キタガワのブログ

島根県在住。音楽ライター。執筆依頼は適当な記事へのコメントでお寄せください。

雨曝しの時代は終わったのか?amazarashi『空に歌えば』レビュー

【嫌ないないいないばあ】

秋田ひろむ「そらにうたえー……ばぁー」

あかちゃん「キャッキャッ」

秋田ひろむ「たられー……ばぁー」

あかちゃん「キャッキャッ」

秋田ひろむ「月光、街を焼く」

あかちゃん「……」

 

 

 

 

 音楽で一番大事なものって何だろう。学生時代、友人らと共に、そんな答えの出ない問いに考えを巡らせた事がある。

 もちろん人によって回答は多種多様で、「声」と答える人もいれば、ラウドやメタル系の音楽を好んで聴く友人は「重低音」と言っていた。中には「初音ミクが好き。それ以外の曲はほぼ聴かない」なんて言う人もいた。

 要は、こと現在において、音楽は僕たちが思っているよりも遥かに早く、多様化しているのである。

 百人いればそれぞれが違う曲を聴いている。そんな世の中なのである。今は。

 さて、ここでamazarashiである。僕は以前より、amazarashiは歌詞がすごいと頑として譲らなかった。曲のイントロだけを聴いて「へえ、いいじゃんこれ」と言い、ヘッドホンを外す友人に対し、「無礼者、最後まで聴け」と、眼前に歌詞カードをずいと差し出し、鼻息を荒くしながら食ってかかったことは、一度や二度ではない。

 『空に歌えば』が発表されてからというもの、私の心は妙に浮足立っていた。何しろ、キャリア初のベストアルバムを発売してから初の一手なのだから。ツイッターや、公開されたミュージック・ビデオには一瞥もくれず(後ほど見たが最高だった)、一切の情報を遮断し、九月六日、CDを購入した。

 音楽プレーヤーで再生した瞬間、秋田ひろむ(Vo.Gt)氏の力強い声に、全身の毛穴がブワっと開いた気がした。こんなロックなamazarashi、見たことないぞ。

 どしゃめしゃに鳴らされるギター。まるでノートに書き殴るかの如く、多量の言葉で心情を吐き出すポエトリー・リーディング。どこか虚空を漂っていた意識を一気に現実へと引き戻すサビ……。三分三十八秒の衝撃を終えた後、ふと気づいた。歌詞カード、見てない。「たまにはこういうのも悪くないな」と思えた。

 通算四枚目のシングル『空に歌えば』は、amazarashiの歴代の曲の中で、最もロック色の色濃く出たものとなった。代名詞とも言えるキーボードの主張はいくばくか控えめになり、代わりにギターを前面に押し出した楽曲となっている。

 思えば、かつてのamazarashiの歌詞は、自身の実体験を赤裸々に語り、最終的に自己を鼓舞するようなものであったり、それぞれの悩みを持つ架空の少年少女を主軸とし、小説のように物語を進行させる作りが多かったように思う。

 だが表題曲『空に歌えば』で綴られているのは、明るい未来へ前向きに突き進む、極めてポジティブな意思であった。

 

youtu.be

 

 虚実を切り裂いて 蒼天を仰いで 飛び立った永久

 空に歌えば 後悔も否応なく

 必然 必然 なるべくしてなる未来だ それ故、足掻け

 (空に歌えば)

 

 全体的に希望に満ち溢れているイメージ。端的に言ってしまうと、「前に進むしかない」というような事が繰り返し歌われている。だがその実、かつての辛い記憶を払拭する事が前提条件である、とも。特に歌詞の後半には、過去のネガティブな出来事を回想するシーンがある。前述したサビの歌詞から察するに、この曲の主人公は『克服した側』の人間なのだろう。だから、虚実を切り裂く行動力を持っているし、足掻いて生きている。まさに、この楽曲が起用されたアニメの主人公のように。当初『ヒーローもののアニメのオープニングテーマに抜擢』との一報を受けた際は大変に驚いたものだが、アニメの雰囲気にもぴったりと合致している。かつ、amazarashiらしさは微塵も失われていない。ホームラン級の一打である。今後のライブの定番曲になるであろう、強力なアンセムだ。

 

 その時、既にもう 雨は上がっていた

  (空に歌えば)

 

 印象的だったのは、ラストのサビに向かう直前の、この一文だ。生活の中に潜む愛憎、悲壮……。様々なネガティブな感情を総じて『雨曝し』とし、バンド名に冠した彼が今、蒼天について歌う……。それほど現在のモードは波に乗っているという証拠だろうし、同時に自信の表れでもあるのだろう。大いなる意味が込められていると感じずにはいられない。

 

 淡々とした口調で心の拠り所のない現実を歌う、『月光、街を焼く』も痛快だ。

 まるで水深何百メートルもある海の底で、遥か遠くから囁かれているよう。アップテンポな一曲目『空に歌えば』の存在も相まって、突如異次元空間に迷い込んだかのような感覚に陥ること請け合い。

 代名詞になりつつあるamazarashiのポエトリー・リーディング。しかし、喉が張り裂けんばかりの勢いで鬱屈とした心中を吐き出しまくる『後期衝動』、『しらふ』といった、所謂ライブ向けの楽曲とは一線を画している。

