キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

僕といえば主人公にすがって頼る 村人Cくらいかなあ

人生は、気付けば何かに支配されている。仕事。ゲーム。旅行……。社会人としていろいろと考えながらも、その上で自分にとって第一義とするものはガッチリ固めるような生き方。それはとても素晴らしいと思うと同時に、逃れられない絶対欲求でもある。

そうした最強の趣味に出会ってしまう人の大半は、やはり中高時代に好きだったものの延長線上にあるのではと思う。体を動かすことが好きだった人は運動を今でも続けているし、機械イジリが好きだった人は今でもガジェットをチェック。帰宅部でゲームばかりやっていた人は大人になってもゲームを楽しんでいる。……いや、そもそも好きだったこと以外もだ。その他の考えやら何やら。結果我々はあらゆること学生時代と変わってはいないはず。「性格は変えられる」とは誰が言ったか、ある意味では結果として子どものままの状態で大人になってしまった、という悲しい末路がこのリアルなのだ。

翻って、子どもの頃から興味のなかったことや苦手なことは、将来的に克服できるとも思えない。それはもはや自明の理で、学生時代においてもスポーツが苦手だから運動はやらないよ。国語の漢文意味わからんから他の教科でトントンにするよ、となるのは当然のこととして理解されてきた。……やりたいことはやる。やらないことはやらない。答えは本当にシンプルで、昔から我々はそんな行動をしてきたはず。

ただ、そんな中でも絶対に必要なスキルは存在する。その最上位として降臨するのが人間関係だ。けれどもそうしたスキルが生まれながらにして欠如している人間は、生涯悲しい枷を背負って生きるのと同義でもある。周囲に合わせて合わせて、でも上手く行かなくて。最終的にはそのストレスを自己否定で完結してしまう人も、きっと世の中には多い。

そして僕個人として。少なくともそうした社会的に孤立したり辛い思いをしている人には、寄り添うような人間でありたいと思っている。ただ、こうした思いは世間とはおそらく逆に近いのだ。実際、僕と未だに関わってくれる人は心に闇を抱えた人が多い。それは本当にありがたいことだし、ネガティブな経験をした人間として話し相手になりたいとも思うのだけれど。他の人にそのことを話すとやれ「共依存だ」やら「関わらん方がいいよ」やら、メチャクチャなことを言われたりする。そのたびに、何というか「僕は世間一般的な感覚を持つ人とは交われないんだな」と痛感するのだ。

何か興味のある出来事があったとして、それを犠牲にし。なおかつ自分を殺してまで社会に迎合しないと生きられないのが世の中のリアル。もしかすると、僕らのような精神状態の人間は必要とされていないのかもしれない。でも「人生前向きに頑張らなきゃっ!!」と明るく笑う人と同じように、辛い人が報われる社会になってほしいとも願っている。そうした人がいつの日か、毎日楽しく笑えるときは来るのだろうか……。

美波「main actor 」MV - YouTube