キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】Aviciiを聴けなくなった日 〜でも僕は、Aviciiが好きだ〜

驚いた。本当に驚いた。

4月21日に報道された、Aviciiことティム・バークリングの訃報。あまりにも突然のニュースであったし、今も信じられない、というのが正直なところである。

僕がAviciiを聴き始めたきっかけは、某動画サイトで観た『Wake Me Up』のPVからだった。カントリー調のギター、キラキラなシンセ、破壊力抜群のサビ……。

『Wake Me Up』は今まで聴いたどの音楽とも違う、ポップでポジティブな雰囲気に満ち溢れていた。衝撃を受けた僕はすぐにアルバムを買い、毎日聴いた。

『True』、『Stories』の2枚は、間違いなく最高のEDMアルバムであったし、2017年に発表された『Without You』も、少し憂いを帯びた作品ではあったが、大好きだった。まさかこれが生前最期の作品になるとは思ってもみなかったが……。
 
……訃報を知った僕が最初に取った行動は、『Wake Me Up』を聴くことだった。本来ならば自然に体が動き出すはずなのだが、この日は違った。

「あれ……?」

何かがおかしい。気分が高揚しない。

トム・ペティ、チェスター・ベニントンなど、洋楽を代表する有名ミュージシャンの死。去年から立て続けに起きた訃報の数々に、僕は「悲しい」と思ったものだ。だがAviciiは違う。不思議にも、悲しさはなかった。代わりに、心にぽっかりと穴が空いたような喪失感だけが、心を支配していた。

そのとき気付いた。「ああ、俺Avicii大好きだったんだ」と。

ティムが腕を高く挙げ、リズムに合わせて手をパーとグーの形にしながら観客を煽る姿。『Avicii JAPAN TOUR 2016』東京公演にて、「トキオーッ!」と高らかに叫んだ姿……。彼の言動全てが、テンションを上げようと試みる僕の体をガッチリと固めていた。

これからはAviciiを聴いても、以前のように純粋に楽しむことは出来ないだろう。でも相変わらず、毎日聴くのだろうなと思う。

僕は忘れない。4月21日を。

この日は、Aviciiを『Aviciiとして』聴けなくなってしまった日なのだから。


※この記事は2018年4月24日に音楽文に掲載されたものです。