キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】失われた夏的行事を逆説的に説く、或る夜の熱演 〜ずっと真夜中でいいのに。によるアーティスティックなオンラインライブ『NIWA TO NIRA』を観た〜

8月上旬に行われたずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)の有料オンラインライブ『NIWA TO NIRA』。あまりに奇妙なタイトルを冠した今回の試みは結果としてアーティスティックな異次元空間を形成するに留まらず、インターネットシーンで絶大な存在感を放ち続けるずとまよの、更なる飛躍を確信させる代物でもあった。
 
配信時間は夜の20時。コメント欄にはライブ開始前にも関わらず、多くのファンによる興奮と感嘆符を携えたコメントの数々がひっきりなしに流れており、もはや追うことさえ不可能な有り様。そんな激しく行き交うコメント群をよそに、画面には青空と自然をバックに“お勉強しといてよ”のMVにおけるメインキャラクター・にらちゃんが端に据えられると共に『しばらくお待ち下さい』との不適切なシーンが見られた際に流れる緊急画面を彷彿とさせる固定画面が大映しになり、ライブの幕開けをじっと見守っている。
 
長らく固定画面が続いていたが、定刻を過ぎると画面は切り替わり、いつしか画面は宙に浮いたやかんから煙がゆらゆらと立ちのぼるライブ映像へとシフト。しばらくの時間が経過すると更に場面は変化し、ずとまよのフロントウーマンにして現状唯一メンバーに名を連ねているACAね(Vo.G.Electric Fan Harp)が、緩やかに目的地へと歩みを進めるその一部始終が映し出された。ACAねはおもむろにボウルに盛られた大量の野菜とまな板、包丁が配置されたテーブルに着くなり、パプリカやナス、トウモロコシなど数々の野菜を丁寧に乱切りし、別のボウルへと移し変えていく。そして彼女がニラを切り始めると、ザクザクと刻まれるそのタイミングに合わせてバックで流れる打ち込みのドラムの音がシンクロする形でオープナーの“眩しいDNAだけ”が鳴り響き、明転。今まで暗闇に包まれていたステージの全貌が明らかとなった。
 
まず第一に衝撃をもたらしたのは、一口に『ライブ』というひとつのショウには到底収まらないほど練り上げられたステージの装飾である。天井から垂れ下がる大量のケーブルとボロ布、ある種の物悲しささえ感じさせるエアコンの室外機、括られたカーテン、懐中電灯、そこかしこに置かれた機材の数々……。その凄まじく非現実的な光景は終末世界のイメージとも、SFにおける秘密結社のアジトと称されたところで合点がいくミステリアスな雰囲気に満ち満ちており、目を楽しませる。
 
加えて、総勢8名にも及ぶ楽器隊についても特筆すべきだろう。今回のライブは去る5月7日に行われた『お風呂場ライブ 定期連絡の業務』にてACAねの両脇を固めていた村山☆潤(Key.Manipulator.Band Master)と西村奈央(Key)の他、かねてよりサポートメンバーとして楽曲製作に携わり信頼を構築してきた盟友たちが名を連ねていて、その中にはフジロックや昨年の全国ツアーでサポートを務めていたオープンリール式テープレコーダーを楽器として演奏するOpen Reel Ensembleのメンバーもフル参戦するなど、総じて現状におけるずとまよの最強メンバーが首を揃えた形。今回のライブは終始膨らみのある音圧でもって鼓膜を刺していたことも印象的だったが、その最たる理由は紛れもなく、強固なチームワークでACAねをサウンド面を支える楽器隊の面々にあった。
 
ステージの中心で歌うACAねはCD音源と遜色ない高らかな歌声を響かせるのはもちろんのこと、大サビに入る直前の《満たされていたくないだけ》の一幕では限界まで伸ばしたハイトーンでもって、いちボーカリストとしての実力を遺憾無く発揮。彼女の表情は一貫して背後に絶妙に照らされる照明による逆光でシルエットとなり、その一切が判別不能であったけれども、熱のこもった歌唱中における顔の輪郭から察するに、ずとまよの世界観を画面越しの我々に最大限伝えるよう尽力している印象を受けた。

