた考えは、何かに没入することだった。ドラマ、映画、ゲーム、運動、何でもいい。とにかく最終的に5本ベースで飲んでいた酒を3本くらいに抑えて床につくことができれば万々歳であろうと考えて実行に移した。しかしながらどの行動でも、僕の飲酒量を減らすには至らなかった。なぜなら上記のどれもが『飲みながらでも楽しめてしまう』から。そこで逆の視点として、次は『飲んでいない状態でしか楽しめないもの』を探したのだ。

そこで至った考えが何を隠そう、読書である。本は文字をしっかり読まなければ内容を理解できないので、必然的に酒を減らせる。エンタメとしても面白く、なおかつ知見も得られる。そこから本を読むようになったのだが、これが面白く……。毎月3冊ペースで読むようになってからは、生活にハリが出てきたような気がする。まあ『恋愛キュンキュン♡』『ファンタジーでIf If!』といった作品は苦手なので、性格上人が死にまくるミステリーばかりなのだけれど。新たな楽しさを見出した気がする。ちなみに今のこのブログは、ビールを8本飲みながら書いています。

・最後に

大人にとって、人生はある種のルーティンワークだ。仕事をしつつ、空いた時間に何かをする……。その繰り返しを「これが人生です!」と呼ぶのは格好良い反面、人にとっては「そんなの生きてる意味無くね?」と思ったりもする。僕自身も後者の考えの人間であるのだが、2024年を今記事で回顧した結果、明確に何かしらの出来事は起こっていて、何かしらの発見をしているのだなと思って感慨深くもある。

変わらず僕は、心を震わせる何かを探しながら、今日も漫然と生きている。きっと来年もそうなのだろうが、別段悪いことでもないのかなと思う。関わってくださる皆様、2025年もどうぞ宜しくお願いします。