瑛人による初の大規模ライブ『1stアルバム「すっからかん」発売記念ライブ~トゥゲザーすっからかん』の最終公演が去る2月某日、渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて開催された。今年元日にリリースされた自身初のアルバムとなった“すっからかん”を引っ提げて行われた今回のライブ。残念ながら配信組はある時点で強制終了となった関係上、その全貌を視界に収めることは叶わなかったが、それでも今ライブのアットホームな雰囲気と『すっからかん』で綴られた瑛人というひとりの人物の等身大の魅力を目と耳で体感するには、十二分な時間であった。
『すっからかん』収録曲が途切れることなくBGMとして流れる場内。丁度“ハッピーになれよ”のサビが流れ始めた頃に緩やかに暗転し、今回のライブのサポートを務める鈴木渉(B)、大樋祐大(Key)、長崎真吾(Gt)、高橋結子(Dr)、瑛人の友人でありかねてより楽曲制作を共に行ってきた小野寺淳之介(G)が上手から登場。拍手喝采を受けると、少し遅れて瑛人がステージ中央へ進み出る。一際大きくなる拍手に瑛人もご満悦の様子で、あの印象的な屈託のない笑顔で愛嬌を振り撒いている。
瑛人が傍らに置かれたギターを構えると、まずは《HIPHOPは歌えない 俺はリアルじゃないからさ》とのフレーズで幕を開ける“HIPHOPは歌えない”をドロップ。この楽曲はまだデビューから間もない瑛人にとっては初期曲とも言える代物であるが、各種音楽ストリーミングサービスではアコースティックギターを主軸にサウンドメイクが成されていたのに対し『すっからかん』では楽器隊を増員し、“HIPHOPは歌えない(韻シストver.)”として奥行きのある新たな形の楽曲として進化を遂げていた。この日鳴らされた“HIPHOPは歌えない”は後者のサウンドを踏襲していて、耳当たりの良い臨場感が会場を支配。誰もが自然発生的に体を揺らす、極上の空間となった。幾度も繰り出される《HIPHOPは歌えない》理由について瑛人が《リアルじゃないからさ》とする深意は「実際のラッパーのように自在に歌詞に魂を宿らせるというより、あくまで俺は自らの経験や日常の何気ない事柄しか綴ることが出来ない」というある種自虐的な思いによるところが大きいが、それは言い方を変えれば一本筋の通った瑛人固有の制作方法でもある。リズミカルな単音弾きを繰り出しながら軽やかに歌う瑛人は画面越しに見ても心底嬉しそうで、彼にとってスキルがどうこうという以上に『音楽が好き』との思いを最優先に音楽活動を行っている事実を、しみじみと感じ入った次第だ。
流れるように演奏された初期曲のひとつ“シンガーソングライターの彼女”を終えれば、小休憩も兼ねた小野寺によるMCへ。まずははるばるこの場に集まったファンへ感謝の思いを伝えると「楽しいこともあるだろうし、悲しいこともたくさんあるかななんて思います。そんなことも全部……全部忘れて。楽しいもの……もう何もないみたいなところに行っちゃって、トゥゲザーすっからかん出来たらいいなと思っております。今日はよろしくお願いします!」と宣言。ただ小野寺特有の柔らかな語り口に緊張が加わったことで長尺のMCには所々に途切れと文脈破綻が目立ち、サポートメンバーや観客からは予期せぬ失笑が飛ぶ。……会場内を包むどこか緩い雰囲気。それはともすれば緊張感のない代物にも感じられるが、瑛人のライブではこれが平常運転。
そして小野寺いわく「瑛人のピュアピュアラブソング」こと“僕はバカ”が鳴らされると、瑛人が「次歌うのは去年多分みんながいっぱい聴いた曲だと思います。めちゃくちゃ去年歌いまくって、でもこうやって生で聴くのはみんな始めてだと思うんです」と前置きし「いっぱい歌っても、どんな形であれ自分の曲はひとつひとつ自分の一部として大切な曲なので、しっかり皆さんに届きますように……ということで、歌います」と語り、誰もが待ち望んだ瑛人屈指のヒットナンバー“香水”が満を持して届けられる。徹頭徹尾小野寺のギター1本で形成されていた原曲とは打って変わって、今回ライブで披露された“香水”は2番のAメロで長崎のギター、Cメロの入り前に高橋のボンゴ、ラスサビでは鈴木と大樋が参入する、厚みを増した新たな“香水”として再構築。ただ楽器隊が渾然一体となったそのサウンドは決して雑然としている訳ではなく、あくまで瑛人の歌声を第一義として捉えた抑え目のアレンジに徹していたのが印象深い。
続いて披露されたのはバラード曲“リットン”。演奏に移行する直前には瑛人がこの楽曲を“リットン”と名付けた深意について語られた。瑛人いわく“リットン”とは瑛人が幼少の頃、自宅で日常的に聞こえていた祖母の足音の呼称であるらしく、かつて真冬に「外に出たくない」との理由でヒーターに体温計を当てて仮病を繰り返していた瑛人の1日の面倒は病気に侵され下半身が上手く動かせない祖母が見ていたとのことで、2階にある瑛人の自室に向けて祖母が階段を登る際に杖を先に、足を後に出す音が「つっとん、つっとん」。少しの休憩を挟み、再び「つっとん、つっとん」。それが小さな頃にはいつも『リットン』と聞こえていたと回顧する瑛人。……そんな確かな叙情を携えた前情報を携えて鳴らされた“リットン”が強い感動を抱かせる代物となったことは、もはや言うまでもないだろう。
