こんばんは、キタガワです。
自分の暮らす島根県ではM-1が観られない関係上、隣県の広島に赴き、1泊1200円のホステルで観た去る『M-1グランプリ2021』。それまで爆笑しながら観ていたけれど、思わず錦鯉が優勝した瞬間に叫んでしまい、その後の優勝者インタビューで、長谷川の涙につられて泣いた。……かつて芸歴制限が10年以内だったM-1グランプリ。当時の審査員長を務めた島田紳助は「M-1は若者のための番組」と語り、直接的に明言されてはいないものの、実質的に芸歴10年を超える芸人にはお笑いで売れることを諦めるよう諭した。そんな中で長谷川雅紀50歳、渡辺隆43歳、共に芸人としての活動歴は苦節十数年にも及ぶ彼らにようやく光が当たったのだ。泣かない訳がない。
https://www.sma.co.jp/s/sma/artist/529?ima=0000#/
そんな奇跡の瞬間から数日、M-1の舞台裏に切り込んだお笑いファン待望の『M-1アナザーストーリー』が公開され、密着取材の果てに優勝した錦鯉の姿にまた泣いてしまった。月収平均1万円以下の過酷な下積み時代。年齢を重ねて現実を直視し始めたふたりの葛藤。錦鯉を結成しようやく至った漫才の楽しさ……。正直これまでのアナザーストーリーと比べて今回は明らかに全組を取り上げてはいなかったし、いちお笑いファンとしてはランジャタイやモグライダーなどいろいろと触れてほしいポイントはあったけれど、これを語ってしまうと番組が3時間コースになってしまうので仕方ないとして。それ以上に錦鯉という芸人が圧倒的に、テレビで放送するに余りある辛いエピソードを持ち合わせていたことの証明なのだろう。
【独占】錦鯉M-1優勝の瞬間!長谷川雅紀の母「こんな日が来るなんて!」 - YouTube
長年ネタを見続けてきたひとりの意見だが、錦鯉はとにかく、何かが噛み合った瞬間にすぐ売れそうなコンビだった。長谷川の頭を渡辺がぶっ叩いて笑いを掻っ攫うツッコミは結成当初から変わってはいないし、長谷川のバカさを前面に押し出すスタイルも同様だ。だが錦鯉はお笑いが大好きな観客が集まる劇場でのウケと、テレビ番組等での一般層でのウケが少しばかり乖離していたのか、錦鯉はあと一歩のところでブレークを逃し続けてきた。……それこそM-1初出場時のカミナリのネタで観客が頭を引っぱたく強いツッコミに「痛……」と怪訝な声を漏らしていたように、錦鯉の手法も時代に沿わないと言えば沿わない類のものなので、そうした部分でも辛い状況があったのかな、と思う。余談だが、今年のM-1でもゆにばーすともものネタがセクハラだの外見イジりだのとネットで叩かれていたように、本当にテレビの環境は劇場と全く違った難しい環境だと思い知らされた。
そんな中で錦鯉としてプラス要素としてあったのが、昨年のM-1である。このM-1で彼らは錦鯉というコンビの魅力として『渡辺の強いツッコミ』と『長谷川のバカなボケ』が位置していることを完璧に把握した。これに関してはM-1の直後に公式動画がYouTubeに公開された功績も大きいことと推察するが、結果として今年のM-1の観覧に訪れた一般層も、間違いなく「錦鯉ってこんなコンビだよね」とのイメージを認識した上で臨んでいた。これがある種年齢などの先入観で点数が振るわなかった昨年度と比較すると圧倒的に有利だった。
錦鯉【決勝ネタ】1st Round〈ネタ順8〉M-1グランプリ2021 - YouTube
錦鯉【決勝ネタ】最終決戦〈ネタ順2〉M-1グランプリ2021 - YouTube
