キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】ありきたりな音楽シーンに落とされた爆弾 〜ビリー・アイリッシュのデビューアルバム、全曲解説によって見えたものとは〜

ビリー・アイリッシュのデビューアルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』が素晴らしい。
 
ここ数十年間で音楽シーンは、様々な変遷を遂げてきた。しかし今作は「こんなの聴いたことない!」と心から言える、極上のポップ・アルバムである。
 
聞けば今アルバムは全米、全英共にアルバムチャートで初登場1位を獲得。ツアーは全会場ソールドアウト。更に海外の若者の間で彼女は、最前線のポップ・アイコンとして今大人気だという。
 
さて、音楽が飽和している現在において、一体何が若者の心を掴み、コアな音楽ファンを翻弄しているのだろうか。今回は全曲レビューでもって、ビリー・アイリッシュ初のアルバムである『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』の全貌を紐解いていこうと思う。尚、今回の記事では輸入盤・日本限定盤に共通して収録している楽曲のみを取り上げる。
 
アルバムは13秒から成る『!!!!!!!』で幕を開ける。ビリーと周囲の人々が日常会話の後に大笑いして終わる意味深なトラックなのだが、このたった数十秒の間には多数の仕掛けが盛り込まれている。
 
この一連のトークは雑に訳すならば「最近歯列矯正器具を取ったから、このアルバムめっちゃ歌いやすいわ!」というようなことが語られている。
 
プロデューサー兼ビリーの実兄であるフィニアスは海外webサイトにて、「冒頭の何かを擦る音に関しては、ラッパーのリル・ウェインが流行らしたとされるライターの着火音をモチーフにしているのでは」と推察。加えておそらくこの音は、ビリーが実際に歯医者で経験した、排唾管の音なのではとも。
 
これらの事柄から察するに、ビリーはダークに徹したこのアルバムにおいて、少しばかりのユーモアをプラスしようと考えて『!!!!!!!』を入れたのは明白。今作は全編通して驚きに満ちたアルバムだが、1曲目の『!!!!!!!』を聴き終えた頃には、既にリスナーの心は掌握されているはずだ。
 
鼓膜の内側で、まるで耳元で囁くようにも聴こえる『bad guy』はゾクゾクするほど刺激的なナンバー。再生ボタンを押した直後には激しいパーカッションの音色が鳴り響き、そのビリーらしからぬダンサブルなサウンドにまず驚かされる。音像は打ち込みのパーカッションとフィンガースナップ、ピアノ、そしてビリー自身の何重にも広げたコーラスという多彩な音数で進行し、非常に賑やか。
 
残り40秒を数える頃になると更に音を重ね、吐息を交わらせてオリジナリティーを演出。昨今のライブではこの楽曲がオープナーを飾ることが多いのだが、観客とビリーが渾然一体となって盛り上がる様は圧巻だ。間違いなくこのアルバム内では最も激しい楽曲であり、かつ遊び心も満載のトラックと言えよう。
 
続く『xanny』は穏やかな語り口からスタートするバラード曲。耳元で囁くように聴こえる手法は前曲と同様だが、特筆すべきは声にエフェクトをこれでもかとかけている点。エフェクトがかった歌声が左右の耳元で重低音と共に押し寄せて来る様は、さながら一種の恐怖体験。喧騒の中では絶対に聴けない絶大な臨場感でもって、耳と心は瞬時に掌握されること請け合いだ。
 
口内や顔中に蜘蛛を侍らせる過激な動画で一躍話題となった『you should see me in a crown』は、爆発的に鳴り響くサビ部分が印象的な楽曲。中でも「私を見たらみんな跪くの」と語った後の「……一人ずつね」とボソリと呟くビリーの一言は、周囲の音が一瞬消えた状態で語られるのだが、これがミステリアスな格好良さを演出しており、すこぶる良い。

続く『all the good girls go to hell』は今作の中でも屈指のアッパーなナンバーとして鳴っている。もちろん根底にはビリーの代名詞でもある重低音とダークなエッセンスも散りばめられているのだが、あまりにもダークな楽曲で埋め尽くされた今作においては、若干トーンの高いこの曲は一種のスパイスにも感じられる。終盤では猫の鳴き真似をしたり大袈裟に笑ったりするなど、17歳の少女らしい天真爛漫っぷりも垣間見える。
 