なおも衝撃は続き、以降は先日リリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』のリード曲にして、5台のブラウン管テレビを叩く和田永(Open Reel.TV Drums)による前衛的な演奏が炸裂した“お勉強しといてよ”、きらびやかな音像で一気に高揚感を高めた“ヒューマノイド”といったアッパーな楽曲を立て続けに披露するモードに突入。重厚なアンサンブルと視覚的効果を見事に融合させた圧巻のステージングで、ぐんぐんと引き込んでいく。
 
“ヒューマノイド”終了後に再びテーブルに向き合ったACAねは、先程自身の手で切り刻んだ野菜を盛ったボウルを持ちながらライブハウスを後にし、薄暗い階段を一段、また一段と登っていく。そうした荒唐無稽な流れの果てに彼女が辿り着いたのは屋上のプールサイド(ライブ終了後の彼女のツイッターでは「庭」と表現していた)で、巨大なプールを取り囲むようにいつの間にやら楽器隊がひしめき合い、ずとまよの主たる存在であるACAねが定位置に着くのを待っていた。
 
そしてACAねが謎の黒服にボウルを手渡したのを皮切りに、ニューアルバム『朗らかな皮膚とて不服』収録のメロウチューン“マリンブルーの庭園”が緩やかに鳴らされる。チームずとまよは本物の扇風機をギタータイプに改造したオリジナル楽器・扇風琴(せんぷうきん)を巧みに操り、アコーディオンを模したオープンリール……その名もテープレコーディオンを弾き倒し、更にはオープルリールの剥き出しになったテープ部分を叩いたり引っ張ったりと、特異なライブ空間を演出。途中には黒服がACAねの切った野菜を鉄串に刺してBBQよろしく焼いていく演出も挟まれ、とっぷり日が暮れた屋外であることも相まって、壮大ながらもどこか開放的。
 
パーカッションを軸としたアコースティックな演奏で魅せた“君がいて水になる”、盆踊り風のサウンドで全国各地で中止となったであろう夏祭りの雰囲気を脳裏に過らせた“彷徨い酔い温度”と、ロック然とした前半とはまた違った雰囲気を携えた楽曲群の演奏が終わると、プールサイドをぐるりと回る形で定位置から遠ざかるACAねにカメラがフォーカスを当てていく。するとおむもろに椅子に腰掛けたACAねは夜空の下、焼き上がったシュラスコ風の野菜に舌鼓。時刻は夜の20時30分過ぎ。少し遅めの優雅な夕食である。しばらくその食事風景がカメラに収められる時間が続いていたが、次第にどこからともなくEDMのライブを彷彿とさせるメロが流れて来ることに気付いたACAねは、その音楽に誘われるように再びライブハウスへ帰還。するとそこは先程までのライブ空間から一変、天井に巨大なミラーボールが鎮座し艶やかな光が辺り一面を支配するダンスフロアと化しており、まるで一昔前のディスコの如き様相の中、“MILABO”が艶やかに奏でられたのだった。
 
“MILABO”が終わると「改めましてこんにちは、ずっと真夜中でいいのに。です。ACAねです。少し落ち着いたような感じが、してます。見てくれてる……。ありがとうございます。最近ハマってることは、体幹を鍛えることと、画像をザラザラに加工することです。楽しいです。元気です。大変な状況だけど……みんなお忙しい中だと思うんですけど、見てくれて凄い嬉しいです」とたどたどしくも感謝と近況報告を語るACAね。ずとまよのオンラインライブは今回で2回目。今回が大幅増員の総勢8名の大所帯となった理由については「ACAねのやりたいことが生放送では厳しいと判断したスタッフ達により、スペシャルなバンド編成でのライブになります」とのライブ前に発信された公式のコメントが全てであろうが、結果として去る5月6日に行われた前回のオンラインライブ『お風呂場ライブ 定期連絡の業務』でのACAね+ピアノ隊2名というミニマルな編成とは大きく趣を異にするものとなった此度のライブは、彼女の中でも確かな成功を感じ得る代物であったはずだ。

