キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【ライブレポート】爆弾ジョニー『月刊爆弾ジョニー10周年SP ワンマン』@新宿Red Cloth

こんばんは、キタガワです。

 

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「なんも言ってねえんだよ!どこもよー!バンドなんていろいろ言うけど、結局何も言ってねえんだよ!おんなじだ!全員同じ人間だバカ!」……。バンドのフロントマンであるりょーめー(Vo.Gt)はアンコールの最後に、高らかに絶叫した。コロナウイルスや自粛生活など、ここ数ヵ月で世界中のあらゆるミュージシャンが発信してきたであろう悲観的な事象について、彼らは今回のライブで一切触れることはなかった。エネルギッシュな熱量が怒濤の勢いで押し寄せ会場全体を掻き回す、未曾有の状況を一時でも意識の埒外に追いやるが如くのライブがそこにはあった。


今回のタイトルに冠されている『月刊爆弾ジョニー 10周年SP』とは、4月から7月にかけて爆弾ジョニーがその都度ゲストを招いて新宿Red Clothにて行われる予定だったライブイベントである。そして今回のライブは企画していた上記のイベントが全てオンライン公演、もしくは公演延期か中止となった現状を受け急遽決定したもの。そのため本来であればソールドアウト必至であったであろう今回のライブは完全な無観客ではないまでも20人限定の完全抽選制で、更にはリアムタイムに繰り広げられるその映像をカメラに収め、オンライン上で配信する形だ。


定刻を過ぎると、『紅布』との看板が背後に掲げられる印象的なレッドクロスのステージ上にひとり、またひとりとメンバーが入場。前に数十人の観客が等間隔で座っているというある種緊張感のある場面を目の当たりにしたロマンチック☆安田(Key.Gt)が「やべえ……オーディションだ」と思わず呟くと、メンバー各々のチューニングの果てにライブは現状YouTubeにて公開された自主MVでのみ聴くことが可能な楽曲“緑”で幕を開けた。バンドメンバーは地に足着いた丁寧な演奏に終止し、ステージの中心でギターを弾き鳴らすりょーめーは基本的には虚空を見つめ、時折目を瞑りながら清らかな歌声を響かせていく。“緑”は爽やかな中にもバンド然とした勢いを纏ったポップロックナンバーであるが、このミドルテンポなアンサンブルでもって、会場は少しずつ温められていく。

 


爆弾ジョニー 『なあ~んにも [Music Clip]』


“緑”をオープナーに演奏したことである種緩やかに進行するかと思いきや、その後は一転、かねてよりのライブアンセムをこれでもかと詰め込んだアッパーチューンの連続だ。2曲目に選ばれたのは彼らの代表曲“なぁ~んにも”で、言うまでもなく会場全体の熱量を一気に上昇させていく。恋と愛、セックスを知った故に愛という存在を忘れてしまうという人間の悲しき成長を描くこの楽曲を、りょーめーは集まった観客の目を見ながら真摯に届けていき、サビ前には「だけど嬉しい気持ち、そういうものは、分かち合う時に分かち合っておこうやー!」と絶叫。ラスト《なぁ~んにもないじゃないか~》との本来の歌詞とは全く真逆の「何もある!何もある!」とのフレーズを繰り返し、ギターを幾度も頭上から振り下ろしながら弾くりょーめーの姿には、強い魂が宿っていた。


続く“ケンキョニオラツケ!”からは、りょーめーのハイテンションな言動と、それに逐一振り回されるメンバーたちの対比が笑いを誘う。爆弾ジョニー自ら「遠藤章造のパクり」と公言している「ホホホイしようぜホホホイのホイ」の振り付けを現在進行形で観客に指導中の安田を指して、りょーめーは「すっごい歯茎見えてるでしょーこれー」と徹底的に弄り倒し、更には原曲を完全に無視した誇張に誇張を重ねた裏声+情緒不安定な歌唱に徹し、果ては本来自身が歌う場面であるにも関わらず足元に転がったドリンクをテーブルに戻して「そんなとこ置いたら危ないぞ!」とメンバーを戒める。本来自身が歌う場面であるにも関わらず歌わないこともざらで、もはや制御不可能なレベルの自由奔放っぷり。

