こんばんは、キタガワです。
『田舎を舞台にした映画は動員が伸びやすい』という話を聞いたことがある。
理由は単純で、「地元が取り上げられてるなら観に行くか」と思わせられるからである。もっと言えば地元のローカルテレビや地方新聞、更には駅や施設にビラを適当に撒いていれば、そこに暮らしている人々に容易にアピールができる。そうなればそれこそ田舎……特に高齢者が多い県などでは「ちょっとした暇潰しに」と映画館に足を運ぶきっかけを作り出せるのだ。
こうした実情を踏まえて僕の考えを語らせてもらうと、僕はこうした風潮を非常に嫌悪している。なぜなら上記の『田舎を舞台にすれば何でも売れる』という考えでは、圧倒的に通常の映画よりも質が落ちるからだ。
映画を作る以上、その根底には絶対に『面白さ』がなくてはならない。そこをおろそかにしてしまうのは話が違う。要は「作るならちゃんと作れよ!」と思ってしまうのだ。「地元民が観るからパパっと作りました」ではなく、いかに地元民以外にアピールできるか、いかにリピーターを増やせるかが課題になって然るべきで、膨大な愛情を注いでこそ作られるもの、それが映画なのだ。
……とまあ大仰に書いてはしまったが、ここからが本題である。
今回鑑賞した『僕に、会いたかった』は、僕が20年以上に渡って暮らし続けている地元・島根県を舞台にした映画である。
予告編にも記載があるので明言しておくと、タイトルにある『僕に会いたかった』という意味深な言葉は、ズバリ記憶喪失を表している。
主人公は記憶を無くした状態で島根県・隠岐の島町で生きる漁師。記憶を無くしつつも懸命に日々を生きる彼だが、実は家族にはとある秘密があった……といったストーリー。
隠岐の島町に行ったことのある人ならお分かりだろうが、正直に言って何もない辺鄙な場所だ。コンビニもカラオケもほとんどない。あるのは広大な海ばかりという『THE・島根』を体現したような場所、それが隠岐の島町なのだ。
そんな隠岐の島町の魅力をふんだんに詰め込んだ映画、というのは事実ではあるのだが、内容に関しては正直「うーん……」といった感じが否めなかった。
登場人物がそれなりに多く、かつそれぞれのキャラクターにスポットが当たることはまだ良いとしても、その展開が起承転結のうちの『転』あたりで止まるため、消化不良のまま次に進むのが気になった。そのキャラクターたちが主人公の行く末を大きく左右するものならまだしも、特に関わりのないまま続行するため若干テンポに乱れが。
極めつけは(詳しくは書かないが)本編のラスト。ハンドルを急旋回するかの如く突如始まる某所は、明らかなお涙頂戴が透けて見えるようだった。逆に言えばベタな感動ストーリーが好きな人向けの映画と言える。
この映画をオススメするならば『恋愛映画くらいしか観ない人』ということになるのだろう。おそらくは映画を月に何本も観るようなコアな映画ファンにとっては、内容がいささかお粗末か。
地元民を一切傷付けない隠岐の島町PR映画としては100点の出来だとは思う。しかしながら高い料金を支払うひとつの日本の映画として『君の名は。』や『カメラを止めるな!』と同じ土俵に上げて比較して見ると、内容のスタンダードさや撮影自体のチープさが露骨に分かるような、そんな映画だった。
ストーリー★★☆☆☆
コメディー★☆☆☆☆
配役★☆☆☆☆
感動★★★☆☆
総合評価★★☆☆☆
(映画.com平均評価・星3.7)