キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

映画『十二人の死にたい子どもたち』をボロクソに叩く~死ぬのは簡単なことではない~

こんばんは、キタガワです。

 

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かねてより豪華俳優陣や若者の自殺に焦点を当てたストーリー、橋本環奈の起用と、とてつもなく期待値が上がっていた『十二人の死にたい子どもたち』を、公開初日に観てきた。


最初に結論を書かせてもらうが、とんでもない駄作だった。上がりに上がったハードルを飛び越すどころか、飛ぶことそのものを放棄したかのような出来。2時間の間、言い様のない絶望感が体を覆い尽くし、いろいろな意味で死にたくなった。


どうしてこうなった。どうしてこうなった。


そこで今回は、シナリオを3つのパートに分け、徹底的に解説したいと思う。愚痴とネタバレだらけなので、観賞予定の方及び印象を損ねたくない方は、絶対に読まないでほしい。

 

 

序盤

集団自殺のために廃病院に集まる12人の若者の描写から、映画はスタートする。


まず、この冒頭がとにかく冗長である。廃病院に入り、各々の準備をし、その後番号札を金庫から取り出し、集団自殺を行う場所まで移動する……。それを12人分やるわけだから、そりゃ長くなる。


この長ったらしい冒頭の理由は後程判明するわけだが、こちらは後述する。


そんな長い冒頭の末、若者はとある場所に集合する。中央にテーブル、そしてその周囲をぐるりと囲む形でベッドが設置してあるという、重苦しい空間だ。


しかしよく見ると、既にベッドで死んでいる人物がいた。側には大量の睡眠薬と車椅子。その場に集まった若者は「彼は全員が集合するのを待ちきれず、先に自殺したのだろう」と推測する。

 

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そして主催者である1番が到着し、企画趣旨を説明する。内容は至ってシンプルで、『集まった12人で集団自殺をする』というもの。「異議のある人はいますか?」と決を取るが、みな心は決まっているようで、誰も手を挙げない。


そんな中、一人の男が質問する。「あの人は誰ですか?」と。そう。集まる予定だった人数は12人。テーブルを囲む若者はちょうど12人いる。しかし、ベッドで既に死んでいる人物を含めれば13人。数が合わないのだ。


主催者である1番は死んでいる人物を一瞥し、声を上げた。


「知りません。あの人は誰ですか?」


主催者も知らない13番目の人物。謎の人物が死んでいるとなれば話は変わってくる。それはこの中に殺人者がいるという紛れもない事実であり、このまま集団自殺を遂げたところで、謎が残ったままだ。


このままでは死ねない。かくして、12人が納得して死ねる環境を作り上げるための犯人探しが始まった。

 

序盤の愚痴

この時点で、まずおかしい部分が散見される。そもそも死にたいのであれば、謎の死体を無視して今すぐ死ぬべきである。


なぜなら殺人者がいようが死体が誰であろうが、集まった若者には全く関係ないことだからだ。そこで「よし!犯人探そうぜ!」となった時点で、「え?お前らの自殺願望ってその程度だったの?」と疑問に思った。今すぐ死ねよと。

 

中盤

自殺は一旦中止となった。一先ず、ゼロバン(死んでいる人物)を誰がどうやって運び込んだのか推理することに。


入り口は狭すぎて車椅子では通過できないし、そもそも会場に到着するまで、ゼロバンの顔を誰も見ていない。そこで各自が会場に入るまでの経緯について、証言するシーンへ。


序盤の時点で、謎のタバコや変装用の帽子、女子トイレにあった靴など、疑問に思う箇所が描写されていた。その証言を元に4つのグループに別れ、謎の箇所に行ってみることに。


その過程で語られるのは、『なぜ死のうと思っているのか』という物語にとって非常に重要な部分だ。理由は人それぞれで、死亡保険を受けとりたい人やイジメで心に傷を負った者等がいた。


結局謎は深まるばかりで、一旦テーブルに集合。そこでは「服装が犯人っぽい」「あのとき屋上から階段を降りて来た」などという謎理論の犯人探しが始まる。

 

