こんばんは、キタガワです。
ロックバンドをロックバンドたらしめる何よりも重要な楽器・エレキギター。そんなギターを始めるに当たってまず最低限の習得が必須となるテクニック……。それこそがGやFに代表される、所謂『ギターコード』と呼ばれる代物である。ギターの教則本の大半がコード練習関係で埋め尽くされているように、ギターを演奏する上で最も純然たる事実として垂直に立っていて、兔にも角にもパワーコード然り単純なコードループ然り、ギターは何かしらのコードを連続して弾けなければまず話にならない。よって一般層が普段好んで聴いているアーティストのサウンドも十中八九、ごった煮した様々なコードの上で成り立っているはずだ。
そんなコード進行を軸とするギターであるが、当然ながら趣を異にするテクニックというのもいくつか存在する。その中で今回取り上げるのが、単音で音を奏でる飛び道具的な奏法である。『単音』と聞いて世間一般的に脳裏を過るのはやはりギターソロにおけるサウンドのイメージが強いだろうが、その実単音をサウンドの主軸として活動するギタリストやソロミュージシャンは数多く存在する。しかしながら『ロックバンドで単音でギターを鳴らす』というのは世界的に見ても極めて珍しく、そのメロディーの難しさから誰もが実践に至らない、ある種不遇な奏法とも称することが出来る代物なのだ。
そこで今回は『エレキギターの単音が印象的なバンド5選』と題し、ギターの新たな可能性を見出だした独自性の高い5組に迫っていきたい。本来ジャーンと豪快に掻き鳴らされるギターとの差分を大いに楽しむと共に、極めて大きな魅力を孕むユニークな単音の数々に身を委ねてみてほしい。
Foals
イングランド出身のプログレッシブロックバンド・フォールズ。彼らの特徴はズバリ、徹底して単音を中心に据えた独自性の高いサウンドであろう。下記の“My Number”や結成当初の代表曲“Cassius”、果ては最新曲“Neptune”に至るまで、フォールズの楽曲はとにかく単音が目立つ作りとなっているばかりか、コード弾き自体がほとんど行われない。これはバラードからハードロックの全てにおいての共通事項であり、以降様々に変遷を遂げたフォールズにおいては突出して一貫している部分だ。
フォールズの楽曲は基本的に、2本のギターサウンドを軸としてフロントマンを務めるヤニス・フィリッパケスによるパワフルな歌声が追随する、どこか寂寥を覚えるような一風変わった形を取っている。これはかねてより彼らがポリシーとする「何よりも自分たちが踊りたくなるような音楽を作る」との考えに基づいて確立されたもので、シンプルな四つ打ちでもコードを掻き鳴らすアンサンブルでもない、全く違った境地に至った理由のひとつとされている。
なおフォールズは似通ったアルバムを制作することに否定的であることもたびたびインタビューで語っており、若者特有の初期衝動を前面に押し出した性急なファーストアルバム“Antidotes”からは死生観を社会情勢を体現したもの、バラードに特化したもの、政治色を色濃く反映したものなどアルバムごとにバラエティーに富み、最新のアルバムに関しては陰と陽を体現するが如くの完全なる二部構成となっている。残念ながら今年の来日ツアーは全て無期限延期となってしまったフォールズは今新たな楽曲製作に当たっており、彼の発言を鑑みるにそれは強い怒りを内在したものになりそうな予感。彼らの発するメッセージが明るみに出るその時を、今は座して待ちたい。
Vampire Weekend
自身約6年ぶりとなるニューアルバム『Father of the Bride』がニューヨークを中心に好評価を獲得するに留まらず、都度特色を変えて新たな領域へと果敢に足を踏み入れるロックバンド、ヴァンパイア・ウィークエンド。
バンドの楽曲を手掛けるのは、フロントマンのエズラ・クーニグ。彼らは楽曲への妥協が微塵もないレベルまでクオリティを高めたい性分らしく、活動は極めてマイペース。故に「次のアルバムは年内にはリリースされる」と公言しておきながら結果としてその翌年、もしくは翌々年に発売される事例もたびたび発生しており、加えて昨今のライブでは音源に劣ってしまわないために『バンドの正規メンバーよりもサポートメンバーの方が多い』という総勢9名にも及ぶスタイルで演奏を行うことからも、彼らが徹底して音源第一主義を貫いていることは見て取れるだろう。
