SNSやYouTube、サブスクリプションと、手元の端末ひとつであらゆる音楽情報を享受出来る現代。楽曲が爆発的な人気を博し、街中で誰もが口ずさんでいるという多くの歌手が目標として掲げるミュージシャン・ドリームは、誰でも手の届く距離まで近付いた。
だからこそ、世のミュージシャンたちは「どうすれば広く認知してもらえるか」を考えて行動に移す訳だが、これも簡単なようでとても難しい。一気に跳ねるためにはまず一般大衆に受け入れられることがマストであることは言うまでもないが、日々触れるありとあらゆる情報の洪水で目も耳も肥えた人々のチェックはシビアで、楽曲そのものの求心力のみならずミュージシャンのスター性、話題性、歌詞がしっかり意味を持って届いているか、といった部分まで含め、無意識的に判断している。故に明確な売れるためのビジョンを持って活動に取り組むことが大切になるのだけれど、やはり個人でやれることには限界があるためレコード会社なりのバックアップが必須。けれどもそのバックアップを掴むにもまずは世間的な認知をある程度獲得しなければ……というジレンマもあり、悩ましいところだ。
それらを踏まえて、オリヴィア・ロドリゴである。記念すべきデビューシングル“drivers license”の大バズで一躍突然のポップアイコンとして音楽シーンに降り立ったオリヴィアはファーストアルバム『Sour』のリリースでもって、極めて分かりやすい形で売れた。ただそれは一見計画的に成し得たブレイクのようにも思える反面、楽曲に目を向けると例えば低音を強化したサウンドをバックに呟くように歌うビリー・アイリッシュの“Bad Guy”や、一度聴いたら忘れられない歌声が印象的なトーンズ・アンド・アイの“Dance Monkey”などここ数年でバズをもたらした、全く予期せぬところからフックが飛んで来るような若きシンガーの楽曲群と比較するとその実、“drivers license”はある意味では地味な失恋ソングのようにも思える。
内容にしてもハッピーな描写は一切なく、彼氏の家に車で向かうことを夢見ていたオリヴィアが念願の運転免許を取得するも、当の彼氏は既に他の女子に心変わりしていたというショッキングなストーリーで進行。クライマックスではピアノオンリーのサウンドに今にも泣き出しそうな声で《そう永遠だと言ったのに 今はあなたの家の前を一人で走り過ぎるだけ》とふたりでドライブを楽しむ理想と、助手席に悲しみを乗せたままひとりで車を走らせる現実を対比するオリヴィアの心情にグッと心を掴まれるメッセージソングとなっている。なおこれらのストーリー展開はノンフィクションであると彼女自身も様々なメディアで語っており、総じて“drivers license”はオリヴィア・ロドリゴという新進気鋭のミュージシャンの会心の一撃にして、彼女の人間性をじっくりと一般大衆にアピールした楽曲であるとも称することが出来る。
そんな名実共に最高の名刺代わりになったキラーチューンも収録された、オリヴィアの記念すべきファーストアルバムこそが副題にも記した『Sour』で、そこでは幅広いアプローチでもって、オリヴィアの魅力に焦点を当てている。《自信がなさすぎて お酒が飲める歳になる前に死んじゃうかも》とのおよそ17歳とは思えないネガティブなフレーズから幕を開ける1曲目の“brutal”に始まり、サビでアヴリル・ラヴィーン“Girlfriend”を彷彿とさせるアッパーなポップロックに変異する“good 4 u”、《あなたが幸せなら嬉しいよ でも前より幸せにならないで》と締め括られる“happier”、度重なる他者比較を《多分 考えすぎなんだよね》と自覚しつつ自己嫌悪と嫉妬に駆られる“jealousy, jealousy”……。『Sour』ではラストソングである“hope ur ok”を除いて、基本的にオリヴィアの立ち位置は、元カレとその現彼女が織り成す新たな恋愛の隅でうちひしがれるという悲しきサブヒロインだが、カントリーやサイケポップ、ロック、バラードとありとあらゆる音楽ジャンルの引き出しを開けながら自身の心情を吐き出すミュージシャン然とした試みが光る。単なるワン・ヒット・ワンダーとしてではなく「いつどの楽曲が再びバズるか分からない」という嬉しい期待がトラックを進めるたびに呼び起こされるのは、楽曲から滲み出る圧倒的な将来性によるものなのだろう。