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5番、8番の推理の末、9番が「自分がやった」と犯行を自供。「続きはテーブルで」と語るものの、帰る道すがら、誰かに階段から突き落とされてしまう。


9番に起きた悲劇を知らない11人は、一旦テーブルに集合し、9番の到着を待つ。待っている間は、再び各自の死にたい理由について話が及ぶ。

 

中盤の愚痴

この中盤で問題となるのは、主にふたつ。自殺の動機と9番突き落とし事件だ。


まず、自殺の動機から。ここがあまりにも薄い。そもそも自殺というのは、簡単に出来るものではない。『死にたい』ではなく『死ぬしかない』というのっ退きならない状況において、初めて人は自殺を試みる。


だからこそ映画内の自殺の理由は、とても常人では耐えきれないほどの、重大なものでなければならない。例えばヤクザに追われていて、見つかったら拷問に合って殺されるとか、汗水垂らして働きながら高額な借金を返している親に対し、自分が自殺して保険金を下ろさせようとか。そういった背景を知ってこそ、初めて人はそのキャラクターに感情移入するものだ。


しかしこの映画では、死ぬ理由があまりにも薄すぎるのだ。


好きなバンドマンが死んだから後追いしたい(3番)や、女優としての自分に嫌気が差した(4番)、挙げ句の果てには舌にヘルペスが出来たから死ぬ(11番)など、それはさながら一種のメンヘラのようで、全く理解できないものだ。


もちろん真っ当な理由を持つ人もいるにはいるのだが、それも一人一人聴かされていると、次第に「はあ、そっすか……」というどうでもいい感覚になってくる。加えて限られた時間内に12人それぞれ平等にスポットが当たるため、100%中の60%くらいの説明にしかならない。


ヘルペスの件を例に挙げると、「金銭的に限界で、援交を重ねた。その度重なるキスが原因でヘルペスが出来てしまった。自己嫌悪と劣等感に苛まれて精神的に病んでしまい日々が続いた。何度も自殺を試みたが死ねず、藁にもすがる思いでこのイベントに参加した」と詳しく説明されたのなら、自殺をする気持ちもわからなくもない。だがこの映画では、「ヘルペスが出来た!死にたいのよ!」くらいの説明しかないため、どう考えても「そんなんで死にたいのお前?」という感想しか出てこないのだ。圧倒的な説明不足。というか人数が多過ぎて、全員にスポットを当てようとして大失敗している感覚。


次に9番の転落。これに関しては「何で気付かないの?」という一点のみだ。


テーブルを囲んで「9番まだかなー」と待っている時点でおかしい。集団で探しに行くなり、安否を確認するなりするのが常識ではなかろうか。……というかそもそも、そういうことが起こらないためのグループのはずだ。「9番いなくね?よし、戻るか!」という判断を下したあのグループ、間違いなく頭がパッパラパーである。「気付いたらいませんでした!」じゃねーよ。その時点で探しに行け。

 

終盤

9番が血まみれの状態で帰還。9番いわく、階段から突き落とした犯人は6番だと証言し、後に6番は自白。突き落とした理由は「自殺に反対していた9番を殺したら死ねるだろう」と判断したためだと語る。

 

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9番は今回の事件がきっかけで、自殺する気持ちを完全に失ったと語った。それは9番自身が以前人を突き落として殺害した経験があり、初めて突き落とされる側の気持ちがわかったと。


直後、ゼロバンがイビキをかき始める。ゼロバンは実は死んでいなかったのだ。僅かだが呼吸も回復し、安堵する12人。


ここからは、5番の推理が始まる。

 

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まず、ゼロバンを会場に招き入れた犯人は12番。ゼロバンは12番の兄であった。12番が軽率な行動をした結果、ゼロバンは自転車事故によって植物状態になっていた。12番がゼロバンと会場に向かった理由は、ゼロバンと共に自殺するつもりだったという。


誰よりも先に到着したゼロバンと12番。しかしゼロバンは車椅子であり、入り口の扉を通り抜けるだけのスペースがなかった。12番が慌てて周囲を探索していたとき、とあるふたりの人物がゼロバンを発見してしまう。


