僕は所謂『夢追い人』と呼ばれる類いの人間だ。その夢の詳細は敢えてこの場で記述することこそ避けるが、貯金や結婚、昇進といった世間一般的に『幸福』にカテゴライズされる物事を犠牲にしてこの数年間、自分なりに人生をかけてやってきたつもりだ。ただ現実は無情で、特段芳しい結果を出せないままここまで年月を重ねてしまった。いつしかかつて思い描いていた夢は年月の経過と共に下方修正を続け、活動当初こそ「絶対に叶えてやる」と初期衝動に任せて奔走していた自分は遥か昔。日々朝から晩まで仕事だ何だとかこつけているうちガッチリ固めた信念はすっかりふやけてしまい、今や「出来れば叶えたいなあ」との自信もない薄ぼんやりとした幻影が、頭の片隅に時折過るのみである。
そんな某日、かねてより個人的に追い続けているアーティスト、宮本浩次の公式ツイッターにて、新曲“sha・la・la・la”を翌日……つまりは午前0時に配信開始される報を偶然目にした。本来であれば新曲が配信された際は直ぐ様聴くことはせず、実際“shining”然り“P.S. I love you”然り何日か後のふとした瞬間に聴くことが多かった。ただ何故だかこの日は日付が変わった瞬間に契約していたサブスクリプションサービスに接続し、一聴した。僅かに歪んだギターが織り成すサウンドが、宮本の歌声が、ダイレクトに鼓膜に突き刺さる。そこから二度、三度、四度、五度……。音、歌声、歌詞の数々をその都度噛み締めるように聴く。いつしか視界は靄がかかったように不鮮明なものになり、そこから溢れた水滴がじわり床を濡らした。
umh... いつしか時は流れ大人になった俺が
相も変わらず心で叫び続けている
俺は絶対勝つってよ
夜空には今日も星がまたたいていた
個人的に心を強く揺さぶられたのは、大きく2点。そのうちのひとつが上記のフレーズだ。この瞬間、若かりし自分の様々な思いがフラッシュバックするのを感じた。「俺は他の人とは違う」と驕り、人と意図的に距離を取ったこと。確たる根拠がないにも関わらず、自信だけは一丁前だったこと。いくら行動を起こしても評価されない現状にやりきれなくなったこと……。実際宮本も、かつては愚直な活動がなかなか芽が出ず、売上も低迷。最終的にはレコード会社からの契約解除をも経験したことは有名だが、そんなリアルを背負った宮本が描く言葉の数々だからこそ何よりも雄弁に心に訴えかけ、同時に僕の甘ったれた思いを見透かしたかのように、耳が痛い程の確信を突く。
もうひとつは、楽曲全体を鑑みてもあまりに印象的なサビ部分だ。このサビで宮本は《夢は/sha・la・la・la sha・la・la・la》とある種濁した表現に徹し「夢は叶う」と励ますでも「夢は叶わない」と突っぱねるでもない、あくまでも意味深な表現でもって含みを持たせている。つまりは全ての行動の責任は自分自身にあり、考えて導き出されたその結末には誰もが肯定も否定もするべきではないし出来ない、というのが宮本の意図するところなのだろう。言わば宮本によるこのフレーズは中立の意見だ。ただ、そのフレーズはこの数年友人らから散々言われた「応援してるよ。頑張って!」との肯定より「いい年齢なんだし現実見たら?」との否定より、強く心を揺さぶられた。
おそらく精神状態が比較的良好な時期に“sha・la・la・la”と出会っていればここまで強く感情移入することはなかっただろうが、奇しくもウダウダと思い悩んでいた時分だからこそ、“sha・la・la・la”は心の深部に刺さった。確かに結果は出ていない。けれど逆に考えれば、結果が出なかったその期間は長い人生の中のたった数年でしかないのだ。《「お前はどこまで夢 追いかけるつもりなんだい?」》……。彼は最後に、そう語りかける。暫くの落涙の後、僕は壊れかけていた心が緩やかに修復していくのを感じた。長年の夢が結実するかは分からないが、どこまでも足掻いてみようと、そう強く思った。
今こそ高らかに宣言しよう。僕の夢は……。
※この記事は2021年5月27日に音楽文に掲載されたものです。