『wish you were gay』は、ビリー自身の過去の恋愛について赤裸々に語る楽曲だ。一方的なメールの数々や、何度も孤独な夜を経験したビリーの心からの言葉。それこそがタイトルにも冠されている「あなたがゲイだったら想いを断ち切れるのに」という衝撃的なフレーズなのである。一見すると過激な表現にも思えるが、全編通して悲しき想いに囚われるこの楽曲を聴いているうちに、この言葉は深く、叙情的に響いてくるはず。
 
PVでは黒い涙がとめどもなく流れる『when the party's over』。この楽曲内ではダークな音は鳴りを潜め、ピアノを主旋律とする直接的なバラードだ。何度も言葉を切りつつかつての失恋を歌うビリー。先日カリフォルニア州で行われたフェス・コーチェラでは、この楽曲をプレイしている瞬間、黄色い歓声が飛び交っていた会場がピタリと静まり返ったのが印象的だった。
 
ややもすれば盛り上がる雰囲気を壊しかねないミニマルな形で進行するこの楽曲をあえて選択したのは、やはりこの楽曲がビリーの恋愛観と、彼女の哲学を如実に表しているからなのだろう。自分に嘘を付きながら終わりつつある恋愛に身を委ねるビリーと、ステージ上で軽やかに歌い踊るビリー。そのふたつは相反する感情でありながらも、どちらも等身大のビリーそのものなのである。
 
ウクレレを爪弾く調べに乗せ、声を多大なエフェクトで加工しつつ歌うポップな冒頭に驚く『8』は、エフェクトなしで歌い始める頃にはしっかりビリー節。普段はピンボーカルとして存在感を放つビリーであるが、昨年のサマソニなどのフェス会場においてはドレイクの『Hotline Bling』をウクレレを弾きながら歌う場面も見受けられた。
 
よってこのアルバムの中では極めて異質な曲として鳴ってはいるが、ライブにおいては逆に会場のボルテージを上昇させるのに一役買う、重要な曲となるだろう。単独公演では、再びビリーのウクレレプレイが観られるかもしれないので、期待したいところ。
  
『my strange addiction』。冒頭で謎の人物が「駄目だ、ビリー。私は妻が死んでからダンスをしたことがないんだ」と語るシーンからも分かる通り、この楽曲は一貫してホラーテイストで進んでいく。
 
この楽曲内での会話、ストーリーはほぼフィクションであり、架空の人物の視点で展開していく。サウンドやリズムは至ってビリーらしいと言えるが、楽曲中では悲しみを孕んだ日常会話が繰り広げられる。それが一種のスパイスとなり、楽曲に彩りを加えている点も面白い。
 
『bury a friend』は直訳すると「友人を埋葬する」という意味になる。この印象的なタイトルについては、サビ部分での「自分を終わらせたい」と歌われる部分でもって、意味を汲み取ることができる。
 
そう。この楽曲はビリーの心に内在するモンスターに向けて歌われているのだ。つまり「友人を埋葬する」という衝撃的なタイトルはズバリ、そのモンスターに対しての行動なのである。そのためサビ部分では「自分を終わらせたい」というフレーズが繰り返され、抽象的な破壊欲求が語られるのだ。
 
ラストではアルバムタイトルにもなっている「眠りにおちる時、私たちはどこへ行くの?」と語りかけて終わる。ビリーとモンスターがどうなったのかは知る由もないのだが、おそらくは悲しい結末を迎えるのだろう。極めてネガティブでミステリアスな楽曲。
  
『ilomilo』は無機質に鳴るピアノが印象的なミドルナンバー。特徴的なタイトルに関しては2010年に発売された、同名のパズルゲームをモチーフにしたとされる。
 
この楽曲では、孤独感に満ち溢れたビリーの心情が歌われる。「あなたはどこに行ったの?」と静かに訴える様は一途な想いを感じさせる反面、ある種のホラーな雰囲気も孕んでいる。あえて抽象的に、主語や述語を省くその霧に包まれたような語り口は、人によっては様々な解釈が出来るだろう。
  
『listen before i go』。終始一定のリズムでピアノが先導し、印象的なサビや展開はほとんどない。その穏やかな作りはさながら子守唄のようでもあり、様々な打ち込みサウンドが猛威を振るうこのアルバムの中では、最も静かに進行する楽曲と言える。
 
しかしながら『音数をいかに増やして臨場感を与えるか』がトレンドになりつつある今の音楽シーンにおいては、『listen before i go』における徹底的な引き算的サウンドは、今の時代と完全に逆行する代物だ。ラストに「ごめんね」と呟いた後、次第に近付いて聴こえる救急車のサイレンの音で終わるのも刺激的。少しばかりの気だるさとバッドエンド的な雰囲気を纏いつつ、次曲へと進んでいく。
  
