キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

King GnuやVaundyのカバーも披露した、RSRの藤井風のYouTubeライブを観て

こんばんは、キタガワです。

 

https://fujiikaze.com/

日本4大フェスのひとつ。陽が昇るまでの長時間のフェスゆえに『RISING SUN ROCK FESTIVAL』……。他にもRSRという夏フェスについて語ることはあろう。けれど少なくともこの瞬間においては、誰しもの心はひとりに捧げられた。終演後TLに流れたコメントの嵐から見ても、あまりに圧巻のライブだった。


肝心のライブ、筆者は現地ではなく生配信で観たクチ。今回の彼のセットは完全弾き語りで、最近まで行われていた全国ツアーとほぼほぼ同じ形ではある。けれどもその公演自体がとてつもない倍率だったこともあり、こうして藤井風のライブを観ること自体初、という人も決して少なくなかった。その証拠に何と0時45分からの配信にも関わらず最終的な同接は20万回。改めて彼の人気を実感した形だ。


定刻になり、YouTubeの画面がステージに切り替わる。そこに映し出されたのは中央に設置されたグランドピアノで、他にはギターもマイクスタンドもない。あまりイメージは沸かなかったが、本当に彼はたったひとりでライブをするつもりらしい。しばらくして舞台袖から現れたのは我らが藤井風!……なのだが、その甘いマスクとは対照的に立ち振る舞いはマイペース。どこかフニャフニャした余裕ぶりで、一気に脱力してしまうのも彼の魅力。


拍手に包まれつつ、ゆっくりと手に持ったマイクでアカペラで歌い始めた藤井。聴き慣れないフレーズに一瞬「新曲か?」と思ってしまったのだけれど、よくよく聴けば何とオープナーはVaundyの“踊り子”だった。結果的にはここから“恋風邪にのせて”→“napori”→“東京フラッシュ”と怒涛のVaundyメドレーが続いた訳だが、これはVaundyの新型コロナウイルス感染による代役として、彼自身が与えられた役割を理解してのこと。全く予期していなかった粋なサプライズに、会場も大盛りあがりだ。

 

Fujii Kaze - Kaerou (Official Video) - YouTube

“何なんw”→“帰ろう”の鉄板藤井風ナンバーを挟めば、そこからは更なるサプライズとして、新型コロナウイルスにより出演を辞退したアーティストたちのメドレーを披露。極悪難易度に戸惑いつつも食らいついたヌーの“Vinyl”、どこか歌い方も似せた感のあるカネコアヤノの“祝日”、応援歌的な歌詞がここに来てグッときたBiSH“オーケストラ”……。思えば彼に出演オファーが舞い込んだのはほんの2日前。そこから練習するにしてもかなりの負担だったと推察するが、逆に言えばソロの弾き語りで、なおかつ藤井風の実力があってこそ成立した一幕だろう。

 

Fujii Kaze - Tabiji (Official Video) - YouTube

ライブのラスト(実際にはもう1曲やったが)は“旅路”を選曲。コロナや戦争、それ以外の個人的な出来事も含め、本当にいろいろなことが起こったここ数年。そんな中彼は全てを肯定する優しさで、この楽曲を届けてくれた。そして予定よりも巻いたのか、“旅路”後は急遽オケを流しつつ“まつり”を披露。彼いわく「ただのカラオケ」な“まつり”だったが、その分身振り手振りも合わさって視覚的にも楽しい。一般的な祭りイメージよりは圧倒的にダウナーに寄ったサウンドで、最後まで藤井風らしい形での終幕となった。

 

Fujii Kaze - Matsuri(Official Video) - YouTube

今回のライブで強く感じたのは、彼のフロントマン然とした姿が如何に視線を集めているかということ。画面に映る表情ひとつとっても、目が離せないのである。単なる『イケメン』のベクトルでは語れない存在感が、そこにはあったように思う。加えて、これはこの日限りのことではあるが、藤井がどれほど多くのアーティストをリスペクトしているのかも深く知ることができた。ひとつの例として、以前紅白歌合戦後の寝そべり生配信で、いろいろなアーティストの楽曲を即興で弾き倒す場面もあったのだけれど、総じて各自の音楽の素晴らしさを彼自身が認識しているからこそだろうと。


藤井風ファンならずとも、大いに引き込まれたRSRのライブ映像。本当に観ることが出来て良かったのはもちろん、出演を快諾してくれた藤井風サイド、公開に漕ぎ着けた関係各位に心からの感謝を伝えたい。次は是非とも現場で観たいところ!