ただ楽曲もオリヴィア自身も紐解いて見ても「オリヴィアは○○だから一躍有名になった!」と断言するには些か不十分で、確かに広く知られる存在になったとはいえ、そのブレイクの必然性を明確に言語化出来る人は少ないのも事実としてある。では何故オリヴィアはここまで若年層を中心に広く受け入れられる存在になったのか。その理由を考えると、今の世の中で生きる若者の強い共感姿勢によるものが大きいのではと思う。
少しばかり話は脱線するが、ここ数年は特に海外では様々なムーブメントが発生していて、大々的なものだけを列挙しても大統領選挙、ブラック・ライブズ・マター(人種差別抗議運動)、新型コロナウイルスとそのそれぞれに対照的な意見を有する派閥が生まれてしまう構造が毎回当然のようにあり、言葉を選ばずに言えば「どちらに属することが正義なのか」という各々の立場の是非が議論としてかなり活発化していた印象が強い。
そんな中およそ全体的に中立の立場が多数派となっていたのが、10代~20代の若年層だ。これは決して考えることを放棄した結果などではなく「どちらの意見にも耳を傾ける必要がある」と全体を俯瞰しつつ判断したものも多かった故のことなのだろうが、そこにSNSやメディア上での指摘やどちらか一方の主張のピックアップなどが合わさり、何かと『若者=楽観的(のように一定の大人からは見える)』と捉えられることも増え、若者の中には「我々はこの世界でどう生きればいいんだ」というネガティブな思いも広がっていた。無論そうした若者に寄り添い、また叱咤激励する役割を果たしたのがInstagramで長時間本音で語ったビリー・アイリッシュであったりもして若者への見方は多少変わった部分もあったけれど、それも一過性のものに過ぎず、未だ若者が抱えるある種諦めにも似た考えはなかなか払拭出来ないでいる。
翻ってオリヴィアはどうかと言えば、既存のミュージシャンらとはまた異なるアプローチで若者の代弁を試みている。その方法がすなわち、これまでも繰り返し記述している『孤独な恋愛』だ。『Sour』収録曲にはまずもって明るい楽曲は存在しないことはこれまでに綴った通りだが《彼女に声をかけたよね 私たちが付き合ってた時も》(“traitor”)、《彼女を呼ぶ時 うっかり私の名前を言いそうになる?》(“deja vu”)とのフレーズからも顕著に表れているように、オリヴィアも多くの楽曲で自分を卑下している。そしてそれら恋愛面での経験は、オリヴィアと同じように同年代の若者も一度は経験するであろう恋愛体験を介して、日々何となく覚える虚無感をも言語化してくれていることが、オリヴィアがここまで注目された一番の理由のようにも思うのだ。
2021年に突如到来した、オリヴィアの大躍進。彼女がインターネット媒体を活用して飛躍したことを指し「凄いなあ」と結論付けるのは簡単だが、それは決して策略によるものではなく、若者が希望を持ちにくくなっている今の時代と様々なムーブメント、そして若者特有の恋愛事情をも無意識的に味方に付けた運命の出来事だったと言わざるを得ない。
……どこまでも続く悲しい世情とリンクするように言葉を紡ぐ新進気鋭のミュージシャンたるオリヴィアが、歌詞カードに挟まれたブックレットに記した最後の一文。そこにはティーンらしい可愛らしい筆跡で「Sad girl shit forever!!!(サッドガールよ永遠なれ)」とある。若者の気持ちや恋愛、更には世の中の動向さえも抱えて突き進むサッドガール、オリヴィア・ロドリゴ。彼女の楽曲はきっと今日もどこかで、悩める誰かの共感者としての役割を担っていることだろう。
※この記事は2021年8月26日に音楽文に掲載されたものです。