 


爆弾ジョニー 『唯一人(tadahitori)[Music Clip]』


りょーめーの暴走状態は次に披露されたテレビアニメ『ピンポン』のオープニングテーマとしてお茶の間に広く響き渡った”唯一人“においても留まることはなく、歌い出しの時点からビートたけしともテノール歌手ともつかない過剰な身ぶり手振りと野太い声で進行し、楽曲の合間には「気持ちいいことがしてえだけなんだろー!?どうなんだよお!」とカメラの奥で楽しむファンに向かって問い詰める一幕も。後半部では安田の首に掛けられたクロスダイヤを手に取り「これは十字架です。はい」と弄り、後方で演奏する小堀ファイヤー(B)をおもむろに捕まえると、胸に大量に貼り付けられた日高屋のライス大盛り無料券について詰問。そうしたりょーめーの荒唐無稽なライブパフォーマンスは、数分後に訪れる本格的なMCに突入するまで続いたのだった。


MCに突入すると「配信観てる人はあんまり状況が分かんないかもしれないけど、今日は20人ぐらいのお客さんを入れてやっています。そして僕が見たところ、20人の中で多分男が2人……?あ、男3人。20人ぐらいの中で男3人で女の子17人って感じ何か覚えあるなと思って、さっき分かった。吹奏楽部っぽい」と語る安田に対し、「多分その来てる男3人はメンバーの誰かのことが好きなホモの方っていう……」と盛大にボケるりょーめー。新宿レッドクロスはこの日が開店記念日、かつ17周年。故に逆算すると爆弾ジョニーが全員10歳の頃からレッドクロスが居を構えているということから、次第に話は脱線し、気付けば10歳(小学4年生)の頃の思い出話に花を咲かせていた。けれども学校生活の思い出を口々に語る吐露するメンバーをよそに、りょーめーは「俺小4の記憶ないんだよね。小3の最後に万引きして怒られてウンチ漏らして、そこからの記憶が小5に飛んでる」という予想外の展開から、最終的には仲の良かった友人が母親に「りょーめー君と遊んじゃいけないからね!」と叱られた末に友人関係の解消をやんわり諭された苦い経験を語り、そのあまりの悲壮な展開にトークは強制終了。

 


爆弾ジョニー 『終わりなき午後の冒険者 (Music Clip)』


今回のライブは前半はワンマンライブ等でほぼ欠かさずライブアンセムを惜しげもなく投下し、後半以降は2017年にリリースされたEP『BAKUDANIUS』と『クレイジービートラリアット』の楽曲群、更には1年以上前のライブで無料配布された音源や未発表音源も取り入れた良い意味でどっち付かずなセットリストで構成。そんな中りょーめーはその都度楽曲の主たる部分こそ真面目。しかしながら前述の通り、間奏や自身のパートはアドリブ満載で、本来然程時間を割かないMCに至ってはメンバーを巻き込んでの掴み所のないボケを連発し、それに安田がやむを得ず突っ込み、気を良くしたりょーめーが再度ボケるという無限構造が出来上がったことで、最終的にMCの時間がかなり長くなったのも前半部分の特徴だった。


中盤以降の盛り上がりも凄まじい。サビの合図で一斉にクラッカーが鳴らされた“おかしな2人”や、宇宙から来た転校生に対して性的行為を夢想する“キミハキミドリ”と続き、“ステキ世界”の後には「ふざけてたら(マイクに)歯ぶつけた」と語ったりょーめーが《ニュージーランドはどこにあるの?》、《ニュージーランドはどこの国なの?》とのギター1本で“ニュージーランドはどこの国”なる即興楽曲を披露。「いきなり新しい曲作って急にやらないで」と突っ込む安田の表情には少しばかりの疲れも見えたが、おそらくりょーめーとメンバー間でこうしたやり取りは日常茶飯事なのだろう。ちなみにこの“ニュージーランドはどこの国”なる即興ソングはその後歌詞を変化させつつ、りょーめーの気の向くままにあらゆる場面で披露されることとなるのだが、詳しくは割愛。


