キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

僕は今日も、タイミングを逸し続けている。

僕は今日も、タイミングを逸し続けている。

思えば僕は、様々な業種を転々としてきた。映画館、道路交通警備員、学童保育、カラオケ、焼肉屋、携帯販売会社、コンビニ、ライブ運営……。その退職数は正社員の労働形態を含め計10回。合計の面接回数で数えれば30回以上に及ぶ。一口に「様々な業種を経験している」と言えば聞こえは良いが、実際その大半はやんわりとクビを言い渡されるか精神状態が限界を迎えた末の自己退職であり、円満に退職したことなどほとんどない。

とどのつまり、僕は世間一般の『普通』に適応出来ない社会不適合者だったのだ。無論、騙し騙し続ける選択肢も存在しただろう。けれどもある時期に当時奴隷のように扱われていたアルバイトにおいて退職を切り出せず、その結果身体的異常をきたしてからというもの、以降退職の旨を伝える際は必ずタイミングを逸さないよう万全の注意を払っていた。

実際かれこれ3年間続けている今のアルバイトも、辞めたいと思ったことは何度もあった。けれども僕は幸か不幸か、今のバイト先に関してだけは退職のタイミングを幾度も逸し続けていた。いっそのことスッパリ辞めて、心置き無く夢を追いかけてみようかとも思う。しかしながら今までの仕事生活を考えると、某かのバイトをしたとて僕は直ぐ様辞めるだろう。そもそも、一月分のアルバイト代を消失しただけで無一文になる現状だ。それならぬるま湯に浸かっておくべきであるとの自己弁護を何度も図りつつ、僕は今の無為なバイト生活に甘んじている。

この日もまた、そんな思いを内包しながら業務に当たっていた。

何故かこの日は、開店直後から右へ左への大忙しだった。店内は多くの客でごった返しており、従業員は短期で雇ったアルバイトを含め、皆何かしらの理由で動けないでいた。ふと店の外に目をやると、駐車場に入ろうにも入ることの出来ない自家用車が輪になって回り続けている始末。外は久方ぶりの晴天だが、僕の心には暗雲が立ち込めたようだった。

僕は「いらっしゃいませ」と空虚な言葉を吐き出しながら、棚空きになった箇所の品出しに勤しんでいた。ぶらりと店内を巡回し、棚空きを発見したら即座に埋めにかかる……。そんな馬鹿でも出来る単純作業でもって、僕は心に少しばかりの希死念虜とやるせない気持ちを抱えながら、一日の労働を果たす。

そんな時間を続けて1時間が経とうとした頃だった。活気に溢れた店内に突如、怒号が響き渡った。

「あんた!止めろって言ってるでしょ!」

怒号の主は、およそ20歳前後と思われる女性だった。濃い化粧と胸元を強調した出で立ちはたちの悪いキャバ嬢を彷彿とさせ、更には冷たく鋭い目付きも相まって「近寄りたくない」と瞬時に思わせる威圧的なオーラさえ放っている。

彼女の怒りの矛先は、自身のひとりの子どもに向いているようだった。目を凝らすと女性の側で、玩具を手に持った子どもが笑顔を浮かべているのが見えた。その見た目は幼い。その幼さと挙動から察するに、最近保育園に入園した頃合いの歳であろう。そんな手に持った玩具をしきりに振り回す子どもを眼窩の中心に据え、母親は猛獣の如く怒り狂っていた。実際ネガティブな感情の螺が外れたような子どもと激昂した母親のコントラストは賑やかな店にはあまりに不釣り合いで、行き交う客は皆意図的に視線を外し、見て見ぬふりを決め込んでいた。

更に周囲を見渡すと、少し離れた場所にもうふたり、男の子を見付けた。そのふたりに関しては最初に視界に入れた子どもとは対照的に、常に目線を下げ、まるで何かに怯えるように俯きながら、母親の後を追っている。

片や彼らの母親は、苦虫を噛み潰したような表情で自身の子どもたちを見つめていた。その視線はある種の諦めと焦燥を孕んでおり、おそらくは日常的に繰り広げられるひとりの子どもの自由奔放な行動に辟易し、加えて内向的なふたりの子どもに対しては眼中にもないのだろうとの心情がありありと見て取れた。

……僕は漠然と、「これがネグレクトか」と思った。後先考えずに子作りに励んだのか、はたまた金銭的にに余裕があったのか。その真意の程は不明だが、少なくともその家族は傍目から見てもハッピーな家庭生活を子どもが送っているとは到底思えなかったし、母親側も悪びれる様子は一切見られなかった。

僕は心が痛む感覚に陥りながら、引き攣った笑顔を携えてその家族の横を通り過ぎた。瞬間、耳元の無線からレジに向かうよう指示があった。どうもレジの人手が足りないらしい。僕は「了解です」との空虚な返事を終えると、足早にレジへと向かった。

当然の如く、レジには通行を妨げる程の長蛇の列が出来ていた。僕は「失礼します」と客を掻き分けレジへと到着すると、そこからは目の前の業務に没頭した。いつしか大量の客を捌くうち、あの家族の悲痛な光景は頭から消え去っていた。

状況が一変したのは、それから数十分が経過した頃だろうか。甲高い金切り声がうっすらと、けれども確かなリアリティーでもって聞こえてきたのである。僕が働いているバイト先ではレジに向かうまでの道程に、横並びで乾電池やらウエットティッシュやら、日用品や消耗品が数多く置かれている。実際に目撃していた訳ではないため定かではないが、遠くで聞こえる怒号から推察するに子どもがそうした列に並べられた商品を次々と手に取ってしまうため、あの母親がしきらはに叱責していたのだろう。当時僕とあの家族との距離は遠く離れてはいたものの、言動を改めない自身の子どもに対して母親の怒りのボルテージが上昇の一途を辿っていることだけは、ひしひしと伝わってきた。

更にそれから数分後、運命の時が訪れた。そう。あの家族がレジに到着してしまったのだ。しかも運の悪いことに、僕が担当しているレジに。

僕は粛々と仕事を遂行した。挨拶。商品スキャン。袋詰め。会計。その全てでなるたけ家族の誰もが視界に入らないように心掛け、かつ機嫌を損なわないように、出来る限りの配慮を持って臨んだつもりではあった。

全ての商品を渡し終わった後、僕は運命の接客の締め括りとして「ありがとうございました」と頭を垂れた。その瞬間、ふと視線を感じた気がした。確かな気配を察して顔を上げると、その視線の正体は数十分前なか常に地面に視線を落としていた、ふたりの子どものうちのひとりだった。あの家族の大半が出口へと向かう中、彼だけが僕をじっと見つめているのだ。子どもの目の奥は、僅かばかりの寂しさと憔悴と、そして何より「どうか助けてほしい」との心からの渇望を湛えているようにも思えた。

些細なミスを繰り返し、クレーマーに捕まり、店内を駆けずり回り……。結果、この日のバイトは散々だった。けれどもその何倍も「何故あの子を助けられなかったのか」との後悔の念が僕の頭を支配していた。

僕は彼の腕を引けなかった。否、引かなかったのだ。おそらく僕の性格からして、もう一度あの日を繰り返したとて、彼を助けることはなかったろう。けれども意識の埒外に存在するであろう何がしかの行動を取っていたのなら、何かが変わっていたのだろうか。あれから数日が経つ今も、あの家族との邂逅は奥歯に挟まった魚の骨のように突っ掛かり、心をざわつかせる巨大な要因となっている。

……僕は今日も、タイミングを逸し続けている。