その人物こそが、7番と9番であった。

 

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車椅子に座ったまま呼吸が止まっているゼロバンを発見したふたり。自殺願望が特に強かったふたりは、このままだと企画が破綻するのではと危惧し、共犯者となる。そして『元々ベッドで死んでいた』という状況を作り出すため、連係プレーによりゼロバンをベッドに乗せる。


女子トイレの靴や変装用の帽子は、その過程でふたりが捨てたものであることも判明した。


全ての謎が解けたため、いよいよ自殺するかどうかの多数決を取ることに。ここで5番が自分の人生を語り始める、重要なシーンへ。


5番はとある病気に侵され、余命宣告されている身であった。5番が自殺を選んだ理由は、「病気で死ぬより自分の意思決定で死にたい」と決断したためであった。しかし今までの過程で、考え方が変わったという。

 

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死んでいい命などないのだと、5番は涙ながらに訴えた。静まり返る会場で、5番は主催者である1番に言った。


「この自殺を中止する多数決をさせてください」


1番は了承し、多数決を取る。結果全員が挙手し、自殺はしない結論に至った。


会場を後にする10人はみな笑顔で、まるで生きる喜びに溢れているかのようだった。


……1番と7番だけは、会場に残っていた。7番は質問する。


「あなた、こうなることがわかってたんじゃない?」


「今回みたいなこと、もう何度もやってるんじゃないの?」


主催者である1番は、自殺願望のある人を集めて自殺させずに帰らせる活動をしており、今回で3回目だと語った。そう。自殺させる気など、最初からなかったのだ。


「わたし、次も絶対に参加するから」と7番が語る。思えば7番は、徹頭徹尾自殺を容認する発言をしていた。「死なせない人がいるなら、死にたくさせる人もいていいんじゃない?」


1番は「お待ちしてます」と笑った。


 

終盤の愚痴

まず伏線回収から。伏線というのは、回収する際に大きな興奮と驚きに満ちたものである必要があるのだが、この映画では回収された後の驚きというのが全くなかった。


それは、ほぼ全ての伏線がミスにより偶発したものだからだ。靴が置いてあったのは偶然脱げたから。変装用の帽子があったのは「もういらないか」と判断して捨てたから。故意のミスなので、感動もへったくれもない。


そしてゼロバン。死んでたのに実は生きてたというのは、ミステリーにおいて最大のタブー。このタブーを用いて大ヒットした作品に『SAW』があるが、あれはラストに向けての伏線が随所に散りばめられていたためである。この映画においてはそんなものはない。


あるのは「はあ?」という落胆だけ。そもそも布団をひっぺがすなり、心臓マッサージするなり、死んだかどうか確認する手段はいくらでもあったはずである。それを怠った結果、後々イビキをかいて「寝てたのかよー!おいー!」は通らない。コントのネタか何か?


そして全てを超越した最大のズッコケポイントは、最後の挙手のシーン。


もはや今までの話はガン無視である。「私は死にたいのよ!」と中盤で12人もの人物がダラダラ語っていたにも関わらず、ひとりの涙を見て「じゃあ私たち死ぬの止めます」は意味がわからない。吉本新喜劇か?


このシーン、かなりの長尺で描写されており、定点カメラワークで20秒近く時間を使い、15秒ほど経った時にゆっくり手が挙がる。次は3番。4番。5番……と続いていくのだが、笑いを堪えるのに必死だった。


これは僕の頭が死んでいるからだと思うのだが、「おっ……おっ……挙げるのか?挙げないのか……?挙がったー!」という古舘伊知郎ばりのナレーションが頭に浮かび、それが何人も続くのだから死ぬかと思った。『十二人の死にたい子どもたち』というより、『一人で死にかかっててる24歳』であった。


最後に笑顔で廃病院を出るシーンもなかなかの笑いポイント。全く意味がわからないので。


この映画はミステリー映画ではない。2時間のコント映画である。時間を無駄にしたい人か、爆笑したい人だけ観に行ってほしい。


それでは。

 


映画『十二人の死にたい子どもたち』予告【HD】2019年1月25日(金)公開