“ララララ”前には大事なお知らせとして、9月23日に事務所を独立して初となる自身3枚目のフルアルバム『H1OPE(ホープ)』がリリースされることを発表した爆弾ジョニー。安田曰くこのアルバムは本来様々な作業を他者に依頼するところを、メンバー自身が楽曲制作からミックス作業までを手がけた所謂『ホームメイド』な作品であるらしいが、その収録曲やジャケットの説明を挟もうとした瞬間にHOME MADE 家族の代表曲を口ずさみ、果ては《夜中にいきなりさ いつ空いてるのってLINE》と瑛人の“香水”を弾き語りでプレイする形でりょーめーの横槍が入り、完全にアルバムの説明を諦めた安田は観客に「“香水”歌ってるのはエイジなの?エイジンなの?」と観客に問うて大爆笑を引き起こす。もうめちゃくちゃである。

 


爆弾ジョニー 『EVe』


その後は激しい中にも切なさを秘める、爆弾ジョニーきってのミドルチューンの連発だ。この中にはライブで演奏することが極端に少ない楽曲もあれば、現状視聴すること自体が不可能なために存在自体が知られていない楽曲も一定数盛り込まれていたのだが、一瞬たりとも高揚感が途切れることはない。りょーめーがライブの途中で、コロナウイルス対策により様々な制限を課せられる観客に対して「俺らは良いよね。狂っても許されるから。みんなの分も狂うよ」と語っていたけれど、久方ぶりのライブの興奮を我々に強く訴えかけるようでもあった。


ファンに対して等身大の感謝を綴った“かなしみのない場所へ”でもって大合唱を形成すると、ラストはりょーめーがポエトリーリーディングの如き性急さで捲し立てる“ユメノウタ”で〆。“ユメノウタ”は基本的には普段彼が話す声とほぼ同じトーンで進行するため、ハンドマイクで歌い続けるりょーめーによるその歌詞は楽器隊の爆音に掻き消され、ほとんど聞き取れない。しかしながらりょーめーはそんなことはおかまいなしといった風に時に背筋を曲げ、時に指揮者を彷彿とさせるファニーな動きを繰り出しながら、歌声とも一人言ともつかないそれを吐き出し続ける。アウトロでは彼が逆立ちの末に地面に倒れて寝転がりながらマイクを話さず歌い、ギターとベース、キーボード、ドラムが生み出すノイジーな轟音に呑まれながら、メンバーはステージを颯爽と去っていった。


アンコールはなんと、先程発表されたニューアルバム『H1OPE』に収録されている新曲と未発表曲の固め打ちだ。まずは「みんな何しに来たの今日は?爆弾ジョニーのライブ観に来たのか!そうかー。残念ながらね、爆弾ジョニーはもういないんですねえ」との理解不能な開幕から、爆弾ジョニーとは異なるヒップホップユニット・その名も『あしあとJAPAN』に扮したメンバーが演奏を放棄して舌戦を繰り広げる支離滅裂なラップ曲“あしあとJAPAN”に移行。楽曲が終われば「あの……あしあとJAPAN、もう1曲あるんですよ。“ニュージーランドはどこの国”っていう……」と、“ニュージーランドはどこの国”があしあとJAPANの楽曲だったというまさかのオチが挟まれこの日一番の爆笑をかっさらうと、今回の冒頭に披露された2014年発売のシングル“終わりなき午後の冒険者”のボーナストラックに位置していた“ガンぎまりサマ→デイズ”を再構築してタイトルを変更したその名も“ガンギマリサマーデイズ”、ラストはりょーめーの個人ツイッターにDMし直接彼の口座に振り込むことで得ることが出来るデモ音源に収録されたソロ曲“サンデーモーニング”をバンド編成で披露し、アウトロで全員が着席しているにも関わらず「せーのって言ったらみんな体育座りしてください」とのりょーめーの無茶振りで終了。