以後は今回行われた各地の発売記念ライブで定番となっているフリースタイルへと移行。本来は何かしらのテーマを決めて行うものであるそうだが、今回は紆余曲折を経て一切のテーマなしで進行し、半ジャムセッションの様相で本能的にワードを放ち続ける瑛人は、数日前に行われた福岡に向かう道中の高速道路や今の観客の様子などを即席でパッケージングしてサウンドに落とし込んでいく。リズムに合わせて上手く言葉が出ず、慌ててメンバーにソロを振るワンシーンさえも楽しい。基本的に瑛人の楽曲は友人間でのフリースタイルを基盤として制作されていることは事前情報として知ってはいたものの、こうして見るととても自由奔放で、感情をそのまま歌にする瑛人の制作風景としてこれ以上なく理にかなったものにも思える。中でも終わるタイミングを完全に逃した瑛人が「誰か止めてくれよー」と困惑するもなかなか終わらないラストは噴飯もので、一発本番ならではの緊張と緩和で会場のボルテージはぐんぐん上昇していく。
……瑛人の楽曲は全て彼の人生の体現だ。例えば初のフルアルバムのタイトルを『すっからかん』とした経緯ひとつ取っても、瑛人の現時点で出せる全ての思い出の引き出しを開けて楽曲を制作したために名付けられていることは既に様々なメディアで語られている通りである。ただ先述の祖母について歌った“リットン”や恋心をストレートに表現した“シンガーソングライターの彼女”など23年間の人生経験をつまびらかにした楽曲が存在する一方、自分自身を俯瞰で見詰めた末、瑛人の楽曲には自身を一種の『ダメ人間』として自嘲する楽曲も散見される。大ブレイクを記録した“香水”にも繋がる持論ではあるが、やはりそうしたことも含めて彼の楽曲が単なる『前向きな音楽』や『甘酸っぱい音楽』とのベクトルには決して属さず『瑛人ならではのポップス』として支持を広げていることには、ネガティブを内包したポジティブさも理由のひとつであると思ってやまない。
「みんなハッピーになれよー!」と瑛人が叫んで雪崩れ込んだ、結果として配信組としては本公演のラストナンバーとなった“ハッピーになれよ”は、正に上記の瑛人の精神性を色濃く体現するポップチューンだった。歌われる内容は前半は父との別離、後半はその後の父と瑛人のコミュニケーションであり、一見ハピネスな楽曲とは言い難い。ただ瑛人はこの楽曲を“ハッピーになれよ”と名付け、言葉にすること自体悲観的な一面を帯びるかつての事柄を全て抱き締めて《どんな時でも ハッピーになれよ》と肯定している。詳しい明言は成されていないが、彼は今までに様々なことを経験しながらも、独自の思考変換で未来に繋がるような前向きな経験として捉えてきた人間なのだろう。《2年前はいつも一緒だったけど/2年経った今は一緒じゃないけど》……。形は変われど、瑛人にとっての家族の絆は不変で、きっと彼自身もこの性格や生き方は不変のはず。屈託のない笑顔を浮かべながら高らかに歌い上げる等身大の彼の姿は、とても楽しく、また誇らしげにも見えた。
まだまだ見所はたっぷりあったに違いないが、ここで瑛人による「ここで配信が一回終わると言うことで、みんなアルバムを買ってくれたりチケットを買ってくれてら本当にありがとうございまーす!今度は生で会いましょうー!」との一言でもって配信ライブは終了。「こんなに素晴らしいライブを観てしまったら、次は是が非でも生ライブを観るしかないではないか!」と思わず叫んでしまいそうなあまりにニクい仕掛けだが、『瑛人のなんたるか』を見せ付けるという点においては非常に充実した時間であったと言わざるを得ない。思えば“香水”が大ブレイクを果たした昨年以降、瑛人が有観客で大々的なライブを行ったことはほぼない。おそらくはこの場に集まった観客、ないしはオンライン視聴を試みた大半のリスナーは“香水”から彼の楽曲を認知し、それから当時サブスクリプションやYouTubeで聴くことの出来る楽曲をチェックした果てに去る1月1日にリリースされた『すっからかん』を聴いて、参戦を決めた人が大半であろうと推察する。中には「あの話題の瑛人は実際どんなライブをするのだろう」と並々ならぬ期待を寄せていた人も少なくなかったのではないか。
そうした予測はある意味では当たり、そしてある意味では外れていた。何故なら我々が音楽番組で観たイメージそっくりそのままの瑛人がライブをしていたのだから。派手な演出も突飛なアレンジもなし。徹底して音楽を鳴らすことの楽しさを追及した『まるで遊びたい盛りの子供のようなわんぱくな男が楽しげに楽曲を鳴らしていた』という事実で、今回のライブの全ては完結する。……“香水”が世間一般に広く知れ渡るようになってから、まもなく1年が経つ。言葉を選ばずに言えば、おそらく“香水”のみを聴き齧っただけのリスナーは次第に彼から離れ、その存在すら記憶の彼方へ追いやってしまう時期に突入するだろう。けれども今回ライブに参戦、もしくはオンラインで視聴した『すっからかん』含め彼の紡ぎ出した楽曲群に深く心酔したリスナーは、きっと瑛人というひとりの人間の真髄を目と耳で感じ取ったはず。瑛人の軌跡をこれからも追い続けていきたいと強く感じたこと……。それこそが此度の『1stアルバム「すっからかん」発売記念ライブ~トゥゲザーすっからかん~』最終公演の、何よりの収穫だった。
※この記事は2021年3月25日に音楽文に掲載されたものです。