ライブが終わって数日経つが、今でもフワフワしていて掴みどころがない、というのが正直な気持ちとしてある。言葉を食べながら、サウンドと映像の海を泳ぎ続けたあの時間は……そう。例えるなら、回遊する魚になったかのようだった。あれは音楽ライブだったのだろうか。それとも濃密な舞台芸術だったのだろうか。多分、答えはどちらも正解なのだろう。
suis(Vo)、n-buna(G.Composer)による謎に包まれた音楽ユニット・ヨルシカ。これまでも自分にないものを模倣しようともがく『盗作』、実際の舞台俳優を招いて没入させた『月と猫のダンス』と実験的なライブを行ってきた彼らは今年、ふたたび『前世』と名付けられたツアーを行った。今回のライブレポートを記すにあたって、まず説明しておかねばならない事柄が主にふたつある。
まずひとつは、この『前世』は2023年に行った『ヨルシカ LIVE 2023「前世」』の再演であるということ。具体的にはセットリストや演出は変わるものの、朗読内容はそのまま。以前も同様にネット配信で行われた『月光』を再演したライブが開催された例はあるが、当時はコロナとコロナ後の環境変化が多分にあった。一方で今回はほんの1年前とほぼ同様の公演を行うという、日本における音楽ライブ全体を見ても非常にコンセプチュアルなものとなった。また今回大きな変更点であるとされるセットリストと演出に関しては公式より箝口令が敷かれており、最終公演終了までSNSへの投稿やブログに書き込んだりといったネタバレは一切許可しない厳格な姿勢であったことは特筆しておきたい。
そしてふたつ目は、今回の公演がヨルシカ史上初となる、ファンの行動が制限されないライブであったということ。「制限ってどういうこと?」と疑問を抱く方に説明すると、元々ヨルシカは特異なライブ(指定席・朗読劇ありetc…)の性質上、公演中は基本的に全員が椅子に座ってジッと前を見つめるのみで、立ち上がったり声を上げたりといった行為は暗黙の了解として誰もが行わないようになっていたのである。ただ今回のライブはその制限が初めて撤廃されることが明言されており、立ち上がるのも拍手をするのも声を出すのも、全てファンの感覚に委ねられた点で、非常に運命的なライブだったように思う。
開演時刻になり会場に入ると、そこには溢れんばかりの人、人、人。ようやく自身の席が見つかり腰を下ろして分かったのが、かなり後方。一応僕はファンクラブでチケットを取ったはずなのだが、それでもこの距離ということは多くの人がファンクラブ会員であることの証左であった。ふとステージに目を凝らすと、そこにら巨大な樹のモニュメントが、緑の照明に照らされて鎮座。BGMとして鳥のチュンチュンとしたさえずりが聞こえてきていて、早くも幻想的な気持ちに。驚いたのは、ライブ直前にスピーカーより「本日はヨルシカライブ・前世にお集まりいただきまして……」とボーカル・suisがライブ案内人として降臨したこと。写真撮影禁止、録音録画禁止といった情報を改めて説明したところで、「今回のライブは皆さんの行動に制限はいたしません。どうぞお好きなように立ったり手拍子をしたりして楽しんでくださいね」と語り、早くも多くの拍手に迎えられた会場である。
全員が着席状態のまま、定刻を少し過ぎて舞台が暗転。するとステージ背面を覆うように設置されていた巨大モニターに緑溢れる並木道の映像が投影され、明瞭な声が響き渡る。よく見ると向かって右側にはピンスポに照らされたn-buna(ちなみに顔には黒照明が当たっており素顔は全く見えない)が椅子に座りながら台本を読んでいる。この時点で『前世』と名付けられた今回の物語が朗読を中心に進行すること、またn-bunaが脚本を手掛けていることを我々は知ることになる。
物語は、女性が並木道を歩く場面から始まる。ゆっくりと歩き続けた彼女が辿り着いたのはポツリと置かれたベンチで、そこに文庫本に目を落としながら、悲しそうな目をするひとりの男性の姿を見る。「久しぶりだね」と語る男性に「うん」と女性は返事を返し、ふたりはベンチに横並びになって座り、とりとめもない話をする。