これで終わりかと思いきや、客電はまだ点かない。そう。よもやのダブルアンコールである。無音の空間のステージに歩み出たのは、バンドきってのエンタメ要因のひとりであるタイチサンダー(Dr)その人であり「今もってぃ(自身のニックネーム)オンステージってことよね?まあ……しばらくひとりステージでもいいしね」とおもむろにPCのオケを流し、本来他のメンバーが歌唱する場面も含めてたったひとりで“ギャルがゲル暮らし~遊牧民~”を歌い踊るワンマンショーに。観客からの手拍子にテンションが上がったタイチサンダーは「これ出来ちゃうんじゃない?」とメンバーの声色を真似ながら歌い続けていたが、しばらくするとメンバーが続々と入場。そこからはもはや言うまでもないが、思い思いに朝青龍や虹色のギャルビーム、超ウケる、MK5など支離滅裂な単語があちこちで叫ばれ、突発的なダンスを展開する先程の“あしあとJAPAN”と同程度かそれ以上のカオスを形成し、山本リンダの名曲“狙いうち”を彷彿とさせる昭和的なメロディーに包まれながらタイチサンダーが終わりを告げ、ライブは最後まで楽観的なイメージそのままで大団円を迎えたのだった。


りょーめーの精神的不調を理由に約1年半に渡って活動を休止し、活動再開後は精力的に楽曲制作に当たってきた爆弾ジョニー。けれども以降も昨年や一昨年のりょーめーのツイッター上での呟きを見るに、ハイペースで楽曲を世に送り出したいりょーめーの思いと商業的価値を前面に押し出したい音楽関係者側との意識の違いが深まったことにより、彼の心には再び暗雲が立ち込めることとなった。そうした事実を鑑みても、今までに観たどの爆弾ジョニーよりも、自由奔放に駆け抜けた2時間だったように思う。その理由は言うまでもなく、りょーめーの今の精神状態がこれ以上なく良好であることと、今回自主レーベルで極力他者を介在せず、ホームメイドに徹した9月23日発売となるニューアルバム『H1OPE』を完成させたことも、大きな要因のはず。


既に彼らの爆弾の導火線に、火は点いている。今後もオンライン、有観客関わらず多数のライブイベントを控える爆弾ジョニー。当然コロナの影響は免れず、リリースツアーに関しても今まで通りにいかない場面が続くだろうが、それはそれとして。今回の2時間に及んだライブが圧倒的な楽しさで終幕したように、彼らが今後『H1OPE(ホープ)』と名付けられた今作を引っ提げて各地を回るうち、爆弾の火種はますます大きくなることだろう。


【爆弾ジョニー@月刊爆弾ジョニー40周年SP セットリスト】

なぁ~んにも
ケンキョニオラツケ!
唯一人
終わりなき午後の冒険者
おかしな2人
キミハキミドリ
ステキ世界
イミナシ!
ララララ(未発表曲)
MELODY
EVe
123356(未発表曲)
かなしみのない場所へ
ユメノウタ

※曲間の随所に即興ソング“ニュージーランドはどこの国”

[アンコール]
あしあとJAPAN(新曲)
ガンギマリサマーデイズ(新曲)
サンデーモーニング(未発表曲)

[ダブルアンコール]
ギャルがゲル暮らし~遊牧民~

夜遊びの果てのフォールガイズ、沼に落ちる

こんばんは、キタガワです。

 

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私事で恐縮だが、現在PS4とSteamを中心に一代ブームを巻き起こしているインディーゲーム『Fall Guys(フォールガイズ)』を、先日からチマチマとプレイしている。実際自分自身でもここまで熱中すると思ってはいなかったのだが、いやはや。軽い気持ちで深夜、ダウンロードを決行したのが運の尽きだった。今や自身のキャラクターの色やら何やらを逐一変更しつつ、プレイのたびに一喜一憂する日々である。


実際Fall Guysはそのあまりの裾野の広さから大半のユーザーに認知されていて、僕が今記事で紹介するまでもないゲームではあるのだが、とにかく。詳しくは後述するが『ゲームのダウンロードが可能な期限』が目前に迫っていることも含め、今回は初歩的な段階からこのゲームについての魅力をサラリと紹介していく。故に今記事はさながら未だ見ぬプレイヤーがFall Guysプレイへの契機に至る、言わば説明書的なものと捉えて頂いて問題ない。

 

