キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】愛おしき天然スター 〜出雲で魅せた、斉藤和義渾身の1時間〜

先日、島根県・松江市総合体育館にて、ザ・クロマニヨンズ、斉藤和義、SUPER BEAVER、My Hair is Badによるライブ『BONE TO RUN! YUMEBANCHI 2019~だんだんROCKS!~』が開催された。今回はラストの4番手として出演した斉藤和義のライブレポートを記す。
 
夕方から続いたライブも、徐々に終わりが見えてきた。時刻は20時。若手もベテランも引っくるめた音楽の祭典を締め括るのは、今年デビュー26年目を迎える孤高のアーティスト、斉藤和義だ。
 
愛称である「せっちゃーん!」の声が多数挙がる中、ほぼオンタイムでステージに降り立った斉藤。
 
つい先日全国を巡る弾き語りツアーを終えた直後のため斉藤和義ひとりの出演になるかと思いきや、ギターとベース、ドラムを計3名従えてのしっかりとしたバンド編成。その中心に立つ斉藤は黒を貴重としたシックな服装も相まって、バンマスらしいクールな雰囲気を醸し出している。
 
オープナーとして演奏されたのは、今年発売したニューシングルの表題曲でもある『アレ』だ。
 
〈タイムマシンは頭の中 過去へ行こうか 未来にしようか〉

〈引っ掻き傷は残せたかい 自分だけが知ってるアレだよ〉
 
我々が長く慣れ親しんできたあの独特の歌声が、会場内に高らかに響き渡る。ひとつひとつの言葉を丁寧すぎるほど丁寧に紡いでいく斉藤はいつになくリラックスした印象で、その姿から肩肘張った様子は微塵も感じられない。まさにベテラン。余裕綽々のパフォーマンスでもって存在感を見せ付けていく。
 
楽曲の変化にも触れておきたい。CD音源においてはドラムマシンとリズムマシンを多用したチャレンジングな楽曲となっていた『アレ』だが、今この場においてはそれらの打ち込みは一切なく、打ち込みパートはバンドの音で代用。生身のライブならではの肉体的なサウンドは原曲を知らずとも自然に体が動いてしまう魅力に溢れており、中でも原曲を聴き込んでいるファンにとっては新鮮な驚きとして映ったことだろう。

その後はヒット曲と新曲を交互に繰り出す展開に。矢継ぎ早に言葉を捲し立ててストーリー仕立てで進行する『ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~』では飾らない日常風景にはっとさせられ、斉藤がフォークギターに持ち替えて臨んだ『小さな夜』では、伝家の宝刀とも言うべきバラードが穏やかに鳴らされる。
 
今回のライブは総じてキャリア全体を総括するかのように幅広く、かつ緩急を付けたセットリストで進行。加えて新曲と往年のヒット曲の中に近年ほとんど演奏されないレア曲も複数散りばめた、ある意味では過去と現在を往復するような新機軸とも言える流れでもあった。
 
しかしながら広くお茶の間に鳴り響いた『やさしくなりたい』や『歌うたいのバラッド』を初めとするキラーチューンが演奏されなかったのはある意味では意外でもあり、観客によっては「意表を突かれた」という意見も多かったのではと推察する。にも関わらず今回のライブが悪かったのかと問われれば、決してそうではなかったと断言できる。むしろひたすらに高揚し、彼の楽曲全体に宿る勢いとメロディーセンスに改めて気付かされる一夜でもあったのだ。
 
前述した『小さな夜』で少し穏やかなムードに包まれたところで、斉藤から「ちょっとカバーをやりたいと思います」というまさかのサプライズが。続いて「今日はヒロトさんとマーシーさんっていう、偉大なおふたりがいらっしゃるので。ザ・ハイロウズの曲を一曲……」と呟くと、怒号のような大歓声があちこちで上がった。
 
瞬間始まったのは、2005年を最後に活動休止を現在進行形で続けているザ・ハイロウズのパンキッシュなナンバーである『即死』だ。
 
〈入院したくない 病気で死にたくない〉

〈ベッドで死にたくない 即死でたのむぜ〉

〈痛いのはゴメンだ 苦しむのはヤダ〉

〈一瞬でいくぜ 即死でたのむぜ〉

各地のフェスやイベントで甲本ヒロトとマーシー、斉藤が同日に出演することは今までにも何度かあった。しかし斉藤が彼らの楽曲を堂々とカバーしたのは、思えばこの日が初めてだったのではなかろうか。
 
激しく鳴らされた『即死』は、改めてザ・ハイロウズといういちバンドのソングライティングの高さを感じることができる一幕だった。同時に圧倒的シンプルさで駆け抜ける今回の『即死』のような楽曲は斉藤がほとんど作らないタイプの曲でもあるため、特に古くからのファンとしては垂涎の、非常にレアな一幕として映ったことだろう。
 
続く『ずっと好きだった』は、この日のひとつのハイライトとして映った。斉藤がリリースした楽曲の中では比較的メジャーな楽曲であり、観客も待ってましたとばかりに大盛り上がり……だったのだが、とある場面で集まった観客は腹を抱えて爆笑することとなる。
 
それは曲中に最も盛り上がる、ラストの大サビに差し掛かろうというときのこと。その一言は本来であれば興奮が更に一段階上乗せされるような、ある種のワイルドカード的役割を担うはずだったに違いない。しかしその一言は予想外の“誤った形”でもって、とてつもない破壊力を纏って高らかに響き渡ったのだ。
 
「いくぞ出雲ーっ!」
 
冒頭で述べた通り今日この日、この瞬間の会場は『松江市総合体育館』……。つまりここは出雲ではなく『松江』が正しい解である。全国的にも認知度の低い島根県。島根県と聞くと出雲大社がある出雲市を連想する人が多いのが実状なので全く咎める気はないのだが、それはそれとして。繰り返すが、ここは松江市である。
 