「最近、変な夢を見るんだ」と、男性は言う。聞けば、まるで自分が別の生き物になったような不明瞭な夢を、彼は毎晩見ているそうだ。「昨日の僕は狼だった。夜を駆けてひたすらに走っていた。でもその行動全てに、まるで実際に起きていたかのようなリアルさがある」と続ける。「あの夢はまるで、そう。僕の前世なのかもしれない。前世。前世。前世……」彼はそう呟くと、背後の映像が消滅。続いて『前世』の文字が映し出された次の瞬間、真っ赤な光が会場を包み込んだ。
1曲目に披露されたのは、インディーズ時代のアルバムから表題曲“負け犬にアンコールはいらない”。着席型がヨルシカライブのこれまでのスタンダードだったことは先述の通りだが、耳をつんざくギターリフが鳴り響いた瞬間、ファンがひとり、またひとりと立ち上がって腕を挙げていく……。この時点でかなり涙腺が緩んだものだが、モニターにはこれまでの穏やかな並木道の映像を掻き消すように狼が鳴き、歌詞が大量に並べられ、そして真っ赤なレーザービームが大量に放射されるカオス極まりない光景で感動よりも興奮が勝る感覚に。ステージ上にはsuis、台本をギターに持ち替えたn-bunaの他、お馴染みのサポートメンバーである下鶴光康(G)、キタニタツヤ(B)、Masack(Dr)、平畑徹也(Key)ら4名も勢揃いで楽曲を展開していくのだが、黒照明によってその素顔は全く見えないようになっているのはヨルシカならではか。また清らかな歌声を響かせるsuisは白洋服に赤スカートの出で立ちで、頻りに片方の腕に掌を打ちつけてハンドクラップを要求。それに合わせて手拍子する流れはヨルシカ史上異様とも言えるものだったが、これこそが今回の彼らが新たに挑むライブの形、ということなのだろう。
タイトルの通り、今回のライブは『前世』が大きなテーマに冠されるコンセプチュアルなものに。ゆえに本編におけるn-bunaの朗読パートでは『前世の話』を。対してヨルシカの演奏パートでは、これまでリリースされてきた楽曲の中から『それぞれの前世をイメージさせる楽曲』が代わる代わる続いていき、最終的にライブ全てを指して大きな結論へと導いていく濃密度で構成された。モニターにはほぼ全ての楽曲において歌詞が投映され、MVとはまた違った新規映像で目にも嬉しい作りに。またこのストーリー展開の関係上、セットリストについても新曲旧曲・知名度あるなしに関わらず幅広い選曲が成され、結果これまでのヨルシカ史上最も予想が出来ない形になっていたのも特筆しておきたい。
suisがMVさながらに腕をパタパタさせながら歌唱した“言って。”を経て、物語は次の展開へ。翌日、再び並木道へ向かった彼女が走って向かっていき、ベンチに座って本を読む男性と語り合うシーンからだ。「また夢を見たよ」と男性は語り、昨夜見たという夜鷹の話をする。男性いわく、夜鷹となった彼は山・海・森といった場所を当てもなく飛び続けていたそうで、人間生活とは違う自由度を満喫。そして「太陽が見えて、僕はそこに向かってどこまでも飛んだ。あれが僕の目指すべき場所かのように……」と締め括ると、彼女と繋いだ手を離して「それじゃあまた」と去っていく。彼女はまだ一緒にいたい思いを押し殺しつつ「うん」と返事するのだった。
ライブパートは、amazarashiの新言語秩序よろしく日記の大部分が黒塗りになった“靴の花火”、子供の純粋な人生相談が大人の胸をえぐる“ヒッチコック”とこちらも初期曲が続く構成。そしてこの日最も盛り上がった楽曲は、やはり総再生数トップの“ただ君に晴れ”。楽曲が始まった瞬間「“ただ君に晴れ”だ!」と気付いたファンが次々に立ち、一気にライブモードに。モニターにはひとりの女性(顔には白塗りでモザイクがかけられている)が緑に囲まれた森でダンスを踊ったり、東京のビル街で靴飛ばしで遊ぶ映像が流され、お馴染みとなった手拍子パートの際にはsuisがフラメンコの如き挙動で先導したりと、ロックバンド然とした似た楽しさが広がっていく。ちなみに立ち上がらないファンも一定数いて相対的には半々くらいの印象だったのだけれど、これも内なる感情を押し殺しているようで、楽曲内の言葉を借りれば《思い出を噛み締めている》ようにも感じて好感が持てた次第だ。
ライブが盛り上がりを見せる一方で、物語はある意味では不明瞭な雰囲気を覚える『虫・花』と題されたゾーンへ突入していく。またいつものベンチで「ある時、僕は虫や花だった」と示した男性は、当時の出来事をリアルに回顧しつつ「草むらを這って進んだり、ミツバチが僕の上に乗ったり……。そんな日常がとても楽しくて、まるでダンスを踊っているようだった」と語る。そして「今日も一緒に帰ろうか。リードはできないけど」とにこやかに笑い、帰路に着くのだった。なおこのワンシーンは終盤にかけての大いなる伏線になっていた訳だが、こちらは後述。