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ゲームを初めて起動するとまずメニュー画面に飛ばされ、ずんぐりむっくりな桃ダルマと『PLAY!』の文字が躍るのみの、殺風景な画面が貴方をお出迎え。そのあまりに殺風景な画面に困惑しL1とR1で遷移しても、出現するのはキャラクターのコスチューム変更やらオプション、スタッフロールといった直接的なゲームの要素とは一切関係のないものばかりが並ぶ。そう。このゲームは『PLAY!』を押してとあるゲーム群をプレイすること、ただそれだけ。それでいて何より雄弁な楽しさでもって、ここまでの爆発的人気を博している。


用いるボタンは基本的に○ボタン(後のアップデートで×ボタンに変更された)のみで、それ以外は移動キーのみというシンプルに削ぎ落とされた操作しか行わない。「そんな単純な操作性のゲームが本当に面白いのか?」と疑問に感じる人間も一定数存在するだろうが、これが抜群に面白いのだ。


肝心のゲーム性だが、これまたいたってシンプル。端的な説明をするならばFall Guysは所謂『マリオパーティー』だ。ただひとつ大きく異なる魅力として、このゲームが総勢60人の大所帯で繰り広げられる点にある。ゲームはその時点での参加人数によってランダムに選定されるが、その主なルールは『ゴールに向かえ(ヒットパレード・ぐるぐるファイト等)』や『ステージ外に落ちるな(ロールアウト・ブロックパーティー等)』、チーム戦においては『最も多くポイントを稼げ(フープループゴール・エッグスクランブル等)』と、ルール説明を見ないまでも直感的に理解出来るものばかりだ。


しかしながら恐ろしいのは、それらのゲームの勝利条件が全て先着制、若しくは生き残り制であるということ。このゲームは、オンライン上のユーザーたちざワイワイガヤガヤと盛り上がる単なるパーティーゲームでは断じてない。見知らぬ人間を蹴落とし出し抜く、弱肉強食のサバイバルゲームなのだ。例えばシーソー状の足場を渡り歩いてゴールを目指す『シーソーゲーム』というミニゲームではスタートの合図と同時に全員が一斉シーソーに群がるため、必然左右どちらかは重心が大きく傾き、多くのプレイヤーが奈落の底に落ちていく。はたまた、おそらく腕に自身のあるプレイヤーの大半が突破必至の『ヒットパレード』においても同様、プレイヤー同士の押し合い圧し合いで正常な行動が成せず、転落することもしばしばだ。如何にこのゲームに馴染んだプレイヤーでも、毎回予測不能な展開に陥るのだから、初見プレイヤーは阿鼻叫喚必至。結果的にこの無秩序で稀有なゲーム性が、全国のYouTuberのゲーム実況動画で広まり、無料ながらもPS Plusのゲームとしては利用者数世界一、Steam版では700万本突破というここまでのムーブメントとなった。


ここまで書いてご理解いただけたように、意味深な『Fall Guys』との題は読んで字の如しの『落ちる奴ら』の意味で、そのタイトルに一切の偽りなしである。そして60人がふるい落とされて40人になり、40人が25人になり、25人が15人になり、最終的に生き残ったプレイヤー数が両手で数えることが可能になった果てに迎えるファイナルステージの緊張感たるや、どのゲームでも得ることが出来ない。おそらく多くのプレイヤーが幾度もプレイするその最大の熱量になっているのは、この「1回くらいはトップ獲りてえ」とのどうしようもない思いからだろう。だからこそもう1回、もう1回と世界中のプレイヤーが幾多の屍を乗り越えつつ、今日もコントローラーを強く握り締めている。


冒頭にも述べたが、Fall Guysという名の底なし沼に嵌まるチャンスは、後わずかだ。何故ならFall GuysがPS4でダウンロード出来るのは今月末、8月31日まで。繰り返すが価格は無料である。実際このゲームが全てのユーザーを虜にするとは断言出来ないが、やはり沼に沈むか否かを判断するためには当然ながら、触れることから絶対的に始める必要がある。けれどもこうしてひとつの記事として称賛記事を投下してしまった以上、僕にも責任がある。故に存分にプレイした結果「面白くない」と感じてしまった人には、心からの謝罪を決行したい。そして逆に、その独特な面白さに沼に肩まで浸かってしまった人に言うべきことはひとつだけ。お願いだから僕とは絶対にマッチングしないでください。何故ならめちゃくちゃ弱いので。

