待ちに待ったアークティック・モンキーズの新譜を買った。タイトルは『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』。
なにしろ5年ぶりのアルバムである。僕は仕事の疲れも忘れ、帰宅するとすぐさまPCに取り込み、WALKMANに落とし込んだ。「今回はどんなアルバムなのだろう」。期待に胸を膨らませた僕は、再生ボタンを押す。
「……あれ?」
流れてくるのは、ピアノがキラキラと舞い踊る、スローテンポな曲。まるで映画のサントラのような、優雅な調べだった。
「……CD間違えたかな」
……そうに違いない。アークティックはギターが先行し、ドラムがドスドスと鼓膜を刺激するようなバンドのはずだ。これは、違う。
僕は手元のWALKMANに目を落とした。だがそこには、『アークティック・モンキーズ』の文字が、はっきりと刻まれていた。
そう。これこそがまごうことなきアークティックの最新アルバム、『トランクイリティ・ベース・アンド・カジノ』だったのだ。
……前置きはほどほどにして、ここからが本題である。
要は何が言いたいかというと、今作は往年のファンからしても賛否が分かれる、バンド史上最大の問題作であるということだ。
ネットで検索すると「空に飛んでいきそう」だとか「セックスが上手くなりそう」といった声が挙がっていた。何これ?違法ドラッグなの?
今回は彼らの作品の中でも、アークティックをアークティックたらしめた象徴たる1stアルバム『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』を取り上げながら、今作がどれほどの問題作なのかを伝えたいと思う。
そもそもアークティック・モンキーズとは、イングランド出身の若手ロックバンドであった。
フォールズなどが台頭し、当時早耳のロックファンの中で注目が集まっていたイングランド。その中でアークティックの人気が加速した理由として、その特異な音楽性が挙げられる。
まずボーカルは、音楽のスタンダードを完全に無視していた。通常、ボーカルパートというのはリズムに合わせて、リズムが狂わないように適切な文字数でもって、思いを伝えるものだ。
ではアークティックのボーカル、アレックス・ターナーはどうか。彼がボーカリストとして異質だったのは、字余りだろうがテンポが狂おうがおかまいなしで、言いたいことをひたすらまくし立てる点であった。
その情報量はすさまじく、歌詞カードの文字の大きさは最小にしなければ入りきらないレベルで、3分以内の楽曲で歌詞が数千字を超えることもザラにあった。
次にギター。前述した通り、ボーカルがハチャメチャなため、本来ならば音楽として成立しない。そこでスポットが当てられたのがギターである。
1stは、基本的にギター主導で楽曲が進行する。ギターが無理矢理リードすることで、なんとか『曲』になっている感覚。マラソンで例えると、ボーカルとギターがペース配分を無視して延々走り続けるイメージ。
……というように、いわば『混ぜるな危険』の物質を混ぜまくった結果がアークティックなわけだ。こんなバンドが果たして売れるのか?答えはひとつ。めちゃくちゃ売れたのである。
中でも『I Bet You Look Good On The Dancefloor』、『When The Sun Goes Down』の2曲の破壊力はすさまじく、ライブにおいてはこの再現不可能なレベルの歌詞を、観客が大合唱する事態にまで発展した。
このバケモノアルバムは様々なバンドに影響を及ぼした。海外では同様に、歌詞をひたすらにまくし立てるバンドが増えたし、日本ではメジャーデビューを果たしたザ・ミイラズのフロントマンである畠山が、ミイラズの楽曲について堂々と『アークティックのパクリ』と公言している。
とにかく、ひとつの結果として1stは150万枚の爆発的ヒットを飛ばした。名実ともに、音楽シーンを根本からぶち壊した作品となったのである。
それからは計4枚のアルバムが発売されるのだが、『前作と同じものは作らない』というアレックスの弁の通り、その都度全く異なるアプローチで、アルバムは製作された。
だがやはり、アークティックの真髄を表し、同時に衝撃的であったという点を鑑みれば、1stが最も好まれていたのではないかと思う。
で、今回のアルバムについて。今作はアークティックファン……とりわけ1st時代を好むリスナーを、完全に置き去りにしたアルバムだ。
激しかったギターは鳴りを潜め、随所に取り入れられたピアノサウンドが光る。全体的なBPMも遅く設定されており、深夜のバーなどでゆったりと聴きたい雰囲気に満ち溢れている。
なもんで、各所で書かれている『官能的』という意見に関しては、物凄くよく分かる。アレックスの粘っこい歌い方や、アルバムから醸し出されるアダルティーなイメージがそうさせるのだろう。
だがはっきり書いてしまうと、1stの熱狂的ファンは、今作に対して否定的な意見が多いのではと思う。
……と、ここまで書いてきたが、「じゃあ今作は駄作なの?」と問われれば、全くそんなことはないのだ。今作は、今までになかった新たな魅力を孕んだ傑作である。それを特に感じさせるのが、リード曲『Four Out Of Five』だろう。
再生した瞬間ドラムとベース、ピアノが織り成す心地いいリズムにはっとさせられる。しばらくするとそこにボーカルとコーラスが乗り、サビに突入する頃には、耳元で大勢のメンバーが演奏している感覚に陥る。渾身の1曲だ。
かつての武器であるギターをピアノに持ち換えたアレックス。彼はメロウなサウンドに囲まれながら、穏やかに歌ってみせる。
〈少し気楽に構えて 俺の方へ来な(和訳)〉
〈星4つだな(和訳)〉
賛否両論どんとこい。このアルバムは、新たな音楽性を模索し続けるアークティックの意思表示だ。
ひとつ確かなことは、もう1stのようなアルバムは作らないし、作れないということ。今の彼らのモードはこれなのだ。
前作『AM』が大ヒットを記録した後、バンドは解散も視野に入れていたそうだ。そんな彼らは結果としてアルバムをリリースし、世に送り出してくれた。これは本当にありがたいことだし、大きな意味がある。
1stの頃のように、体を激しく動かして大合唱するようなバンドではなくなった。BPMは下がったし、性急なギターリフも鳴りを潜めた。だが彼らは、自分たちの作りたいものだけを作り続けて、これからも歩んでいくだろう。
いつになるかは不明だが、いずれ来るであろう来日公演に向けて、僕らは今作を聴き込んでじっと待つのみである。
※この記事は2018年6月6日に音楽文に掲載されたものです。