最終的に斉藤の勘違いは続き、『ずっと好きだった』の一幕以外にもライブ中通算5回に渡り「出雲ー!」と絶叫するのだが、3回目以降になってくると観客も『そういうもの』として認識したようで、斉藤が「出雲」と発するたびに大きな歓声が上がっていたのが面白く、同時にマイペースを貫く斉藤の人間味も感じられ、ある意味では最高のスパイスとなっていた。

その後は斉藤の卓越したギターテクが炸裂する『I Love Me』でギタープレイヤーとしての腕前を見せ付け、本編最後に演奏されたのは『Summer Days』。
 
原曲では5分少々の楽曲ではあるものの、今この場所においては10分をゆうに超える長尺のアレンジでもって鳴らされた『Summer Days』は、斉藤のエモーショナルな側面を最も押し出した楽曲でもあった。
 
冒頭こそギターを爪弾くゆったりとした滑り出しではあったものの、サビに突入する頃にはうなるギターを主軸としたダンサブルなロックナンバーに変貌。絶大な音圧でもって会場全体を掌握した。
 
中盤には「キミに届け!」の歌詞の部分で最前列のファンをひとりひとり指差し、突然楽曲に戻るという意表を突いたアレンジも。更に後半に関してはある種のジャム・セッションの様相を呈しており、各メンバーが思い思いにフレーズを鳴らしていたのが印象的だった。
 
弦が切れそうなほどにギターを掻き毟りながら完全燃焼を図る斉藤。ラストは半袖から見える白い腕から汗が滴り落ちるほど汗だくで終幕。しかしながら無表情でチラッと乳首を出しつつ去っていった斉藤を見ていると、まだまだ余力は残っているようにも思える。
 
数分後、鳴り止まないアンコールに答え再びステージに降り立った斉藤とメンバー。シングル曲『マディウォーター』をドロップした後、正真正銘のラストナンバーはやはりこれを聴かなければ帰れない、『歩いて帰ろう』だ。
 
〈走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく〉

〈だから歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう〉
 
冒頭のギターリフの時点で大歓声が巻き起こった『歩いて帰ろう』は、終始ノンストップの盛り上がりで進行。斉藤の歌声もいつになく伸びやかで、かつ歌詞の一部分を叫ぶといったおなじみのアレンジでもって、限界突破でボルテージを高めていく。終盤では「寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ いつも」の部分を『出雲』に変えて歌い大爆笑をさらう一幕も。このワンシーンでもって、会場はこれ以上ないほどのアットホームな雰囲気に包まれた。

ロケットスタートのまま駆け抜けた斉藤。演奏終了後は「サンキュー出雲ー!」と叫び、最後まで松江を出雲と勘違いしたまま大団円で幕を閉じた。
 
冒頭で述べた通り、斉藤はメジャーデビューから数えて活動歴が26年というベテランアーティストだ。しかしながら一般的に『ベテラン』と呼ばれているアーティストでも、時代の経過と共に徐々に人気が下火になっていく者も数多く存在する。
 
そんな中で斉藤は現在でも定期的な音源リリースと全国ツアーを徹底して行っており、その活動のスタンスは26年の活動を通してほとんど変わっていない。中でも全国ツアーに関してはかつて全盛期だった時期の動員を超え、キャパはどんどん拡大。各地でチケットが完売するほどの売れ行きを見せている。
 
僕はそんな斉藤に対して、かねてより「なぜここまでの人気を獲得し続けているのだろう」という疑問を抱いていたのだが、その答えが今回のライブにはあったように思う。
 
おそらく斉藤とファンの間には、目には見えない強固な信頼関係が構築されているのだ。一見飄々としているようにも見える斉藤だが、彼の生み出す楽曲とライブパフォーマンスには、斉藤を知らないにわかファンでさえ瞬時に黙らせる力が秘められている。彼はそのクオリティーを、現在に至るまでその一切を変えていない。たったそれだけ。たったそれだけのことが、何よりも『斉藤和義』といういちミュージシャンを斉藤和義たらしめているのだ。
 
加えて今回の出雲の件や肩肘張らないステージングに顕著だが、彼は常に自然体だ。僕は今回のライブが斉藤のライブへの参戦としては通算4度目であり、最初に彼のライブを観たのはもう6年以上も前のことなのだが、その頃と全く変わらない斉藤がそこにいた。
 
斉藤和義は、今後も変わらない活動を続けていくに違いない。そして至ってマイペースかつ何食わぬ顔で、新規のファンを獲得していくのだろう。

帰り際、中学生とおぼしき女子二人組とすれ違った。「斉藤和義の曲とか全然知らなかったけど、めちゃくちゃ良かった。CD全部買おうかな」と語った彼女たちは二人とも、満面の笑顔だった。
 
ふと中学生の頃の自分を思い出す。かつての僕も斉藤に対して『歩いて帰ろうを歌っている人』という認識しか抱いていなかった。それどころか他の曲はひとつも聴いたことがなく、斉藤和義という人間がどんな風貌で、どんな立ち振舞いをしているのかも分からなかった。
 
気付けば斉藤和義の良さを熱弁する彼女たちに、僕はかつての自分の面影を重ねていた。そして「そういえば僕が斉藤和義を好きになったきっかけもライブだったな」と、感慨深い気持ちになりながら帰路に着いたのだった。
 
時代は巡るが、斉藤和義は変わらない。いつまでも不変で、格好良く、マイペースな男こと斉藤和義。きっと僕らが歩む先には、いつも彼がいることだろう。今までも、これからも。


※この記事は2019年8月28日に音楽文に掲載されたものです。