「今日天気いいっすね」
「あ、明日は雨なんすか?いやーキツいすね」
「でも雨の日ってめっちゃ寝れたりしません?◯◯さんって夜寝るときのルーティーンとかあります?」
僕が人に話を振る。相手が答える。それに相槌を打って僕がまた質問する。次は相手が深い部分まで話してくれる……。こうした会話を繰り返す日々で思うのは、確かな順応感。そしてそれとは対象的に心中に巣食う、これまた確かな自罰的な思いだ。
僕は元来、人と関わることがとても苦手だ。小中高のクラスメイトの顔はほぼ覚えていないし、思い返すとしても僕を虐めていた時の狂った嘲笑ばかりが浮かんでくるレベルで、僕の青春時代は暗黒だった。ならばこの性格は大学に行って社会に出れば慣れるはず!と思っていたが、結果的には「キタガワは暗い」とサンドバッグにされたことで、アラサーになった今ではある意味達観した気持ちでいる。……おそらく、僕は人間社会で生きること自体が難しい人なのだということを。
こうした生活の果てに辿り着いたのが「ニコニコして前向きに。自分はあまり喋らず、人に話を振りまくる」という処世術だった。言うまでもなくその理由は、そうすれば旗から見ればポジティブ、かつ聞き上手な雰囲気をもって円滑にコミュニケーションが回るからである。有り難いことにそれからというもの、周囲の評判は決して悪くない。それこそあの暗黒の学生時代よりは、圧倒的にマシになった感覚もある。
にも関わらず、いつもいつも精神的に悪い状況に陥っているのは不思議だ。僕は精神的な不調が出やすいらしく、今の僕は街ですれ違うとほぼ二度見されるレベルでおかしいらしい。ただ例えば「痩せてるじゃん」といったことをいろいろな人に指摘されるたび、キャラクター的に「いや大丈夫っすよ!実は最近断食してまして!知ってます?断食めっちゃ良いんすよ!」と嘘で嘘を塗りたくりざるを得ない状況が、かえって精神的には悪くさせている。
僕が常日頃からあまり人に言えないことを考えているというのは、これまでの当ブログ『雑記』カテゴリーと、シナリオ原案の『裏目で語れ』に詳しい。仕事が辛いなら転職すればいい。イジメに遭っているならいっそ休学してみよう。パチンコがストレスならやめてみよう……。世の中には様々なネガティブな事象があるが、それらは環境を変えれば何とでもなる。そんな中で、どれだけ恵まれた環境にあっても精神的に病んでしまう僕のような人間は生存競争如何というより、生きるうえでの相当な枷がずっとある、といった感じ。
そんな自分が輝ける場所を探して、僕はなるべく人と関わらずに強みを活かせる物書きを目指して、何年ももがいてきた。けれども、生きていくには金がいるのだ。尊厳がいるのだ。世間体がいるのだ。そしてそれらを全て満たすものは、やはり夢を捨てて正社員の称号を手に入れるしかなかった。で、結果として今の僕はその正社員としての激務と人間関係で、かつてないほど病んでいたりもする。つくづく人生とはままならないものである。
ティモンディ高岸のような「やればできる!」、あるいはひろゆきのような「僕人生楽しいですよ」のスタンスは憧れはすれど、多分僕はそれには辿り着けない。かと言ってこの先何十年かをうまく行かないまま悩んで生きるのは、生き地獄にも等しい感覚だ。少なくともこの生活を続ければ壊れてしまう気がしているから、どこかで逃げ道を探してばかりだ。……それはさながらポケモンで言うところの、トレーナーと戦ってレベルアップしながらポケモンリーグ制覇を目指すのではなく、マサラタウンでレベル5のポッポと戯れる生活。でも実は心の中では「”そらをとぶ“を覚えたポッポと偶然出会って外に出て、ポケモンマスターになれたらいいなあ」という、自分勝手な欲求だけ強いクソサトシである。
ただそんなクソサトシでも、何かのきっかけでポケモンマスターになれるかもしれない。……ポッポを100体捕まえた動画がバズって金が入るかも。最初の草むらで偶然ミュウツーが出るかもしれないし、色違いのコラッタで一攫千金の可能性だってある。僕がやっているのは、そんなこと。戦わないけど戦っている何か。精神を殺しながらやる活動が何かに変わるその日まで、必死で生き抜きたい所存だが、途中でコラッタやポッポにやられたらその時は笑ってくれ。