 歌詞については、全体的に含みを持たせる表現に終始し、解釈を読者に委ねる作りとなっている。というより、途中までは拳銃をペン、実弾を自由に見立て、崩壊した街で懸命に生きる姿を描いたストーリー設計に感服させられる。しかし、サビに入った瞬間、海外のB級映画のエンディングよろしく、それまでの流れが霧に呑まれて消えていく。後には、主人公の遺した箇条書きだけが、つらつらと並べられているだけだ。

 

 閉じた目 冷めた目 触れた手 それだけ

 この旅程 どれだけ この夢 仮初め

 (月光、街を焼く)

 

 『よくわからない』と言ってしまえばそれまでだが、仕方ない。なにせ、情報が少なすぎるのだ。この曲の真意は、作詞者の彼にしか分かるまい。だが「この一連の流れは、意図的なものなのではないか」とも思う。その理由は、歌詞カードにある。通常、歌詞カードには、各楽曲の歌詞のみが記載されているものがほとんどで、歌詞以外の情報はほとんどない(中には曲解説を入れるものもあるが)。対して、amazarashiの歌詞カードには、曲ごとに詩が挿入されている。もちろん今作も同様なのだが、その中で『月光、街を焼く』だけ、詩が挿入されていないのである。これは単なる推測に過ぎないが、現在の彼のメンタリティーは、『月光、街を焼く』のようなものではない。つまり、先程の主張とも重複するが、『公私ともに充実している』ことの表れなのではないかと思う。

 『空に歌えば』と後述する『たられば』。この二曲は複数のメディアで秋田氏本人が発言している通り、間違いなくamazarashiを代表するナンバーになり得る曲である。では『月光、街を焼く』はどうだろう。正直、あまり印象に残らないな、というのが最初の印象だった。だが今回、原稿を執筆するにあたって何度もシングルを通しで聴いたのだが、この曲がないとどうも落ち着かない気持ちになるのだ。ディープな音、世界観で描かれた同曲は、双方に挟まれたこの『二曲目』という立ち位置が絶妙なのである。前後の二曲を大きく引き立たせる重要な役割を買っている、最高の佳曲。僕はそう感じたが、いかがだろうか。本人に確認してみたいところ。

 

 最後に『たられば』について。キャリア初のベストアルバム『メッセージボトル』を携えて行われたツアーで、新曲として披露されたのが『たられば』だった。先日大阪公演に参加した際のMCでは、「なりたかった事やなれなかった事を想像しながら作った」と語るうち、珍しく言葉に詰まる場面があった。その点については長く疑問に思っていたのだが、曲を何度も聞き込んだ今なら、「言いたいことは全部この曲で語られているのだな」と感じるようななった。大小に違いはあれど、誰もが夢を持ち、断念していること。どう足掻いても、人生はやり直せないこと。そして、今を精一杯生きなければならないこと。「そんなこと知ってる。当たり前じゃん」と一蹴することは簡単だが、「○○したらどうなっていただろう」、「○○すれば良かった」……。誰もが一度は空想する『たられば』は無意味であるということを、ナイフのような鋭さで改めて突きつけている。だからこそ、この曲は僕たちの心を抉り、最高で最低な現実と向き合わせてくれる。屈指の名曲である。

 

 もしも僕が生まれ変われるなら もう一度だけ僕をやってみる

 失敗も後悔もしないように でもそれは果たして僕なんだろうか

 (たられば)

 

 美しい管楽器とピアノの音色が涙腺を緩ませる、極上のポップ・ナンバー。これほどまでに直接的な表現に終始し、自身を振り返る楽曲は、今までになかったものだ。『たられば』中の詩において、秋田氏は「この後悔に一泡くわせる抵抗の手段は唯一、諦めない事だ」と記している。それは確かな演奏、心を揺さぶるボーカル、羅列される複数の『たられば』でもって、妙に説得力のある響きとして聴き手に伝わってくる。だが正直、「継続が大事です」なんてことは、言われずとも大多数の人は理解できている。では何故、この曲はこれほどまで心を締め付け、感動させるのか。それは、ほとんどの人が実践していないからである。幼少期に親から「テスト勉強しなさい」、「早く寝なさい」と言われ「分かってるよ!」とイライラした気持ちになった経験は誰しもあると思うが、要はそれと同じである。人は、理解できていることを改めて言われることに、非常に弱いのだ。なのでこの曲、個人的には、「今がめっちゃ楽しいよ!」と思っている人の心には絶対に刺さらないと思っている。『たられば』は、弱者のための曲なのだ。現実と改めて向かい合わせてくれる、こと日本においても数少ないタイプの曲だと思う。ちなみに、弾き語りバージョンも収録されているが、こちらもとてつもない。音数が減った分、原曲とはまた一味違った魅力を再発見できるはず。ぜひ一度、聴いてみる事をおすすめする。

 

 今回のシングルは、それぞれの個性が光る楽曲が並んだ印象を受けた。特筆すべきはやはり歌詞の変化だろう。鬱々とした気持ちが内包されているのは今までと変わらないが、補って余りあるほどのポジティブなイメージが、そこにはあった。今後はどんな歌を届けてくれるのだろう。このシングル発売後、各誌インタビュー、CMソングの起用など、これまでにない勢いで精力的に活動しているamazarashi。冬には、初の秋田ひろむ氏の単独ライブの予定も決まっている。雨曝しだったかつての彼らは、もういない。どこまでも飛べ、amazarashi!