キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

どん詰まりの死にたい夜の中で

辛くて、逃げたくて、死にたくて仕方が無い人間の気持ちについて、推し量ることの出来る人間は少ない。「そんなこと考えんなよ」「相変わらず暗いな」と直接声を掛けてくれる人がいればまだ良い方で、実際はなあなあにあしらって本人に聞こえないように、さも当人たちは陰口とも思っていない悪どい行動でもって溜飲を下げている。ある程度前向きに生きる人間からすれば、おそらくそうしたネガティブな人間こそが異端者なのだ。我々は今日も、誰かの前向きな感情を底上げするスパイスとして存在を使われている。


日々ネガティブに自分を追い込む人間に、世間の目は冷たい。仕事でも学校でも友人間でも。試しにYouTubeで『死にたい』と検索しても某配信者は「生まれてすいません」と語るスパチャコメントに「貴方が生まれたことで何で迷惑がかかると思い上がってんの?」と一蹴していたし、また他のYouTuberは「前向きに生きようぜ。なあ」と鬱の海に沈む人間の姿勢を正していた。他にもひとたびインターネットで同語を検索しても決まって『ネガティブな人がポジティブになる方法5選』といった記事ばかりがヒットする。……確かに「人間はポジティブであるべきだ」とする意見は分かる。正直一般的な感覚からあぶれた人間が黒い羊として見なされることには何の異論もない。しかしながらどうコントロールしても前向きな変換が出来ない精神的弱者人間にとって、この世は酷くハードモードであることもまた、抗いようのない事実なのだ。


物事は前向きに捉えるべき。ならば逆に、常にネガティブな方向にしか物事を捉えられない人間は幸せにはなれないのか?……その答えはおそらくYES。つまり人生を好転させるためには絶対的に、ネガティブな感情から脱出することが最低限の要素と言える。故にそのための何らかのアクションを取るのが必須だが、難しいのはその脱出するまでの過程で更に病んだり、新たな環境がかつての環境よりも悪かったりと結果的にマイナスに働くパターンも存在すること。それらは動いてみなければ分からないものでもあり、言わば究極のジレンマ。動くも動かないも自分次第なので、これがそれこそ冒頭でも記したように、やはり最終的には『ポジティブに生きた方が人生が楽』ということなのだろうと思う。


ここまで『なるたけポジティブに捉えるべき』、『ネガティブは少しずつ改善すべき』とするふたつの点について記した。あまりこうしたことは書くべきではないにしろ、ほぼ全ての不条理は「甘ったれんな」の言葉で終わってしまうことも、痛いほど分かる。……それでは、例えば以前仕事で大きなトラウマを背負ってしまった人や、そもそもの人間関係が不出来な人、精神的な不調が周期的に襲い来る人、今後の未来に何の展望も描けない人はどうすれば良いのだろうか。これこそが先に記した『この世はハードモード』感に通じるもので、こうした人々はまずもって、病みながら年々歳だけを重ねる日々を送ることになる。


貯金も結婚も友人との語らいもなく、ただただ日々を無為に消費する日々。こんな人生は当然ながら願い下げだが、どうしてもその生活を送らざるを得ない人も、中には一定数いるはずなのだ。お察しの通り、ここまで記してきた自分自身もそう。迷って死にたくなって、紛れもなく自分自身の選択で精神的弱者はバッドエンドに突き進む。そしてそれは30代になり、40代になり、50代になった頃には自分で自分を殺す枷に変わってしまうのだろう。一寸先は闇の人生が輝き出すことなど、本当にあるのだろうかと思う日々だけれど、きっとそれも未来の自分が知っているはずだ。死にたい夜を超えて出会う未だ見ぬ光景を、渇望ではなく行動の果てに手にしていく決意を込めて。

 

アイナ・ジ・エンド - 死にたい夜にかぎって [Official Music Video] - YouTube