キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

川谷絵音、北村匠海、yama……。豪華ユニットRadio Bootsyによる、春の香り広がる神曲“春は溶けて”を紐解く

こんばんは、キタガワです。

 

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薄手のシャツに1枚羽織りひとたび家の扉を開ければ、日にそよぐ木々と共に穏やかに吹く風が頬を撫でる……。もう世の中はすっかり春の陽気である。そんな今春、関西が誇る代表的ラジオ局のひとつ・FM802が毎年、春を彩るキャンペーンソングを同局とゆかりの深いアーティストと制作するドリームプロジェクト『FM802 × 阪神高速 ACCESS!』による今年のキャンペーンソングが、去る4月26日にYouTube上と各種サブスクリプションで公開された。その注目のユニット名はRadio Bootsy(レディオブーツィー)、タイトルは“春は溶けて”で、作詞作曲者は川谷絵音(indigo la End、ゲスの極み乙女。、ジェニーハイetc)。参加アーティストは五十音順に川谷絵音、北村匠海(DISH//)、長屋春子(緑黄色社会)、ホリエアツシ(ストレイテナー)、三原健司(フレデリック)、yamaら6人が見参。所属事務所も年代も、音楽畑も飛び越えた驚愕のラインナップには、ただただ脱帽するばかりだ。

 


キーボードによる柔らかな音色を主旋律に、楽曲はその幕を開ける。どこか春のイメージさえ抱かせるリズミカルな助走を経て、ボーカル面での先陣を切る形で川谷絵音が《いつぞやの椿/花から花へと/夢のような膨らんだ季節》とふくよかに歌唱。その歌声は高らかに、というよりは一言一言を噛み締めるようでもあり、まずは世間一般的な明るい『春』のイメージを想起させていく。


続いて川谷からバトンを受け取るのはホリエで、敢えてふくよかな余韻を残して歌っていた川谷に対し、ホリはやや前のめりでシャープな歌唱。例えるならば桜咲く並木道を歩く昼下がり、徒歩から早足になる前に背筋をグッと伸ばすような、重要な役割を担っている。ストレイテナー結成から20年以上と、およそ今回の参加アーティストの中でホリエは最も音楽シーンに精通した人物と称すべき人物だが、そんな彼が楽曲全体を形作る重要なポジショニングを任されていることには、ファン冥利に尽きると言うか、最適解であるようにも思える。


一転、グッと勢いを増したCメロでは新進気鋭のシンガー・yamaがその中性的な歌声を駆使し、爆発的なサビへ至る道程を形作っていく。昨年音楽シーン全体を鑑みても一大ヒットとなった“春を告げる”では言わば『ひとりぼっちの春』について歌っていたyamaが、作為的にコラージュされた春を指し《いつでも新しくなるさ》とある種前向きな思考変換でもって歌唱する様はグッと来るものがあり、ソロ以外のコラボ曲の親和性の高さにも改めて驚かされる。


次第に熱を帯びつつあるメロに満を持して参入するのは、緑黄色社会のフロントウーマン・長屋晴子。直接的に天に向かって突き上げるような高らかな歌声でもって、更なる歌の強みを携えて畳み掛けを図る。彼女の歌う内容が「頑張れ」という安直な鼓舞でも「何とかなる」という楽観主義でもなく《僕らはひたすら自由だ》とする、共に歩を進めんと試みるポジティブな歌詞で締め括られるのも、どこか長屋らしい。


そして4名による幸福たる歌唱の果て、遂に楽曲はサビへと突入する。サビは元来、誰もが口ずさんだり印象部となることから、制作者にとって最も伝えたい重要部が記されることが多い。故に《君が好きだってこと以外は/もう何も考えないことにしよう》(indigo la End.“藍色好きさ”)、《大人じゃないからさ/無理をしてまで笑えなくてさ/わかってはいんだけど/気付けば回りがくすんでいった》(ゲスの極み乙女。.“オトナチック”)など今楽曲の制作者・川谷にとっての真に言いたいことが、サビの歌詞には秘められて然るべしであると考える。


そうした事柄を踏まえて1番のサビを見てみる。《春は溶けて/まばらに色付いて/世界抉ったんだ/幸せだと思える一瞬は/いつでもどこかに》と、どこか抽象的な表現に徹していて、その全体像は上手く掴めない。そこで次は公式サイト内に記載されている、川谷本人のメッセージを読み取ってみることとする。


「距離を保つことが当たり前になりましたが、良い距離感っていうのは悪いことではないし、それによってより個人の時代になったんですよね。人とあまり会わなくなってから僕は思ったんです、みんな自分で思ってるより自由だって。春になったから何か特別なことがあるんじゃなくて、いつでも春は溶けてそこにあるんです」


