キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

不要不急のライブ

約1時間後に迫る米子laughs行きの電車を待つプラットホームで、この文章を書いている。前日はなかなか眠れず、昼になってもどこか無思考。それではいかんと道中でゲームセンターや書店に足を運んだりもしてみたものの、どこかフワフワとした思考が拭えなかった。この気持ちは、そう。ともすれば爆発してしまいそうな興奮を心が全力で押し留めている感覚に近い。こうした幸福たる情緒不安定に陥るのも、思えば1年半ぶりだった。

生活からライブがなくなって1年半、僕はどこかずっとネガティブに生きてきた。元々「ライブが好きです」とはよく吹聴していたものだが、待てど暮らせどライブが開催されない未曾有の危機を経て、自分にとってライブとは生きる目的であるということにも改めて気付かされた1年でもあったのだ。ただ同時に……これはライターとしては明らかなウィークポイントだろうが、ライブが開催されない現状では僕は対してアルバムも聴かない人間なのだということにも気付くことが出来た。出演アーティストの予習のためにアルバムを買って、聴く。そしてライブに参戦し、予習した楽曲群の更なる魅力を知ったらまた帰宅後にアルバムを聴いて「この曲やったなあ」と感慨に浸り、だんだんと生活の一部になるほど聴き込んで完全なるファンになる。やはりこうしたサイクルこそ、個人的には必然なのだ。

同じくライブへの風当たりが悪くなった昨年あたりから、ライブの在り方を考えることも多くなった。実際先述の通り僕個人のセラピー的意味合いで考えれば間違いなくライブは必要で、不要不急の対象としてライブシーンが槍玉に上げられることに対して怒りを覚えたけれど、それはライブに足しげく通う者にとってのみ当て嵌まる話。別段「音楽はほとんど聴かないよ」といった層や「音楽は好きだけどライブには行ったことがないよ」という人も大勢いるわけで、そうした人たちにとってはやはり我々がどう言おうと『不要不急』なのだろうと思う。実際今回「ライブに行く!」と友人や家族らに伝えたところ100%の確率で反対されたし、これに関してはライブでなくともゲームセンターや飲み会、風俗、映画館、漫画喫茶、オリンピックでさえ色々な見方がある。ただ「これはOKでこれはダメ」との線引きがされていない以上、後はその人にとってどれほど重要な存在なのか、またそれに参加するにあたってどれほどの責任を持って向かうのか、個人の価値観とモラルが大切になると思う。

そして僕は今日、1年半ぶりにライブに参加する。ちょっとばかし時間が経過し、今はライブハウスに入場した直後だが、席は元々のキャパ300を大きく減らして、地面の観覧位置を合計しただけだがスタンディングで約58席。もちろんアプリインストールやチケットもぎりは自分で、といった万全の感染対策もされ、集まったファンも一様に一言も声を発することなく、直立不動でその時を待っている。ライブ開始まで残り10分。全てが終わったとき、僕はどんな感情になるのだろう。さっぱり想像もつかないけれど、きっと何かが変わる気がする。