キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

第44回日本アカデミー賞授賞式の最優秀作品賞『ミッドナイトスワン』と草彅剛のスピーチから感じた、人間の驕り

こんばんは、キタガワです。

 

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最優秀作品賞が発表された瞬間、僕は柄にもなく声高に叫んでしまった。今年2021年の日本アカデミー賞、その最優秀作品は周知の通り『ミッドナイトスワン』。今年ノミネートされた5つの作品のうち、僕は4作品を劇場で鑑賞した人間だ。しかしながら唯一地元で公開されなかった関係上、距離的な問題もあり鑑賞を諦めた作品が『ミッドナイトスワン』であった。ただ元々是非とも鑑賞したい作品ではあったものの、人間というのは卑怯なもので、鑑賞出来なかったと知った時から僕は「観ることの出来なかった言い訳」を、脳内で幾度も繰り返した。「あのYouTuberの草彅が出る映画だし」「トランスジェンダーの映画?あまり好みじゃない題材だし」「そもそもコロナ禍なのに遠征して映画観るってどうよ」……。それはそれは数々のネガティブ要素を映画のあらすじから抜き出していたものだが、そうした理論武装じみた思考変換は完全に誤りだったと気付いたのだ。


思えば僕が映画評論家を気取り始めたのは『万引き家族』が第42回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した頃だった。当時たまたま自分が興味を抱き、劇場に足を運んで鑑賞した映画『カメラを止めるな!』『弧狼の血』『空飛ぶタイヤ』といった作品群が受賞作に名を連ねてからというもの、僕の脳内では常に「俺って意外と映画見る目あるんじゃないか?」との思いが駆け巡るようになってしまったのだ。個人的には当時アツい展開で繰り広げられた『弧狼の血』を盲目的に推しており、確かに生放送で受賞が発表されている最中にも最優秀主演男優賞に役所広司、最優秀助演男優賞に松坂桃李が選ばれた際、アルコールをあおりながら「やっぱり役所さんだがん!めっちゃ凄かったけんなあの演技!」と家族に吹聴し、ツイッターで鼻息荒く呟いたことを今でも鮮明に覚えている。


そうしたある種穿った『俺すげえ理論』が最高潮に達したのが、去る2020年の日本アカデミー賞授賞式だ。この年に選ばれた優秀作品賞の5作は『キングダム』『翔んで埼玉』などそうそうたる顔ぶれだったが、それこそ時間がないだ何だとかこつけて、僕が実際観ることの出来なかった作品が並んでいた。読者の方々もお察しの通り、大半の作品を鑑賞すらしていないこの時点でいち(似非)映画ファンがアカデミー賞の最優秀作品賞についてとやかく語ること自体が野暮と言うより言語道断であるのは間違いないが、その年の僕は「この映画が絶対に受賞する」という確信があった。それこそがかの『新聞記者』であり、当ブログの映画レビューにおいても当時唯一の星5評価を付けた肝いりの作品だったからだ。そして結果的に『新聞記者』は最優秀賞作品賞を受賞。更には最優秀主演男優賞に松坂桃李、最優秀主演女優賞にシム・ウンギョンというこの年は言わば『新聞記者フィーバー』状態が発生しており「極左映画とか言われてたけどやっぱり最高の作品じゃん!」「キングダムじゃなくてやっぱり新聞記者だった!」など僕の心は昨年以上に舞い上がり、思考は謎の飛躍の末に「これは映画.comのライター行けるんじゃないか?」といった馬鹿な妄想を垂れ流すまでに悪化した。気心知れた友人らに会話を遮ってまで『オススメの映画』を語るようになったのも、確かこの時からだった気がする。