思わず膝を打ったのは、「みんな自分で思ってるより自由」という一文だ。確かにこの1年の間、総じて『2人以上で何かをする』行為には大いなる制限が課せられた。例えば例年と異なる今春ならではの過ごし方で言えば、真っ先に花見が挙げられるが、これもひとりでは行わない。それ以外にも旅行、カラオケ、ショッピング、カフェ、ゲームセンター等々……。思い返せば、我々が当たり前のように行っていた施設や行動も、二人以上でなければ行かない場所というのも間違いなくあり、そしてこの1年以上、当然誰かと何かを出来ないという不便ささえあったものの、圧倒的な自由度があった。と考えれば《まばらに色付いて/世界抉ったんだ》とする一文は、個々人における孤独とはまた異なる充実を意味していて、更に続く《幸せだと思える一瞬は/いつでもどこかに》は、かつてと比べて個人主義の生き方になったからこそ、逆にコロナ禍で充実を帯びる日常のことを指しているのではなかろうか。


ピアノとドラムが加わったことで、僅かに1番とは雰囲気を変化させた変わった2番からは、また新たなシンガーが顔を出す。まず先陣を切ったのはダンスロックバンド・DISH//から、北村匠海だ。柔らかで自然体な歌唱でありながら、どこか静かな熱さえ感じてしまうその歌声は、思わず目を瞑りながら歌う彼の姿さえ想像してしまう程。昨年一躍注目を浴びた“猫”然り、ドラマ主題歌としてお茶の間に広く響き渡った“僕たちがやりました”然り、他アーティストからの『提供曲も多いDISH//だが、それも様々に印象を変化させる北村による変幻自在の歌唱スキルあってのことだと、改めて感じた次第だ。


様々に手渡されたバトンリレーのアンカーを務めるのは、フレデリックの三原健司。彼特有の少しばかりの揺れを帯びたボーカルでもって、次なるサビへの橋渡しを担う重要な役割だ。三原の歌唱するパートも間接的にコロナ禍を表したフレーズのオンパレードであるのは他シンガーと同様ではあれど、フレデリックの楽曲の歌詞はある種掴み所のない浮遊感に徹しているのに対し、今曲では《先は長くむず痒い/登ったり降りたりが/飽きても続くけど》と幾分ストレートで、新鮮。


以降はそれまでの登場人物を代わる代わるスイッチしながら、楽曲はクライマックスへとひた走る。中でもサビ部分では全く同じ歌詞であっても歌い手を毎回変化させる形で進行し、例えば1番では川谷が歌っていた部分を北村やyama、ホリエが歌っていた部分は三原や長屋に切り替わるなど、また一味違った魅力を醸し出ている点も面白い。ボーカルが変わることで雰囲気はもちろん、その歌詞が持つメッセージ性も多様性を帯びるように聞こえるのは新たな発見であり、それぞれのファンにとっても嬉しいところ。


新たに挟まれるCメロ、そして1番と2番でも同様に紡がれてきた《春は溶けて/まばらに色付いて(以下略)》の流れを経て、ラストに待ち受けるのは《大人になり/椿は色付いて/距離を取るだろう/それはそうと/悪くはない話だから》との意味深なフレーズだ。ここで思わずはっとしたのは、後半部の《それはそうと/悪くはない話だから》という一節である。繰り返すが、否が応にもこの1年を想起させる歌詞を鑑みるに、この楽曲がコロナ禍をテーマに制作されていることは間違いない。実際多くのバンドを兼任しての活動を行っている今楽曲の制作者である川谷にとっても、ライブ中止を筆頭としてこの1年は強いフラストレーションを抱えるものであったと推察する。ただそんな彼が“春は溶けて”の締め括りとして選択したのは、あまりにポジティブな言葉。人との距離感に悩んでも。自粛生活が続いても。思い描いた生活が打ち砕かれても……。川谷は空元気ではない本心から《それはそうと/悪くはない話だから》と聴く者の肩を叩くのだ。彼は前述のメッセージの最後に、こう記している。


「明日は来ちゃうし、生きてかないといけないけど、僕らは自由だから。悪くない話でしょう。そんな曲」


つまり彼の考えるコロナ禍の現状はズバリ「様々な点で不便にはなったけれど、逆に過ごしやすくなった部分もある」ということ。確かに思い返してみれば、人と関わらなくなった分それによって対人関係のストレスは緩和されたし、自粛生活が今一度自分を見つめ直す契機となった人も一定数存在するだろうし、そうでなくとも外出の機会が減って貯金が増えたり、よりゲームなどの趣味に没頭出来た、なんて人もいるかもしれない。……『最悪』の反対語は『最高』だが、この1年間、我々は自ら最悪の方ばかりを見つめ続けていたような気もする。ただ思考を切り替えれば素晴らしい日常は今もそこにあって、新たな出会いも多くあった。“春は溶けて”はそんな事実を、力説して伝えるでもなくまさに『溶ける』ようにゆっくりと、楽曲を通して我々に伝えていたのだ。


あの春から1年が経ち、遂に今年コロナ禍で2度目の春を迎えたが、依然として先の見えない日々は続いている。言うまでもなく、良し悪しで判断すれば現状は間違いなく悪い。しかしながら様々な制限が課せられる今春に可能性を模索するのもまた、我々次第なのだ。『春』という明るいイメージを敢えて払拭し、各自の思考に間接的に問う“春は溶けて”のような多面的視点を持ちながら、この困難な時代をこれからも生き抜いていきたい。