直後「はじめて投稿した曲が(総再生数が)6000万回になり、ありがとうございます。記念に一緒にお願いします」との流れで突入した“秒針を噛む”でもって画面越しにライブを鑑賞するファンの琴線に触れると、ダンサブルなサウンドが突き抜けた“低血ボルト”、後半部に差し掛かるにつれ俄然熱を帯びていく“マイノリティ脈絡”と続き、ラストは「帰りの時間です……」と語ったACAねが楽器隊に向き合い指揮を振る形で、古くからの名曲・夕焼け小焼けをオリジナリティ溢れるインストゥルメンタルアレンジでゆったり聴かせた後の“正義”で大団円を飾った。1時間を通して楽曲以外では直情的な思いを語ることのなかったACAねだが、ハンドマイクで跳び跳ね身ぶり手振りを繰り出し、楽曲の最後に実際とは全くの真逆の体感温度であるはずの「涼しいー!」と叫んだ一幕は、この日のライブが彼女にとって濃密な時間であったという事実を如実に表していたように思う。
 
何故今回最後に演奏されたのが、前日にリリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』の収録曲ではなく昨年にリリースされたフルアルバムに収録された“正義”だったのか、そして今まで単独ライブでは一切の例外なく本編のラスト、若しくはアンコールを飾るポジションに位置していた“秒針を噛む”が何故今回に限り中盤付近で鳴らされたのか、僕はずっと疑問として浮かんでいた。実際ライブが終幕してひと月が経過した今でもその確たる真意は不明のままであるし、今回のライブのラストに“正義”を選んだ理由について今後ACAねが発言することも、おそらく可能性としては低いだろう。しかしながら“正義”の歌詞において秘密に蓋をしたり、はたまた無意識的に話しすぎてしまう場面が幾度となく記されているように、この世の全ては個々人における正義的言動の乱立によって成り立っているし、それは日常であった様々な事象が消失し不便な生活を余儀なくされている我々にとっても、この日感染防止の関係上オンラインライブとして楽曲を届けざるを得なかったACAね自身にとっても同様だ。故に此度のラストにACAねが“正義”を選択したのは彼女にとっての何よりの正しい道理の主張なのだと解釈するのは、流石に早計だろうか。
 
約1時間にも及んだライブは、ライブ画面のフェードアウトと共に「ライブ見てくれてありがとう。今日のために部活やお仕事休むといってくれてたのも見かけました。申し訳ないです…でも嬉しいです。目の前にお客さんいなかったけど機材に囲まれ幸せです。会ってライブしたいねえ…」とACAねの直筆で記されたコメントに加え、今回ライブを形作った関係者全員の名前の横に検温時の体温が記載されるという稀有なエンドロールでもって、その幕を下ろした。その独特なタイトル然り挑戦的なコメント然り、始まる前は「どのようなライブになるのだろう」という期待と不安が入り交じった思いも正直な感情として存在してはいたのだが、結果として今回のオンラインライブ『NIWA TO NIWA』は画面越しのライブの常識を覆す多大な遊び心と確かな音楽的価値を示した、名実共にずとまよにしか成し得ない神秘的な体験だった。
 
思えば約2年前にYouTube上で急速にバズをもたらした“秒針を噛む”によって運命が一変したずとまよだが、特にここ数年は大勢のファンの前で場数を踏み、ハイペースに楽曲をリリースするという愚直な活動の果てに、今では2年前の当時とは比較にならない程に広く認知されるに至った。そして此度リリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』がアルバムチャートの上位に食い込んだ事実も証明しているように、彼女たちへの注目度は更にぐんぐんと高まっている。……来年の1月22日公開の映画『さんかく窓の外側は夜』の主題歌を担当することも決定し、ワーカホリックに歩みを進めるずとまよ。彼女たちによる不可思議たる進撃は、これからも続いていく。


※この記事は2020年9月17日に音楽文に掲載されたものです。