そんな彼らの代名詞とも言える存在が、YouTube上で4000万回を超える再生数を記録した“A-Punk”に顕著な単音サウンドである。因みに現在の彼らは若干ムーディーかつミドルテンポな楽曲を多く産み出しており、かつての彼らと今のサウンドは多少なり異なっている。しかし単音を主軸にグルーヴを形作っている点においては今も変わっておらず、彼ら自身も「昔の僕らがいたからこそ今に繋がっている」と考えている関係上、ライブにおいてもかつてのパンキッシュな“A-Punk”や“Cousins”等の初期の楽曲にも然りにフォーカスを当てている。
なお博識なエズラによるその時々の心境は作品に多大な影響を及ぼしていて、3枚目のアルバム『Modern Vampire of the City』では混沌とした仕上がりに、最新作『Father of the Pride』はまさに彼が晴れて父親になったからか、若干晴れやかな曲調へ回帰している。そんな中やはり気になるのは次作の動向。彼がこのコロナ禍の自粛期間に湛えた思いは怒りか、はたまた希望か。何にせよ自作は間違いなく、その真実を体現するものになるはずだ。
QOOLAND
アマチュア・アーティスト・コンテストであるRO69にて優勝を果たし、当時全くの無名ながらも大型フェスへの出場権を獲得したQOOLAND(クーランド)。彼らはボスハンドタッピングと呼ばれる奏法を駆使したサウンドメイクを軸としている点において、他のバンドの演奏スタイルとは大きく異なっている。
『タッピング』とはギターのフレット部分に直接触れて音を出す奏法だが、ギタリストの大半は基本的に、タッピングを自身の演奏に取り入れることは稀である。その理由はひとつで、純粋に難易度が高いからだ。両の手でフレット部の弦のみを操るタッピングは、触れた場所が少しズレただけでもミスタッチとなる危険性を孕んでいる。加えて同様の理由で常に目線をフレットに配らざるを得ない関係上、ライブで直立不動を余儀無くされる……つまりは機械的なプレイになりやすく、今ではPCによる打ち込みの技術が発達したことで実際に演奏する必要性が薄まってきたことも作用して、今ではタッピングは広がりを見せなくなった。
QOOLANDはそんなタッピングをほぼ全ての楽曲に用いることで、自身の最大の魅力へと押し上げている。以下の楽曲“凛として平気”は夢追い人への誹謗中傷に撃ち抜かれながらも自分を信じ続ける様が歌われる楽曲だが、このサウンドの根幹部分を担うのもタッピング。シンプルなロックンロールに異物感と違和感を内在させることで、結果的にオリジナリティーのある唯一無二のバンドとしての立場の確立に成功している。
その後も「ライブが最もリアルである」として年間100本を越える圧倒的な場数を踏み、活動の幅を広げてきたQOOLANDだが2018年に惜しまれつつ解散。中心人物であった平井はその後数ヵ月間アルコール依存症による鬱病と希死念慮に苛まれる日々を送っていたが、同年新バンド・juJoe(ジュージョー)を結成。今ではQOOLAND時代と完全に逆行する、コード進行を主体とした楽曲を多数発表している。juJoeが描くのは、取り繕わないリアルな日常。社会復帰のリハビリのつもりで辿り着いたというこのバンドもまた、ひとつの生き方だ。
八十八ヶ所巡礼
CDレンタルやサブスク、メディア露出はほぼなし。このご時世における『売れるための法則』とは真逆の音楽道を突き進み、一貫して音源とライブの力だけで注目を獲得してきた八十八ヶ所巡礼。彼らの魅力を語る上では文学的な歌詞やサイケデリックな音像はもちろんだが、何より圧倒的存在感を見せ付けるバンドのギター・Katzuya Shimizuによる超絶技巧がフィーチャーされることが極めて多い。
実際僕は何度かライブに赴いた経験があるのだが、に目の当たりにすると完全なる異次元の領域。まずKatzuya Shimizuのギターは手元を見ず、虚ろな瞳で前だけを見据えるロボットの如き挙動に終始。キンキンとした金属的高音がライブ後も慢性的な耳鳴りを呼び起こすバカテクぶりだ。……それもそのはず、彼は八十八ヶ所巡礼の活動と平行してギターの講師も務めるプロのギタリストであり、彼の公式ツイッターを見てもコード進行というよりは単音による即興的なサウンドメイクに秀でている。
