キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】純白の日本社会に降り立った、一匹の黒い羊 〜社会的弱者、欅坂46が描く絶望とは〜

先日欅坂46の公式サイトにて、2月27日に発売予定の新曲『黒い羊』のミュージックビデオが公開された。
 
事前に発表されていた『黒い羊』なる重々しいタイトルから、ダークな曲調になることや、今まで以上にメッセージ性を重視した楽曲であることはある程度予想できていた。しかしながら一聴し、予想の遥か上を行く振り切りっぷりに驚いた。ここまで絶望を吐露する楽曲になるとは、誰が予想しただろう。
 
〈黒い羊 そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ〉

〈そうすれば 止まってた針はまた動き出すんだろう?〉

〈全員が納得するそんな答えなんかあるものか!〉
 
『黒い羊』にはまるでダークサイドに堕ちたかのような、ドロドロとした思いが渦巻いている。そこにはアンビバレントや不協和音で見せた、力強いシュプレヒコールはほとんどない。あるのは自身のイレギュラーな立場を自覚しながらも誰とも交わらない、アイドルらしからぬ孤独な姿だ。
 
ワンカメラで製作されたPVでは、メンバーが所謂『普通の人間』に痛め付けられる様が描かれる。イジメや叱責、家庭環境……。辛い境遇に耐えきれず、メンバーはみな疲弊し、倒れ込んでいる。そんな中、センターを務める平手友梨奈はメンバーを助け出そうと努力するものの、更なる社会的弱者である平手の正義感は、悉く拒絶されてしまう。
 
ミュージックビデオのラストでは、普通の人間らと共に、蔑まれていたはずのメンバーが結託。『平手を拒絶する者たち』としての連帯感をより強めていく。ただひとり残された平手は注目を浴びる的となり、絶望と悲壮感、怒りを内包した壮絶な踊りでもって、悪目立ちしたままフェードアウトする……。そんな内容だ。
 
気付けば画面を凝視していた。歌詞のひとつひとつを噛み砕きながら見入っている自分がいた。5分37秒の偶像劇が終わった後には、まるで濃密な映画を見終えた時のような満足感があった。
 
欅坂46は結成当初から、徹底して世間に牙を剥いてきたアイドルだ。同調圧力を強める社会に向けて、その輪に入ることができない人間の心の内を代弁し、吹けば飛ぶような主義主張を展開した。
 
そんな欅坂46の姿勢に、当初は否定的な意見も多かった。しかし今では異端者であったはずの彼女たちは世間に受け入れられ、音楽シーン全体を牽引する存在となっている。
 
だからこそ今、欅坂46はこの曲を歌わなければならない。鬱屈した思いが秘められた『黒い羊』を彼女たちが歌うことには、大きな意味がある。
 
断言するが、この楽曲は間違いなく2019年を代表するメッセージソングになる。もちろん今までと同様に音楽チャート上位に食い込むのは確実で、街中で流れる機会も増えるだろうが、この楽曲が広まれば何かが変わる気がするのだ。日本国民の集団的価値観や凝り固まった一般論を破壊するような、そんな一石を投じる作品になると期待してしまう。
 
〈白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ〉

〈そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ〉

〈まわりと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?〉
 
どす黒い思いを抱えないことが美徳とされる日本社会。そこに現れた一匹の黒い羊は今年、どんな景色を見せてくれるのだろうか。

 

※この記事は2019年2月14日に音楽文に掲載されたものです。