キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

『似非ファン』からwowakaさんへ。

こんばんは、キタガワです。

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『あの時』から、もう数日経つ。『後悔先に立たず』という言葉があるが、僕は今でもその言葉を重く噛み締める日々を続けている。おそらく文章はめちゃくちゃになっているだろうが、自身の気持ちを整理するためにも書き進めたいと思う。


4月8日。突如公式ツイッターで発表されたヒトリエのwowaka(Vo.Gt)の訃報は、日本列島を駆け巡った。ヒトリエのライブに足を運ぶ現状のファンのみならず、ボカロP時代を知るリスナーたちの悲痛な叫びが、それぞれの140文字の中にぐしゃぐしゃに書き殴られていた。


本当に多くの人に愛されていたのだ。wowakaという人は。ハチ(現・米津玄師)と共にボカロ時代を牽引してきた第一人者であり、ヒトリエを結成してからも、唯一無二のサウンドでもってロックシーンを盛り上げてきた。にも関わらず31歳の若さでこの世を去るのは、あまりにも残酷ではないか。


それこそ『メンバーの諸事情』との理由でヒトリエのツアーが中止になった時点で、「何か嫌なことが起きている」という確信はあった。数ヵ月前、同事務所に所属するFear, and Loathing in Las VegasのKeiが亡くなった際の一報も、文言ひとつ取っても似通ったものだったからだ。


そこから数日間、沈黙の時間が続いた。ファンは皆「どうか杞憂であってくれ」と望んでいたと思う。結果としてその思いは叶わなかったが、未だ実感が湧かない。あるのは虚無感ただひとつだ。


僕が個人的に彼らのライブを観たのは3回。ファーストフルアルバム『WONDER and WONDER』リリースツアーと、セカンドミニアルバム『モノクロノ・エントランス』リリースツアー、そしてサーキットイベントだ。

 


ヒトリエ『センスレス・ワンダー』MV / HITORIE - Senseless Wonder


奇しくもその3回のライブは全て『センスレス・ワンダー』からの幕開けだったと記憶している。甲高く鳴り響くギターと性急なビートは観客のボルテージを上昇させ、一瞬にして灼熱のダンスフロアに変貌させていた。wowakaが歌い始めた途端に自然発生的に手拍子が鳴り、サビに突入する頃にはモッシュとダイブがあちらこちらで発生していた。僕はもみくちゃにされながら「ヒトリエのライブはこんなに激しいんだ」と心底驚いた。


1回目のライブに衝撃を受けた僕は、そこから当時自身の住んでいる地域でライブがあるたびに通うようになった。全身ヒトリエグッズで身を包んだ状態でライブに行き、その都度モッシュに参加した。思えばシャイで内向的な僕がモッシュをするのは、ヒトリエ以外にはほとんどなかったんじゃなかろうか。


ライブ終了後には寒空の中出待ちをし、実際に彼と話をしたこともあった。人付き合いが苦手で時折言葉に詰まる僕に対し、彼は全てを包み込むように接してくれたことが嬉しかった。結果としては3回目のサーキットイベントを最後に地元である島根県に戻ることになり、それが彼を観た最後の日となった。


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースし、アルバムツアーを回っていたヒトリエ。僕はそんな彼らのライブを、もう何年間も観ていなかった。遠征費用が足りないとか時間がないとか、あれこれ理由を付けながら、前へ進み続ける姿を最後まで見ようともしなかったのだ。


僕は自分の愚かさを恥じた。CDを購入し、各紙のインタビューに目を通し、3回ほどライブを観て出待ちしただけの分際で「自分はヒトリエの熱心なファンである」と吹聴して回っていたのだから。


何がファンだ、と思った。彼が亡くなった後に改めてアルバムを聴き直してみたが、どのアルバムも血湧き肉踊る、最高のロックアルバムだ。そんな楽曲を手掛けた絶対的フロントマンの訃報は、僕の心に罪悪感と虚無感を与えてくれた。いくら悔やんでも悔やみ切れないが、時間は戻って来ない。


wowakaが10代後半の頃に構築したボーカロイドプロデューサーとしての一面を落とし込んだバンド、それがヒトリエだった。


今でこそ米津玄師や須田景凪といったかつてボーカロイドで楽曲を製作していたプロデューサーたちが、フロントマンとして表舞台に立つことも増えてきたが、その中でもいち早くバンドに着手したのはwowakaだと思う。


はっきり言って、彼の音楽はバンドシーンでは浮いていた。彼はヒトリエ結成当初から『人力ボカロ』を徹底して貫いていた人物だ。彼の製作したボカロ時代の楽曲に『ワールドエンド・ダンスホール』や『ローリンガール』があるが、これらはバンドでは実現不可能なほどに速く、異常なほど難易度が高かった。


もちろんヒトリエの楽曲は全てwowakaが手掛けたものであるため、必然的にヒトリエの楽曲も爆速BPMでもって展開する、高難度のものばかりだった。しかしそんな楽曲群は、イガラシ、シノダ、ゆーまおという同じネットシーンで活躍していた名プレイヤーを集めることにより、100%の完成度で機能していた。ヒトリエは4人でひとつ。その4人でなければ出せないサウンドがそこにあった。


wowaka亡き今、ヒトリエがどうなるかは分からない。メンバーが「今後のことについては考えがある」とツイッターで発言していたので、何かしらのアクションは起こすだろうと思う。


しかし悲しいかな、今後wowakaが楽曲を作り歌う可能性がゼロなのもまた、間違いない事実なのだ。


ここからは余談だが、wowakaが亡くなった後、実はすぐにブログを書く予定だった。だが書き始めると全く筆が進まない。僕は何を書こうとしているんだろうと、泣きそうになってくる。結果何日も置いて今公開しているわけだが、心底「本当に好きなアーティストが亡くなったとき、こんな気持ちになるんだな」と思った。


日頃音楽についての記事ばかり執筆しているが、僕の中では『好きな音楽』と『微妙な音楽』の線引きはしっかりしていると思っている。アルバムの楽曲を4分の1くらいしか聴かなかったり、1曲だけしか知らないアーティストもたくさんいる。そんな中ふと思ったのだ。「そういえばwowakaとヒトリエの曲は全部歌えるなあ」と。


何にせよ、僕は何年もライブに行っていなかった。言うなれば僕は、彼の心からのファンではないかもしれない。いわば似非ファンだ。でも彼は心から大好きなアーティストだった。


ご冥福をお祈り致します。どうか天国でも最高の音楽を鳴らし続けてください。これからもあなたの音楽、聴き続けます。本当にありがとうございました。

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