何度目かの進行となるここからのライブパートは、大きな変革が行われることとなる。中でも驚いたのは、開幕からトランペットの音が鳴り響いた“ルバート”。この楽曲では管楽器のサポートが加わり、音に新たな厚みをもたらした。先ほどまでのストーリーを踏襲してかモニターには男女がワルツを踊るシーンが流され、サビ部分では《楽しい!》の言葉が画面を埋め尽くすように散りばめられた。また外で雨が降る中でテーブルの上に置かれたカプチーノを多面的に捉える映像が映えた“雨とカプチーノ”では、僕から斜め前に立っていたファンがこの楽曲が鳴らされた瞬間に座って泣き始めたりしていて、改めてヨルシカの楽曲が、多くの人の心の1ページに刻まれていることを知ることが出来た。
今度は朗読パートにてプランクトンを食べる魚の前世を彼が語ったところで、ライブはちょうど折り返し地点に。と、ここでステージ上に大きな変化が。n-bunaの朗読が終わると、何やら朗読中に背後に設置されていたらしい紗幕がスーッと上がっていったのだ。もちろんこの時点では真っ暗なので様子を知ることは出来なかったが、次なる楽曲“嘘月”に突入したところで、パッと明転。そこにあったのは、左右に超巨大な本棚、空中にはペンダントライト……。そしていつの間にかステージには大勢の弦楽器・管楽器のサポートメンバーが椅子に座って配置についている!とりあえずステージにいる人の数をいち、にい、さん……と数えていったが、その数ザッと10人以上。ここからは更に楽器のアンサンブルが重厚になり、サウンドの迫力がライブを彩ったのは言うまでもない。
またここからの楽曲は、まるで過去への思いを滲ませる代物が大半を占めていたのも特徴的。《僕は君を待っている》と過去を取り戻さんともがく“嘘月”に始まり、ワンルームの家具が手を打つ動作に合わせてひとつずつ消滅していき、最終的に何もなくなってしまう“忘れてください”、大切な人との思い出を花火の映像で体現した“花に亡霊”……。それらの楽曲は聴いているうち、改めて『前世を考える彼』と『傍で寄り添う彼女』の信頼関係を考えさせられる作りであり、後のストーリーへの伏線としても上手く作用していた。
対して物語は、徐々に結末へと近づいていく。いつものようにベンチへ向かった彼女だが、その日は雨が降っていて彼はいなかった。傘もささず、木の下で彼を待つことにした彼女は、ひたすらに待つ。彼から聞いた前世の話を思い出しながら。……「今日も来てくれたのかい」。しばらくすると、傘をさした彼が小走りでこちらに近付いてくる。彼女は彼を見上げながら「うん」と笑い、飛び上がりそうになるほど喜ぶ気持ちを隠しながら、一緒に彼の家へと向かうのだった。
ずいぶん久々に訪れた彼の部屋は、全く変わっていなかった。あるのは2人掛けのソファーに読書用テーブル、日めくりカレンダーくらいで、以前訪れた際と変わらず清潔感がある。ちなみに昔からこの部屋に着いたとき、彼は「ホットミルクでも淹れようか」と言うのが口癖。この日も彼はそう口にして、キッチンへと入っていく。彼女はすることもないので、雨の音をバックに室内を見回してみる。すると机に体が当たったことで写真立てが落ちてしまい、そこで1枚の写真が飾られていることに気付く。それは桜の木の前で撮った彼女と彼、ふたりのツーショット写真であり、彼女はその写真を見ながら嬉しくも、何故か少しモヤモヤした気持ちになるのだった。「この写真は、もしかして……」。
これまでの前向きな展開から、謎のミステリアスさを残した物語。その一方でライブは、今年リリースでありながら早くもヨルシカの代表曲となった“晴る”へと続いていく。アニメ『葬送のフリーレン』主題歌としても多くの注目を集めた楽曲ではあるが、ライブ披露は今回が初。n-bunaによるギターリフが鳴り響いた瞬間に大勢が立ち上がった会場で、一気にライブ然とした興奮が高まっていく。ふと周囲を見れば、サビ部分における《花よ咲け》のキー上下に合わせて楽しそうに腕をクルクル回すファンや、フリーレンのキーホルダーを掲げている人もいて、思わずウルッと。またモニターにはフワフワと浮遊する歌詞と共に『春』の景色に視点が突っ込んでいく圧巻の映像が展開され、目にも楽しい。