『i love you』。ここまでの解説でお分かりの通り、このアルバムはビリー自身のかつての恋愛事情や失恋経験に基づいて書かれた楽曲が大半を占める、多大なるメッセージアルバムである。世間的には「まだまだ若者」と呼ばれること多い17歳の少女は直喩的かつ等身大で、過去(おそらく現在も)の交際を赤裸々に歌うのだ。
 
この楽曲は、今回のアルバムの中でも最もリアルに想いを吐き出している。曲の冒頭、ビリーは「私はずっと嘘をつかれていたの」と述べる。愛情が希薄になりつつある相手を心の底から相手を愛しているビリーは、心のどこかではこの恋愛がいずれ破綻するであろうことを予期している。
 
ギターを爪弾く調べに乗せて「あなたを愛してるわ」と歌うビリー。しかし先がないことも理解しているビリーは、言葉の後に「でも望んでもいないのよ」と付け足すのだ。一貫してスローテンポで進行し、起伏もほとんどないナンバーだからこそ、よりリアルに心情を伺い知ることができる楽曲とも言えるだろう。
 
アルバムの最後を飾るのは『goodbye』。この曲は今回のアルバムに収録されている楽曲のフレーズを、ひとつずつ繋ぎ合わせて作られた意欲作である。
 
オリジナルの歌詞は冒頭の「お願い、私を置いて行かないで」のみで、それ以降は順番も性質もバラバラな歌詞の羅列で形作られる。そのため逆に言えば、総じてメッセージ性の強い今作の中では、唯一意味を見出すことが不可能な曲でもある。しかしながら『goodbye』という曲名やミニマルな音像で突き進む雰囲気からして、おそらくは暗く悲しいイメージで作られたのだろうと思う。
 
コラージュの如く他方から貼り付けられた歌詞の羅列で何を感じ、何を求めるのかは人によって千差万別だろう。この楽曲がなぜラストを飾り、『goodbye』と名付けられたのか。そこには大きな意味が込められている気がしてならないが、その答えはビリーにしか分からない。いちリスナーである僕らが推察するのは、野暮というものだ。
  
……さて、以上でアルバムの全曲解説は終了だ。ここからは僕の個人的な見解を語りたいと思う。
 
今の海外の音楽シーンを見ていると、「ビリーは今の若者と完全にリンクしているのだな」と感じることがある。例を挙げると彼女のたわいもない発言がSNSで取り沙汰される、その奇抜なファッションにスポットが当たる、ジャスティン・ビーバーとの初対面でパニックになり、緊張しながらも必死に言葉を捲し立てるといった部分においてだ。
 
今ビリーがスターダムを駆け上がっていることは世界各国で周知の事実だろうが、そんな彼女の言動ひとつひとつは間違いなく「今の時代に生きる若者」のリアルな心情が含まれているのだ。
 
加えて今回の全曲解説によって、なぜビリーが若者の心を掴んで離さないのか、その理由の一端が垣間見えた気がする。
 
そう。ビリーの言葉には総じて、嘘がひとつもないのである。一般的には「言わない方が美徳である」と言われている事柄であっても、はっきり口にして歌にする。十代の女子が抱えている悩みや不安、恋愛事情を、オブラートに包むことなく外に発信する。そんな姿は物怖じしない今の若者と類似する部分が多々あり、その点も多くの若者の共感を得ているひとつの理由であると推測する。
 
ビリー・アイリッシュの時代は、ここから始まる。『Mad Decent Block Party Festival』や『Life Is Beautiful Festival』では、早くも史上最年少にしてフェス内の最重要アーティストとして名を連ねているビリーだが、年齢はまだ17歳。彼女が一般的に『一流アーティスト』と呼ばれるほどの年齢になった頃には、きっと想像もできない地位を築く人物となっていることだろう。
 
今回のアルバムはそんな彼女の今後の行方を占う、重要な試金石となるはずだ。間違いなく今後の音楽シーンを牽引していくミュージシャンは彼女だろうし、ゆくゆくは次世代の歌姫としてスターダムを駆け上がっていくことだろう。
 
よって今このアルバムを聴くことは、未来のスターを把握する意味で必須と言える。まだビリーの存在自体を知らない、もしくは今作を聴いていないという人は、一刻も早くこのアルバムを聴いてその類い稀なる才能に打ち震えてほしいと思う。

 

※この記事は2019年4月26日に音楽文に掲載されたものです。