フジロックが終わり、ロッキンが始まり、サマソニが最後を締め括る夏!アルコールも解禁。マスクも取り外しOK。まだまだ規制はあれど、ようやく夏らしい思い出が作れそうな雰囲気だ。
特に先日無料配信された、フジロックの興奮は格別だった。そもそもフジのあの自然に囲まれた環境でライブを行うこと自体、多くのアーティストにとっての夢。故に素晴らしいパフォーマンスになったのは言うまでもないが、それ以上に観客側の「待ってました!」とするエネルギーというか、音楽に飢える心も強く感じた次第。コロナ禍なのできっと行きたくても行けなかった人も多かったとは思うが、あの空間を映像化してくれた意義は、きっと大きいのだろうなと。
ただ、そんな現地の興奮とは逆の動きを見せていたのは、音楽にあまり興味のない層による批判的なコメントだったりもした。「こんな時期にフェスに行くなんて無責任だ」とか、そういう類いのもの。実際フジロックに参加した帰りにコロナ陽性になった人も少なからずおり、まだまだ大衆の理解を得るのは難しいと痛感。
正直、個人的には『このコロナの時期にライブに行く』ことに容認派ではある。けれどもそれは自分自身が音楽に救われてきたからであって、「音楽なんてほとんど聴きませんよ」という経験のまま大人になっていたら、おそらくフジロックを否定してしまう可能性もあったと思う。……これは野球観戦でも旅行でも、夏祭りでも多分同じベクトル。いくら当人にとっては大切な出来事でも、コロナ感染の可能性のフィルターを通してしまえば、外野からのNOが多数派になる辛い世の中になってしまった。自戒の意味も込めて、最近はつくづくそう思う。
JPEGMAFIA - Live @ Fuji Rock Festival 2022 - YouTube
例えば、人と今回のフジの話をしていてもどうも噛み合わない。YouTubeの動画を見せながら「フジロックの配信観ました?」と切り出したところで、自分としては「◯◯と◯◯が最高だった」という話をしたいのに、画面を観た人からは「こりゃ明日の感染者凄いぞ」とか「マスク外してる人いるじゃん」とか、そういう反応だった。でも仕方のないことだ。何故なら音楽に救われたり夏フェスに行く人自体が、圧倒的に少数派なのだから。
気付けばコロナ禍も3年目。そのため「じゃあそんな中でも出来る楽しみを見出そう!」とするのは必然だ。にも関わらず、家でネトフリを観るのはOK。居酒屋に行くのもOK。なのに、音楽系のイベントに行くことは本能的にNGを出される現在。分断が未だ根強いのは重々承知にしろ、そう簡単には元通りにならないところまで来てしまった印象が強い。言い方は悪いけれども、コロナに罹って社内に居場所がなくなったとしても、それを覚悟して参加する必要くらいはあろうと。
そうした世間的やら何やらをいろいろ考えていたら、気付けばほとんどライブに行かないまま数ヶ月が経過していた今である。何だか次第に、ライブやフェスに行かない生活にも慣れてしまった感もあってとても寂しい。でもやっぱり、重要な何かが欠けているのだ。それが他者にとっては恋人やゲームやお金であるように、少なくとも自分には音楽なのだなと痛感する日々だ。残す夏フェスはあと数個しかないが、果たしてどうなることやら。何にも怯えずに楽しめる世の中を、一刻も早く希求したい。