以下の“攻撃的国民的音楽”に顕著だが、八十八ヶ所巡礼の基盤を固めるのはボーカル・ベースを務めるマーガレット廣井とドラムのKenzooooooであり、彼らが一定のリズムの刻む中、そこに傍若無人に弾き倒すKatzuya Shimizuのギターが入ることで一歩誤れば瞬時に破綻するギリギリのサウンドを形成している。これこそがサイケ。これこそが混沌であると体現する彼らの音楽は世界的にもあまりクレイジーであり、逆にそれが彼らを唯一無二の存在たらしめているのだ。
なお昨今の彼らはかつてのギター主体のサウンドに加えて更に楽曲全体に膨らみを持たせる術を身に付けており、ゆったりとしたダークな楽曲、打ち込み主体の楽曲、ベースを軸にグルーヴを重視する楽曲など、千変万化の引き出しでもって聴き手を翻弄し続けている。先日初のサブスク解禁となった新曲“幻魔大祭”は、何と頭を駆け巡るギターリフから約1分後にボーカルが参加する幻惑的な楽曲。総じて今後の彼らの行く末は今も、良い意味で霧に包まれている。
トリプルファイヤー
ポップが台頭する時代に突如出現した脱力系バンド・トリプルファイヤー。彼らの魅力は作詞・ボーカルを務める吉田靖直による謎過ぎる言葉回しと、それとは対照的に地に足着けた高難度の演奏に終始する楽器隊による幻惑的なアンサンブルである。
吉田は現在33歳。某インタビューにて「余裕が出来ると空いてる時間にめちゃめちゃ2ちゃんねるとかを見始めちゃう」と語る吉田はバンドがある程度軌道に乗った現在においても、様々なアルバイトを転々とする人生を歩んでいる。故に普段極めて遅い小声で話す吉田は、素面の自身の言動がもたらす相手への申し訳なさからライブはもちろん、テレビやラジオ番組に出演する際には必ず250mlの焼酎の小瓶、ないしは1杯程度のアルコールを最低限摂取して赴くと語っており、その存在証明なキワキワだ。
巷で流れるポップテイストな流行歌ではなく明らかに歪な、それでいて不思議な魅力を醸し出す楽曲というのは、今の世の中では稀である。しかしながらバズらせようと狙った訳でもなく、自然体で奏でたサウンドが結果的に意味不明なものとなってしまったトリプルファイヤーには、街中で流れる流行歌とはまた違う魅力を感じてしまうのも事実。
以下の“スキルアップ”は彼らの低血圧な進行に、遂にロックバンド然とした熱量を混在させたキラーチューンだ。《以前はこうして 棒を突き刺したり風船を膨らせたりする毎日に/何の意味があるのかなんて 考えたこともあったけど/指導力のある上司や 充実した設備のおかげで確実にスキルも付き/ここまで大きな現場を任されるようになりました/ありがとうございます》とのラストの一幕を含め、衝撃を与えると共に流行に属しない穿った人間の鼓膜を刺す、唯一無二の世界観を形成するに至っている。
かねてより「あまり売れたいとは思っていない」と語っている吉田。時代が彼らに追い付く可能性も少なからずはあるだろうが、万が一バズることがなくとも、有名テレビ番組『タモリ倶楽部』でタモリと共演してダメ人間のレッテルを貼られたり、ライブでは不思議と笑いが起こっている今というのも、それはそれで彼ららしいとも思うのだ。
トリプルファイヤー "スキルアップ"(Official Music Video)
……さて、いかがだっただろうか。ギターの単音が印象的なロックバンドの世界。
冒頭に綴った通り、日本における流行歌と呼ばれる音楽は十中八九、コード進行を軸にして作られている。単音を用いることはあれど、ほぼ一貫して単音をベースに楽曲を形作るというのは、世界的に見ても極めて珍しいだろう。けれどもギターに初めて触れた人間が無意識的にポロポロと解放弦を爪弾いてしまうように、ギターの根元的な始まりは単音なのだ。そして音楽というのは期せずして、一切のルールが定められていないある種無秩序なものだ。ポップも打ち込みも、極端な例を出してしまえば初心者が感情の赴くままにギターを掻き毟り、ノイズをただ出し続けるだけの不協和音も『音楽』なのだ。だからこそ今回紹介したFoalsやVampire Weekendが楽曲の再生数が2000万回を超えるなど一般大衆の好評価を得るに至り、片や八十八ヶ所巡礼とトリプルファイヤーはそのあまりに歪なサウンドが口コミを呼び、今ではライブが毎回ソールドアウトする程の人気を誇っている現状も鑑みるに、やはり「単音を主軸とした音楽があっても良いのではないか」と、心から思ってしまう。
前述の通り、ロックには決まったルールがない。ならば徹底して単音のサウンドを武器にする、一癖も二癖もあるバンドがいても良いじゃないか。今回の記事が総じて、読者貴君の新たな音楽へと触れる契機となれば幸いである。