こうして臨んだ1本目のネタは『合コン』。これまでも劇場で披露され準決勝でも爆笑を取った鉄板ネタだ。しかも長谷川が50歳を迎えたことで、絶対に他の芸人では不可能な「みんなよりちょっとお兄さんか→お父さんだよ!」「50歳過ぎたら体が痛くなる場所→ズルいよ!」とのツッコミも明らかに分かりやすく、また自虐的で最高だった。2本目のネタは『猿を捕まえる』で、こちらは準々決勝で爆発したネタ。そしてこちらに関しては、これまで錦鯉のネタではあまり観られなかった伏線回収が挟まれていて、年齢的なものでもバカさでもツッコミでもない、新鮮な要素で笑いが生まれた。あと一歩のところで優勝を逃したオズワルドは直後に行われた『M-1大反省会』にて「完全に空気が錦鯉さんになってた。CMが終わって、もう雰囲気が(オズワルドじゃなくて錦鯉が)もう1本『猿』やるの?みたいな」と語っていたのが印象的だったが、それほど錦鯉は誰の視点から見てもウケていて、圧倒的だったのだ。
最年長M-1ファイナリスト 錦鯉がギリギリど貧乏生活時代を告白! - YouTube
翻って、当日の舞台裏を映し出したアナザーストーリー。この番組で捉えられていたのは当然ながら、我々お笑いファンが既に知っているあの自然体の錦鯉の姿だった。彼らの過酷なエピソードに関しては自叙伝『くすぶり中年の逆襲』に譲るが、そもそも彼らはこの自叙伝でもメディアインタビューでも同じく、あまり下積み時代のことを話さない。特に長谷川は「当時の彼女に1日500円もらって河川敷でワンカップ片手に高校野球のスタメンを考えていた」とのエピソードはよく語るけれど、それまでのピン芸人時代の話はほぼしないし、長谷川も松屋でのアルバイトのことは話すけど、他に経験した大量のアルバイトについては話さない。無論この理由については、テレビ番組等で最も笑いの取れるものに限定して公開しているからなのだろうが、渡辺43年、長谷川50年と生きてきた中ではもっと辛い……。というより毎日がアルバイトばかりで生き地獄のような日々だったはずだが、それは最後までアナザーストーリーで語られることもなかったのである。
ただ、そうした彼らの知られざる下積み生活を象徴するのが優勝発表時の長谷川の号泣と、優勝から数日後に実家に帰った渡辺の表情だった。「最低でも30歳で夢追い人は諦めろ」と言われる中、周囲の反対を押し切ってずっと芸人で成功することを夢見てきたふたり。長谷川の涙からはこれまでの辛さが報われた感動を覚えたし、普段通りに口を真一文字に結ぶ渡辺からはしみじみと嬉しさを感じられた。43歳で、50歳で夢を追い続ける人がどれほど苦しいか……。本当に彼らの優勝は意味のあるものだったし、多くの芸人、いや、ありふれた日常に生きる我々にも勇気を与えてくれた。
現在錦鯉は多忙を極める中でも、長谷川の体調を考量して夜間の仕事をセーブしながら、最高の絶頂期を過ごしている。来年には錦鯉の冠番組もスタートし、昨年以上に錦鯉をメディアで観ることも増えるだろうが、我々はその姿を見ながら改めて考えなければならない。夢を追うことの大変さを。そして何より、どれだけ遅咲きでも夢を叶え、最高の青春を満喫するふたりの幸福さを。……最後は音楽を愛する物書きらしく、アナザーストーリーの錦鯉の優勝という感動的なシーンで流された折坂悠太の“鶫”という楽曲を置いて、今記事を締め括ろうと思う。この楽曲のサビで歌われるのは《ほらね ごらんよ 夜が明ける/ほらね 夜は明ける あなたに あなたに 聴かせたい 知らせたい 共にいると》というもので、本当に錦鯉という過酷な『夜』と一緒に走り続ける『一蓮托生』感を伝えるに適した楽曲だった。全てのM-1ファン、番組制作者、錦鯉のふたりに愛を込めて、これからのお笑いもこれまで通り見守って行くことをここに誓おう。