キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

終末時間

『一生懸命』という言葉がある。正確な意味としては『真剣に物事に取り組むこと』とされ、自分が使うよりはむしろ相手側。「一生懸命だねえ」と褒める形で使われることが多いように思う。もちろん、端から見た姿そうだろうから否定はし辛い。でも頑張っていない人間に対してその言葉を使われるのは、なんか違うなあという気がしてしまうのだ。……それこそニコニコ笑顔を無理くり作る自分に対してなんかは、特にである。

新しい仕事に就いて半年。持ち前の“フレンドリーさ”を活かしてある程度仕事を任せられるようになったものの、そのフレンドリーさは建前で、本心での僕はずっと無理をしていた。笑顔で人と接する理由は、その方がコミュニケーションが円滑に進むから……。ただそれだけの人間が13時間の拘束時間を常に笑顔で乗り切ることは、やはり難しかったのだ。連日のハードワークも重なってか、精神的にどんどん追い込まれていったのがここ数日。普通の生活をしたくて身を投じたこの環境に、勝手に絶望感を抱いてしまうのは罪な悩みである。

そんな折、とある友人から遊びの誘いがあった。彼と合うのは随分久し振りだったが、まともに笑えない今の精神状態を考えると会うべきではないと思い、一度は断った。けれども酒を飲んだりするとハイになるもので、勢いに任せた「じゃあ会うかー」のラインをきっかけに、どんどん話は進行。僕が本格的におかしくなる頃には、何故だか会う日の予定が次々決まり、気付けば後ろに引けない状態になっていた。

結局のところ、当日は事前に決めた動きとは違う形に落ち着いた。何時にここに行って、この場所でランチ食べて……といったシナリオが精神的に面倒になってしまった僕を、彼が察してくれたためだ。かくして彼と会った約4時間、その全てをフードコートでスマホ片手に過ごすという、虚無極まりないプランに変更と相成った。言うまでもなく、0点プランである。

僕らはお互いコミュ障で、人の目を見て話すことが出来ない。なもんで視線は常に別の場所に彷徨っていたのだけれど、「あのステーキ屋に人ぜんぜん来ちょらんけん多分潰れる」だの「あの女子高生2人の後ろ姿、リコリコのEDかと思った」といった性格の悪いツッコミを繰り返していると、時間が超加速で過ぎていくのは不思議だった。お互いの顔も見ることなく、特に何も食べず喋り続ける4時間。これが信頼の証でなくて何と言おうか。

この久方ぶりの出会いが、僕らに何をもたらしたのかは分からない。今でも計画を放棄させてしまったことには後悔の念があるし、彼の本心も知らないままなのだけれど、とにかく。今回の一件で「アイツにはもう会わねえ!」となったとしても、別に失うものもないので。彼にとってプラスになっていれば良いなとは思う。まあ次に会ったとき、日本酒でも酌み交わすことが出来れば満点だろう。

別れる直前、改まって「一生懸命なのはええんじゃない」と彼に言われた。僕はピクッと反応し、否定のつもりで「いや◯◯くんも頑張っちょーがん」と言ったが、彼は首を横に振った。どうやら自分は君と比べてまだまだだよ、と思っていたらしい。そんなそんな、俺より君の方が……と、ダチョウ倶楽部のようなコントをしながらふと思う。隣の芝は、思ったより青く見えるのだ。

高橋優 「現実という名の怪物と戦う者たち」 - YouTube