キタガワのブログ

島根県在住。音楽、映画、雑記等。目標はライター。

【就活】卒業ギリギリの3月に内定が出た話

こんばんは、キタガワです。


就職難と言われる昨今、卒業ギリギリまで内定を勝ち取れない人が増加しているそうだ。2016年の調査によると、3月にして無い内定の人は割合にして9.9%。要するに、およそ10人に1人は卒業目前にして内定が貰えていない計算になる。


そんな9.9%の人は、様々な悩みを抱えているだろう。他者と比較して焦り、自分を卑下し……。もしかしたら今、そんな現状に嫌気が差し、最悪な行為を考えている人だっているかもしれない。


僕自身もそんな人間のひとりだった。しかし卒業を目前に控えた3月。絶望のどん底で内定を得た経験がある。今回はそんな話をしたいと思う。悩める就活生たちにとって、微かな光にでもなれば幸いである。

 

 

7月1日……内定

この日、僕は内定を獲得した。10社もの企業からお祈りされ、履歴書と職務経歴書の山に囲まれながら、心が限界になっていた僕の家に届いた1枚の封筒。その中に入っていたのは、採用通知だった。


あの頃は涙を流して喜んだのを覚えている。正直心から入りたいと思っていた企業ではなかったのだが、背に腹は代えられなかった。僕は地獄の就活を生き抜いた。それだけで良かったのだ。


それからは遊び呆けた。毎日のように酒を飲み、ライブに行き、友人を部屋に呼んでスマブラに興じた。就活という呪縛から解き放たれたあの頃の僕は、間違いなく人生で一番輝いていた。


まさか数ヵ月後にあんなことになるとは、思ってもみなかったのだが。

 

3月3日……内定辞退

僕は長い間島根県で暮らしてきた。加えて両親が高齢であり、近いうちに介護が必要になるだろうと考え、面接の時点で「配属先は島根県にしてください」とはっきり伝えていた。


そのときに面接官から「分かりました。では島根県で」という回答があったし、それについてはその後も何度も確認したつもりだ。だからこそ7月に内定通知が届いたときは嬉しかったし、感謝の気持ちを込めて会社に一生を捧げるつもりでいた。


だから3月1日に辞令が届いたとき、僕はてっきり島根県内のどこかの店舗に配属されるものだと思っていた。


しかし、そこに書いてあったのは思いもよらないものだった。


配属先・福岡県太宰府市


目を疑った。見間違いだと思い、何度も確認した。……結果は同じだった。僕は福岡県で一人暮らしをする手筈になっていたのだ。景色がぐにゃりと歪んだ気がした。


すぐさま会社の本部に電話をしたが、「決定は変えられない」の一点張りで、とりつく島もない。聞くと既に太宰府の店長には僕が来るよう伝えているようで、後はアパートを契約するだけ、という状態まで進んでいたらしかった。


仕方なく、両親にこの件について話すことにした。すると両親は涙を流して反対した。65歳を超え、一日中家にいることが増えた身だ。そんな中、一人息子の僕が遥か遠く(島根から福岡までは電車で6時間)に行ってしまうのは、耐え難い不安だったのだろう。「それだけはやめてくれ」と、何度も懇願された。


僕は内定を辞退する決意を固めた。死ぬほど悩んだ末の苦渋の決断だった。こんな時期に辞めるのは非常識だとは分かっている。しかし本来の決定と異なる辞令が言い渡された以上、こちらとしても異議を唱える権利はある。そしてそれが通らなかった今、『辞める』という選択しかなかった。少なくとも当時はそう思っていたのだ。


そして辞令が届いてから2日後の3月3日。僕は正式に内定を蹴った。

 

3月4日……運命の応募

卒業まで1ヶ月を切り、周りの友人は旅行に出掛けたり、内定が決まった会社に入社するまでの準備を進めていた。そんな中、僕はひとり取り残されたように就職活動をすることになった。


内定を蹴った次の日の僕は、マイナビやリクナビなどの就活サイトを巡っていた。


しかし表示される求人は僅か。しかも島根県内での就職となるとさらに狭まり、片手の指に収まるほどしか求人がなかった。


そんな中、ひとつの企業を見つけた。


それは7月に内定を貰った会社が、もし駄目だったときに受けようと考えていた企業だった。


もうここしかないと思った。入社式まで1ヶ月を切った。他に募集している企業なんてない。これを最後に受けて、もし駄目だったらフリーター生活をしようと思った。


取り急ぎ、求人サイトを通して履歴書と職務経歴を送った。それはネット上で文章として書けば直接企業に送られるとのことだったので、スマホのノートアプリで保存していた履歴書と職務経歴書を引っ張り出し、自己PRや長所・短所の文章はそのままに、志望動機だけを2時間かけて書き替えて送った。


「後日企業からそちらに連絡が来ます」との文章が画面上に出たものの、正直期待していなかった。もし電話が来たとしても、お祈り電話に違いないと思った。

 

3月5日……運命の電話

朝起きると、1件の着信履歴が入っていた。インターネットで電話番号を手入力すると、昨日応募した企業であることが分かった。


電話があったということは、応募の結果が出たということだ。そしてそれは、合格か不合格しかない。僕は緊張した面持ちで電話に出た。


「はい。○○株式会社、担当○○がお受け致します」


電話口の女性は、見覚えがあった。昨日求人サイトで名前を見掛けた気がする。確か採用担当の人だったと記憶している。僕はすぐさま名前を名乗り、折り返し電話した旨を伝えた。すると思いもよらない回答があった。


「履歴書拝見しました。ありがとうございます。それで、社内で選考をした結果、ぜひ採用したいと思っておりまして……


神は降臨した。


採用?採用?本当に?頭の中は混乱し、考えがまとまらなかった。アワアワしている僕に対し、続けて採用担当の方は言う。


「採用という形ではありますが、社内規定で面接を受けていただく決まりとなっておりまして……。つきましては明日、東京にお越しいただけますでしょうか?


え、東京?しかも明日?いろいろパニックになってよく分からなかったが、まとめるとこういうことらしかった。


・採用(よほど面接が酷くなければ)
・一応面接はしないといけない
・なので明日東京本社に来てほしい
・交通費は3割会社が負担する
・当日は会社のこといろいろ聞くから、予習と面接対策だけはしてきて
・勤務先は島根県


……とのことだった。マジ?


これにより内定が(ほぼ)決まった。内定辞退から、僅か2日後の出来事だった。


この後のことについては、書くまでもないだろう。東京へ向かい、面接を受け、その次の日には正式に内定の電話があった。


そう。あれほど無理だと諦めていた3月に、内定を勝ち取ったのだ。

 

おわりに

……ここまで読んでいただいてありがとうございます。結局何が言いたいかというと、『人生は何とかなる』ということである。


今がどれだけ辛くても、死にたくても。努力は結実する。特に就活の時期は周囲と比較したりして病んでしまいがちだが、あなたはあなただ。自分のやりたいように行動すれば、必ず報われる時がくる。


長い間就職が決まらない人は、メンタルが最悪な状態にあると思う。だが諦めないでほしい。頑張り続けていれば、最後には幸せな未来が待っているはずだから。


長々と申し訳ありません。就活で悩む全ての人たちに、希望の光が差しますように。


それでは。


PS. その会社、半年で辞めました