【藤井風@RSR セットリスト】
踊り子(Vaundyカバー)
恋風邪にのせて(Vaundyカバー)
napori(Vaundyカバー)
東京フラッシュ(Vaundyカバー)
何なんw
帰ろう
Vinyl(King Gnuカバー)
祝日(カネコアヤノカバー)
オーケストラ(BiSHカバー)
きらり
旅路
まつり

コロナ禍のいろいろ、ライブのいろいろ、衝突のいろいろ

フジロックが終わり、ロッキンが始まり、サマソニが最後を締め括る夏!アルコールも解禁。マスクも取り外しOK。まだまだ規制はあれど、ようやく夏らしい思い出が作れそうな雰囲気だ。

特に先日無料配信された、フジロックの興奮は格別だった。そもそもフジのあの自然に囲まれた環境でライブを行うこと自体、多くのアーティストにとっての夢。故に素晴らしいパフォーマンスになったのは言うまでもないが、それ以上に観客側の「待ってました!」とするエネルギーというか、音楽に飢える心も強く感じた次第。コロナ禍なのできっと行きたくても行けなかった人も多かったとは思うが、あの空間を映像化してくれた意義は、きっと大きいのだろうなと。

ただ、そんな現地の興奮とは逆の動きを見せていたのは、音楽にあまり興味のない層による批判的なコメントだったりもした。「こんな時期にフェスに行くなんて無責任だ」とか、そういう類いのもの。実際フジロックに参加した帰りにコロナ陽性になった人も少なからずおり、まだまだ大衆の理解を得るのは難しいと痛感。

正直、個人的には『このコロナの時期にライブに行く』ことに容認派ではある。けれどもそれは自分自身が音楽に救われてきたからであって、「音楽なんてほとんど聴きませんよ」という経験のまま大人になっていたら、おそらくフジロックを否定してしまう可能性もあったと思う。……これは野球観戦でも旅行でも、夏祭りでも多分同じベクトル。いくら当人にとっては大切な出来事でも、コロナ感染の可能性のフィルターを通してしまえば、外野からのNOが多数派になる辛い世の中になってしまった。自戒の意味も込めて、最近はつくづくそう思う。

JPEGMAFIA - Live @ Fuji Rock Festival 2022 - YouTube

 

例えば、人と今回のフジの話をしていてもどうも噛み合わない。YouTubeの動画を見せながら「フジロックの配信観ました?」と切り出したところで、自分としては「◯◯と◯◯が最高だった」という話をしたいのに、画面を観た人からは「こりゃ明日の感染者凄いぞ」とか「マスク外してる人いるじゃん」とか、そういう反応だった。でも仕方のないことだ。何故なら音楽に救われたり夏フェスに行く人自体が、圧倒的に少数派なのだから。

気付けばコロナ禍も3年目。そのため「じゃあそんな中でも出来る楽しみを見出そう!」とするのは必然だ。にも関わらず、家でネトフリを観るのはOK。居酒屋に行くのもOK。なのに、音楽系のイベントに行くことは本能的にNGを出される現在。分断が未だ根強いのは重々承知にしろ、そう簡単には元通りにならないところまで来てしまった印象が強い。言い方は悪いけれども、コロナに罹って社内に居場所がなくなったとしても、それを覚悟して参加する必要くらいはあろうと。

そうした世間的やら何やらをいろいろ考えていたら、気付けばほとんどライブに行かないまま数ヶ月が経過していた今である。何だか次第に、ライブやフェスに行かない生活にも慣れてしまった感もあってとても寂しい。でもやっぱり、重要な何かが欠けているのだ。それが他者にとっては恋人やゲームやお金であるように、少なくとも自分には音楽なのだなと痛感する日々だ。残す夏フェスはあと数個しかないが、果たしてどうなることやら。何にも怯えずに楽しめる世の中を、一刻も早く希求したい。

きのこ帝国 - 猫とアレルギー - YouTube

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『フジロックフェスティバル2022』を観て泣きそうになった話

フジロックの生配信を観て、何だか泣けてきてしまった。思えば昨年はコロナの爆発的感染を受け、演者側も参加者側もかなりの逆風に晒されたフジロックだった。実際、会場である苗場には「ニュースですっぱ抜いたろ!」というアクセス数目的のメディアが多数いたし、我々もアルコール禁止・発声禁止で試行錯誤。折坂悠太や小泉今日子ら参加者も「こんな時に出演して良いものか」と悩んだ末、出演を辞退することすらあった。

ただ、昨年の辛い経験があったからこそ今年のフジロックは大団円で終わった。基本的に2022フジは、昨年行われていた規制を極力排除した形で敢行。酒も大声もほぼ普段通り。完全ではないまでも、一定の水準まではフジロックが復活したと言っても良いと思う。来日勢についても、それこそ昨年のスパソニでは隔離措置のために観光も出来ずに母国へ帰っていったアーティストも多かった。翻って今年はトリのムラ・マサ(ちなみにアーティスト名前は日本刀の村正から取ってます!)が寿司のうまさに感激してGoogle翻訳で板前に感謝を伝えたりだとか、フォールズが笑顔で東京を歩いたりとか、とてもアーティスト側も日本をエンジョイしているのが伝わってきて、開始前からウルウルと……。

 