また物語は、写真に写った桜とふたりとの思い出に移行していく。そもそも桜を見に行ったきっかけは、本来桜が咲く前のまだ寒い月に、ニュース番組で「◯◯では、早くも季節外れの桜が咲いています」とキャスターが語ったためだった。彼と彼女は一足早い思い出として桜……つまりはあのベンチがあった場所へ向かったのだが、実際の桜は満開ではなく、チマチマと少しだけ咲いているだけだった。……思えばキャスターは「満開の桜です」とは一言も言っていなかったのだ。彼女と彼はケタケタと笑いながら、その傍にブルーシートを敷いて、花見を楽しんだ。それが写真立てに飾られている写真の全貌であった。
ライブはここから《最低限の生活で小さな部屋の6畳で/君と暮らせれば良かった》とする“詩書きとコーヒー”、suisの優しい歌唱と弦楽器の音色に心奪われた“パレード”と、アルバム『だから僕は音楽を辞めた』からの楽曲が連続で披露されていく。……様々な点で喪失が描かれるこのアルバムは、当時その次にリリースされる『エルマ』と対になっており、主人公・エイミーに音楽を教えてくれたパートナー・エルマが消えてしまったことをきっかけに、エイミーがエルマに充てて書いた日記を題材にしていた。ただ今回の『前世』としては後にして思えば、彼と彼女との大きな隔たりを描いていたことに気付く。
中でも涙腺を刺激したのは、表題曲の“だから僕は音楽を辞めた”。モニターには海外の建造物の映像とsuis(かn-buna?)の直筆と思われる歌詞が楽曲に合わせて展開。どんどん熱を帯びていく楽曲中、suisはネガティブな心情を《間違ってないだろ》と鼓舞するように続けていく。一方で後半では《間違ってないだろ》が《間違ってないよな/……間違ってないよな?》と変化し、その直後に訪れるラスサビではsuisが喉が張り裂けんばかりに他責の思いを吐き出し、《あんたのせいだ/だから僕は音楽を辞めた》と改めて自分を肯定させていく。実際に音楽を辞めたのは自分の責任にしろ、それを自覚することに恐怖を感じるが故の自傷的な他責である。
そして、いよいよ佳境を迎える物語である。先ほどの地面に落ちた写真立てにモヤモヤした気持ちを抱える彼女……という意味深な場面から物語はスタート。そんなことは露知らず、ホットミルクをふたつ手にして近付いてきた彼だったが、落ちている写真立てに気付くとにこやかに笑いつつも次第に声は震え、地面に突っ伏してしまう。「僕にとってあの時間は、本当に幸せだった。幸せだったんだ」と語る彼。過去の記憶、今の日常。この発言を見るに、彼はまだ割り切れていないことを知る。彼女はその光景をじっと見詰めながら「うん」と呟き、彼を励まそうとする。「かけがえのないものだとわかっていたのに。彼女と僕の……」と項垂れた彼は、彼女を見て一言、「ごめんな」と笑いながらボソリと呟いた。
「僕は犬に、何を言ってるんだろうな……」
彼女は「わん」と叫んで、彼に前足を伸ばそうとした……が、届かない。ふと傍にあった全身鏡を見ると、彼女は犬の姿をしていた。その瞬間、ここ数日の記憶が蘇る。そう。彼女は犬の姿をしていたのだった。彼の姿を見付けて『駆けていった』のも、彼を無意識に『見上げていた』のも。当然のように目の前に置かれたホットミルクはひとつがマグカップに、もうひとつは皿の上にある。そういえば彼は「リードはできないけど」と言っていた。あれも『リード(先導)』ではなく『リード(首輪)』だったのだ。私は犬だった。犬。犬。犬……。そして写真立てに映ったかつての自分を見て、ハッと思う。
「そっか。私の人間の姿こそが『前世』なんだ……」
あまりに衝撃の展開にポカーンと口を開ける我々をよそに、楽曲もいよいよ佳境へと向かっていく。次なる楽曲として披露されたのは“左右盲”。《君の右眉は少し垂れている》《君の右手にはいつか買った小説》とのフレーズでこれまでのふたりの形を踏襲すると、《心を亡れるほどの幸福を》と前世の人間時代における彼女と、今の犬に生まれ変わった彼女の幸福を切り取っていく。それでいて最後には《何を食べても味がしないんだ/体が消えてしまったようだ》と彼の心情をも捉えていて、まるでヨルシカの全ての楽曲が今回のライブのためにあるような感覚にも陥る。またこの日最もsuisのボーカルとn-bunaのコーラスがはっきり聴こえた点においても、彼女と彼の感情の合致を意図していているようでいて素晴らしかった。