そして迎えた、今年のアカデミー賞である。僕は今年選ばれた5作品のうち、3作品を鑑賞した。『罪の声』と『Fukushima 50』と『浅田家!』だ。中でも僕は圧倒的に『浅田家!』を推していて、事前にこの作品の最優秀賞受賞はほぼ間違いないと日々SNSで吹聴していた。ただ例に漏れず「この作品が突出して素晴らしかった!」という訳ではなく、今年は未曾有のコロナ禍によりそもそもの作品数自体が少なかった関係上、所謂『話題作』がないことから嫌な言い方をしてしまえば受賞作全般に華がなかったために、一番それっぽい作品を選定した上での『浅田家!』だった。劇場で号泣したのは事実だし、構成も文句なし。もっといろんな映画がノミネートしてくれたら……。という思いは確かにあったけれど、半ば消去法的に『浅田家!』かなあとの感覚だった。


けれども今年の日本アカデミー賞は、各賞発表の時点で例年とは大きく異なっていた。そう。受賞が完全にバラバラだったのだ。というのも日本アカデミー賞と言えば『最優秀賞を多数受賞した作品が最優秀賞作品賞を受賞する』という認識がどこか存在していて、例えば前述の松坂桃李とシム・ウンギョンが受賞した末に最優秀賞作品賞を『新聞記者』が受賞した昨年の流れ然り、今年もやはり同じ感覚でテレビを鑑賞していた。すると結果最優秀助演女優賞に『浅田家!』の黒木華、最優秀助演男優賞に『Fukushima 50』の渡辺謙、最優秀主演女優賞に『MOTHER マザー』の長澤まさみ、最優秀賞主演男優賞に『ミッドナイトスワン』の草彅剛、更には最優秀脚本賞に『罪の声』の野木亜紀子と、今年は全く異なった受賞者が並び、中継を行っていた坂上忍も水卜アナウンサーに受賞候補を聞かれた際に「分かりません!」と叫ぶ程、予想不能な展開となった。


そんな驚きの流れの果てに発表されたのが、冒頭の『ミッドナイトスワン』の最優秀賞受賞だった。恥を承知で書き記してしまうが、僕はこの瞬間に自分の無知を大いに恥じた。何が自称映画評論家だと、心底自分自身に憤りを覚えた。そして「マジすか……」と涙を通り越して驚きに満ち溢れた草彅氏の表情を見て、何故だか泣きそうになってしまった。「人の努力が評価されない世の中はおかしい」と僕は夢を目指してからの4年間ずっと言い続けてきたが、いつしか僕は人の努力すら無意識に視界に入れないような、反旗を翻す大人になってしまったのだと痛感した。直後衝動に突き動かされた僕は『ミッドナイトスワン』の予告編をYouTubeにて拝見したが、とても面白そうだった。「これは劇場で観るしかない!」と本能的に感じたが、既に映画館での公開は終了していることに気付く。こんな映画評論家、日本中を探してもそうはいないだろう。もちろん悪い意味でだが。


「努力は評価されるべき」……。かねてより僕のポリシーとしてきたその思いは今も変わってはいない。ただ年を取るにつれ、はたまた仕事だ趣味だと忙殺されているうち、確固たる信念すらいつしか霧散し、それとは対極に位置する感情へと変化してしまう。そのことを僕は今回の日本アカデミー賞で、強く感じた次第だ。「自分が正しいと思ったことはその実、決して正しい訳ではない」という子供でも分かる事柄を、今になって改めて突き付けられた感覚だ。思い返せば映画以外にも、こうした半ば自己中心的な穿った思いはあった。流行りの音楽。政治。対戦ゲーム。上司との確執。ライター業……。最寄りのコンビニでの他愛のない一幕さえ、もしかすると「自分が正しい」との思いから横柄な態度を取っていた可能性もある。今回の件は今一度自分自身を戒める、重要な機会であったのではないか。


自分本意な生活から、他者性を俯瞰する生活へ……。此度の日本アカデミー賞は至極間接的とはいえ、今後の自分自身を見詰める契機となった。これからは少しでも謙虚に生きていこう。そう思った僕は、取り敢えず『ミッドナイトスワン』を今月中に観るという誓いを自分自身に課しつつ「アカデミー賞 ミッドナイトスワン」とエゴサーチし、今日も空虚な夜を過ごすのだった。そしてふと思う。……僕は本当に『ミッドナイトスワン』を観るのだろうかと。

 


映画『ミッドナイトスワン』925秒(15分25秒)予告映像