そして、フジロックのライブがとても素晴らしかったのは言うまでもない。確かに来日勢としてはマスク・オーディエンスだし、難しい環境になるとは思ってはいた。そんな中でジェイペグマフィアは客席で歌って、スーパーオーガニズムに至っては観客をステージに上げまくるというこれまでのライブでもなかった試みをしていた。こう書いてしまうと暴論だけれど、誰かのアクションに流されやすい日本人の感覚として、来日勢の「コロナなんて知らねえ!っていうかまだみんな遠慮してんの?」なテンションが上手く伝播した形なのかなと。……自粛自粛の世の中、誰かの行動に横槍を入れるのももう何度も何度も見てきた。それは今もそうで、多分フジロックに今年行った人も、職場やら学校やらにいろいろ配慮しながら赴いたと思う。……でもあの数時間だけは何もかも忘れられる。それこそが音楽の素晴らしさなのだと、本当に強く思った。いろんな人のことを考えて、何度も泣きそうになった。

まだまだライブシーンの完全復活は先になる。ただ少なくとも今年のフジの配信を観てアンチがほぼ生まれなかったこと、賛辞の声が多かったことも考えると、好転はしてきているのかなと思ったり。間接的な気持ちにはなるけれど、今年のフジが開催されたことで何か大きな変化がもたらされたような気がする。RPGで言うところのメインストーリーとは関係ないけど武器を強化したり、サブイベントを攻略したりといった、そんな本編とはちょっと違う確実な進行というか。……最後の最後に「このサブクリアとこの武器持ってなかったらバッドエンドだったよ!」と言われるような。あまり気付かれないライブシーン攻略の裏ルートが今年のフジなのかもしれない。

だからこそ、今年のフジの素晴らしさはもっともっと知られるべきだ。3年ぶりに洋楽勢が揃ったフジロック。参加者含め、YouTube配信を観た人はどんどん興奮を拡散していってほしい。そしてこんなことは書くべきではないだろうが、全ての日程が終わった今、もし昨年あれほど叩きまくったメディアが明日からこのフジロックの意義を報道しないようなら、個人的には軽蔑する。……復活の狼煙は上がった。なれば来年再来年と続くように、みんなで応援していこうではないか。

本当に素晴らしいフェスでした。これからもそう。全部大丈夫。

Superorganism - It's All Good (Official Video) - YouTube

【コラム寄稿のお知らせ】ライブチケットの抽選に当たりやすい買い方 ファンクラブ、先行受付から……最後の望みまで

 

uzurea.net様へ、ライブチケットの購入方法に関しての記事を寄稿いたしました。ぜひ。

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僕といえば主人公にすがって頼る 村人Cくらいかなあ

人生は、気付けば何かに支配されている。仕事。ゲーム。旅行……。社会人としていろいろと考えながらも、その上で自分にとって第一義とするものはガッチリ固めるような生き方。それはとても素晴らしいと思うと同時に、逃れられない絶対欲求でもある。

そうした最強の趣味に出会ってしまう人の大半は、やはり中高時代に好きだったものの延長線上にあるのではと思う。体を動かすことが好きだった人は運動を今でも続けているし、機械イジリが好きだった人は今でもガジェットをチェック。帰宅部でゲームばかりやっていた人は大人になってもゲームを楽しんでいる。……いや、そもそも好きだったこと以外もだ。その他の考えやら何やら。結果我々はあらゆること学生時代と変わってはいないはず。「性格は変えられる」とは誰が言ったか、ある意味では結果として子どものままの状態で大人になってしまった、という悲しい末路がこのリアルなのだ。

翻って、子どもの頃から興味のなかったことや苦手なことは、将来的に克服できるとも思えない。それはもはや自明の理で、学生時代においてもスポーツが苦手だから運動はやらないよ。国語の漢文意味わからんから他の教科でトントンにするよ、となるのは当然のこととして理解されてきた。……やりたいことはやる。やらないことはやらない。答えは本当にシンプルで、昔から我々はそんな行動をしてきたはず。

ただ、そんな中でも絶対に必要なスキルは存在する。その最上位として降臨するのが人間関係だ。けれどもそうしたスキルが生まれながらにして欠如している人間は、生涯悲しい枷を背負って生きるのと同義でもある。周囲に合わせて合わせて、でも上手く行かなくて。最終的にはそのストレスを自己否定で完結してしまう人も、きっと世の中には多い。

そして僕個人として。少なくともそうした社会的に孤立したり辛い思いをしている人には、寄り添うような人間でありたいと思っている。ただ、こうした思いは世間とはおそらく逆に近いのだ。実際、僕と未だに関わってくれる人は心に闇を抱えた人が多い。それは本当にありがたいことだし、ネガティブな経験をした人間として話し相手になりたいとも思うのだけれど。他の人にそのことを話すとやれ「共依存だ」やら「関わらん方がいいよ」やら、メチャクチャなことを言われたりする。そのたびに、何というか「僕は世間一般的な感覚を持つ人とは交われないんだな」と痛感するのだ。

何か興味のある出来事があったとして、それを犠牲にし。なおかつ自分を殺してまで社会に迎合しないと生きられないのが世の中のリアル。もしかすると、僕らのような精神状態の人間は必要とされていないのかもしれない。でも「人生前向きに頑張らなきゃっ!!」と明るく笑う人と同じように、辛い人が報われる社会になってほしいとも願っている。そうした人がいつの日か、毎日楽しく笑えるときは来るのだろうか……。

美波「main actor 」MV - YouTube