最後に披露された“春泥棒”は、まさしく今回のライブ全体を包括する役割を果たしていたように思う。公に「最後の曲です」との発言は一切なかったが、この楽曲が始まった瞬間、その雰囲気を察してか立ち上がるファンが続出。……そして今回の『前世』を語る上でも、この楽曲は全てを包括する役割を果たしていた。何かを語るより、まぶはふたりで過ごした日々、彼女の喪失、更には自身が犬であったという衝撃的なクライマックスまでが様々な側面を宿して描かれている上記のMVを観てほしいと願う。歌詞のひとつひとつ、描写のひとつひとつを見逃すことなく、改めてこの楽曲に想いを馳せてみてほしい。
一方でライブでの”春泥棒“はと言えば、ライブしか成し得ない感動の連続で締め括られた。桜の花びらが降りしきる幻想的な映像で幕を開けたこの楽曲は、これまで以上の熱量で楽器隊が音を鳴らしているのも相まって、どことなく『訴え掛ける強さ』を感じる代物。またモニターには花吹雪が舞う中、その桜色に溶けるように歌詞が投映され、幻想的な光景が広がっていく。中でも涙腺が緩んだのは、ラスサビ前の一幕。背後のモニターの映像も含め会場が真っ暗になり、suisだけがピンスポで照らされてラスサビに突入した瞬間、桜が満開になる映像と共に上空から大量の紙吹雪が投下!……何年経っても、きっとこの光景は一生忘れることは出来ないだろうと思う程の感動が襲い来る会場である。舞い落ちる紙吹雪を手で掴むファンも大勢いる中、楽曲は全員がジャンっと音を鳴らした瞬間、満開の桜がモニター中央に出現。ファンによる歓声と拍手が鳴り止まない感動的なラストシーンとなった。
そうして物語も、まるでエンドロールのような厳かな雰囲気で最終局面へ。姿が見えないことから家の外に出た彼女(犬)が、椅子に腰掛けて本を読む彼の姿を捉える始まりである。彼はこれまでのパートナーとの歩みを回顧し、彼女もまた、当時と同じようにホットミルクを出してくれた彼のことを思い出す。おそらく彼は気付いていないながらも、犬にどことなく彼女の面影を捉えていたのだろう。そうして彼はニコリと笑って、言った。
「一緒に暮らそうか」
彼女は尻尾をビュンビュンと振り回しながら、彼の膝の上に乗る。するとモニターに映し出された画面は暗転し、ライブロゴの『前世』と共にステージ左右2箇所にピンスポが当たる。そこには深くお辞儀をするsuisとn-bunaの姿があり、我々が万感の拍手で迎えているとふたりは退場し、照明が明転。「以上を持ちまして本日のライブは終了いたしました」とのアナウンスを聞いて、ハッと我に帰る。開始から2時間半が経っていたことも、聴きたい曲が聴けたのかどうかも、そもそもこれが『ライブ』という媒体だったのかも定かではないフワフワした感覚のまま、あまりにも感動的な極上体験は終了したのだった。
ライブが終わり、ポケーっとしたままいつの間にか並んでいた物販列でふと思う。一体、この日のライブは何だったのだろうか。前世の記憶に始まり、物語の進行と共に楽曲が移り変わり、ラストにかけて畳み掛けるMCなしの2時間半。……これまでも実験的な試みに多く挑戦してきたヨルシカだが、この日のライブは何から何まで完璧なまでに作り込まれた舞台芸術のそれだった。
現在新曲を多数リリース中の彼らはまたライブツアーを敢行するだろう。その時のライブがどのような形になるかは不明だが、きっと今回の朗読と音楽で魅せた『前世』のように予測不能な代物になるはず。……ともあれこの日の『前世』は多くのファンにとって、来世になっても忘れられない最高のショーとして記録されたに違いない。
【ヨルシカ@大阪城ホール セットリスト】
〜朗読① 緑道〜
負け犬にアンコールはいらない
言って。
〜朗読② 夜鷹〜
靴の花火
ヒッチコック
ただ君に晴れ
〜朗読③ 虫、花〜
ルバート
雨とカプチーノ
〜朗読④ 魚〜
嘘月
忘れてください
花に亡霊
〜朗読⑤ 桜〜
晴る
冬眠
〜朗読⑥ 青年〜
詩書きとコーヒー
パレード
だから僕は音楽を辞めた
〜朗読⑦ 前世〜
左右盲
春泥棒
〜朗読⑧ ベランダ〜