こんばんは。キタガワです。
映画『恋は雨上がりのように』を観たので、感想を書きたいと思う。
キタガワ歴代の映画レビューの例に漏れず、ネタバレは一切なし。安心して読んでいただきたい。
『恋は雨上がりのように』は、スピリッツで連載されていた人気漫画であり、今作はその実写化という形だ。
さて、今回の実写化。今作は観客並びに原作ファンに対して、はっきり明示しなければならなかったことがふたつある。
ひとつは、主人公である橘あきらの強烈なキャラクターを、観客にうまく呑み込ませることができるのか、ということ。
ふたつは、賛否両論だった原作のラストを、どう描くのか、である。
まずひとつ目。あきらのキャラクターについてだ。
原作では特に顕著だが、あきらのキャラクターは、かなり取っ付きづらい。
人間には2種類いる。『思っていることを素直に表現できる人』と、『できない人』。もちろん、こと日本においては後者がほとんどだ。だからこそ人は、本心では嫌いと思っている人に対しても、それなりのコミュニケーションが取れる。完全なるコミュニケーション社会の現代にとっては、これが正解なのだろう。
だが、あきらは違う。要は、明らかに前者の人間なのである。
あきらのコミュニケーション能力は著しく低い。どうでもいい男子に好意を向けられていると見るや、平気で無視したり、顔色が曇ったりする。やりたくないことはバッサリと断るし、それは端から見れば『自分本意』と取られかねない性格をしている。
では実写化に当たって、どこがネックとなるのか。それは、恋愛面である。
ご周知の通り『恋は雨上がりのように』は、あきらが店長に想いを寄せるストーリー。よって、物語の進行上、あきら主導でアプローチをかけることが多い。
となると、観客の主観ではあきらは、どうしても『陰キャラ肉食系女子』のカテゴリに属してしまう。ほぼ話さず、恋愛に関しては自分からアプローチを図り、一喜一憂する……。それはさながら、『メンヘラ女子』に近い印象を与えてしまいかねない。
例えばイメージしてほしい。これは物語とは一切関係ない創作会話であるが、涙を流しながら男の首根っこを掴んで「私、あなたのこと好きだから!」というシーンがあったとする。
これが漫画であれば。コミュニケーションが苦手な女子が、勇気を振り絞って熱い想いをぶつける感動シーンとして、読者に映るに違いない。
では三次元の人間ではどうだろう。『メンヘラ感』が増す気がしないか?実際、目の前の女子にその行動を取られたときのイメージをしてみてほしい。「……え?」となりはしないか。
やはり、二次元と三次元の壁はあると思うのだ。こと『恋は雨上がりのように』では、原作が可愛くデフォルメされた女子であるために、「実写の小松菜奈、大丈夫?」という気持ちもあった。
で、結論。全く問題ない。
これは小松菜奈が本当に名演だと思う。小松菜奈を起用した製作スタッフ、ナイス。
美しい中にも、若干の憂いを帯びた小松菜奈の表情。これが原作のあきらのイメージと、完全に合致している。『演技してる』感が、良い意味で無いのだ。『あー、小松菜奈、こんなこと言いそうだわ』と観客に思わせた時点で、勝ちである。
よって『取っ付きづらい説』は、開始から数分もすれば簡単に崩れ去った。小松菜奈、あっぱれ。
ふたつ目の、ラスト問題について。
原作のラストは、はっきりと賛否が分かれた。僕としてはまあ満足だったのだが、確かに『否』の意見も理解できる。そんな終わりかただった。
では、今作はどうか。……もちろん何を書いてもネタバレになるので書かないが、簡単に書くと、ラストに至るまでの道筋を、余計な描写なしで一気に描ききっている。特に……。
これ、映画を観たあとに原作を読めば、言わんとしていることが分かると思う。
あー、もどかしい。でも何を書いても駄目なのだ。この記事を読んだあなたが映画の序盤で『あー、もしかしてキタガワが言いたかったのはこのことかなあ』などと感じてしまったら、それは最悪の流れ。
なので、この記事では触れないでおく。申し訳ない。ひとつ言えるのは、いいラストだったということ。これだけ。
で、以上ふたつを取り上げたのだが、結果的によくわからない記事になってしまった。
率直に書くと、僕は実写版『恋は雨上がりのように』は、原作を超えたと思っている。
ぜひ映画館で体験してほしい。これは恋愛映画ではない。最大級の応援映画的作品だ。
※完全に余談だが、普段音楽について書いている立場上、最後に主題歌『フロントメモリー』について書かせてほしい。
↑「恋は雨上がりのように」第60話より。橘あきらが学校のベランダで「フロントメモリー」を聴いているシーン
『フロントメモリー』自体、神聖かまってちゃんの数年前からあるキラーチューンであり、実際僕もライブで何度か(の子氏の狂ったような声のバージョンを)拝見しているのだが、今回の『フロントメモリー』はすごい。
ボーカル、メロディー、全てが疾走感溢れる作りに変貌しており、聴きやすくなっている。
特筆すべきは歌詞。『いつまでも先に進めないのは』、『きっついサイズシューズがさ』の部分は、数年前から楽曲提供が決まっていたかのような説得力で訴えてくる。
映画のエンドロールで、爆音で音楽が流れる。当たり前の光景だが、久々に心踊らされた。
原作者の眉月じゅん氏のラブコールにより実現した今回の楽曲提供は、まさに英断である。ありがとう眉月さん。