 


Fall Guys - Gameplay Trailer | PS4

ロックバンド・ゆうらん船による穏やかな航海に、新時代の希望を見た

こんばんは、キタガワです。


コロナウイルスの流行から早半年。この未曾有のパンデミックは一瞬のうちに、世界中で暗黙の了解として垂直に立っていた『音楽の在り方』そのものを根底から変えてしまった。


まず一つが、ライブの消滅。世のミュージシャンは『新譜の発売と共にツアーを行う』との誰もが知るルーティーンワークが常だった。しかしながらご存知の通り、コロナウイルスにより大半のライブが延期・中止を余儀無くされている現在においては、全国ツアーの報が流れること自体がそもそもなくなった。そしてソーシャルディスタンスの確保によるイベント人数制限についても然程緩和されていない今、今までのライブ形体が完全に元通りになるのは相当の時間を要することは明白で更には飛沫感染の観点から鑑みても、例えばモッシュ・ダイブが頻発するエネルギッシュなバンドや、コール&レスポンスを筆頭とした観客との相互的なアクションがライブの軸を担うようなアーティストの活動は非常に制限的なものとなるだろう。


もう一つが、ソーシャルネットワークの台頭だ。実際ピコ太郎然りDA PUMPの“U.S.A.”然り、SNSは今までもアーティストのブレイクに一役買っていた印象が強いが、特に今年はその傾向が強かったように感じていて、一切の楽曲をリリースしていなかった瑛人が日本規模のブレイクを果たし、ソニー・ミュージックエンタテインメントが運営する小説投稿サイトの小説をモチーフに楽曲を形作るユニット・YOASOBI、加えてロックバンド業界においてもTikTokを起点としてNovelbrightが一躍ブレイクを果たすなど、現在ではメジャーとインディーズの境目は酷く曖昧になり、世間の注目を集めたアーティストはそのまま流行歌になるという現象が起きている。


そうした中頭をもたげるのが、「この新時代に鳴るべき音楽は一体何なのだろう」とのささやかな疑問だ。……ライブも出来ず、音楽への接し方も多様化し、あまつさえ忌々しいコロナウイルスとは、十中八九来年度まで共存を余儀無くされるときた。故に今後はSNSや各種タイアップでの周知以上に、メッセージ性や作風など、さしずめ『音楽的な地頭力』とも称すべき今の時代にフィットした楽曲が強みを持つ時代とも言えるのではなかろうか。

 

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そこで、個人的には日本のインディーロックバンド・ゆうらん船に、日本の音楽の未来すら感じてしまうのである。自然の中を揺蕩うような音像と歌声。穿ったサイケデリアに加えて不思議な魅力を孕んだ楽曲群。彼らの楽曲は世間一般的な『売れる・売れない』といった成功指針を悉く突っぱねるようでもあるが、同時に強い精神性を感じさせる。


ゆうらん船は今年の去る6月24日に自身初となるファーストフルアルバム『MY GENERATION』をリリースした5人組。彼らの織り成すニューアルバムのサウンドは、まさに前述の遊覧船が水上を渡航するが如くの緩やかな雰囲気に満ち満ちている。けれどもその全てが一辺倒な作風という訳では決してなく、気だるい中にも晴れやかな朝の風景が瞬時に沸き上がるオープナー“Chicago, IL”から始まり、次曲“鉛の飛行船”では一転、希望的にも絶望的にも解釈可能な徹底的に削ぎ落とされた歌詞でもって夢の世界へ誘う。中盤における“Summer2”では鼓膜をざわつかせるサイケデリックな浮遊感をもたらし、今作のリード曲である“山”に差し掛かる頃にはポップな強みが顔を出し、果ては淑やかな“Rain”でもって映画のエンドロールを彷彿とさせる幕切れを迎えるのだ。

 


ゆうらん船『山』Music Video


フロントマンを務める内村イタル(Vo.G)は、かつてソロシンガーとしてGalileo Galileiやねごと、ぼくのりりっくのぼうよみといったティーンネイジャー・アーティストを数多く輩出した閃光ライオット(現・未確認フェスティバル)の決勝進出者に名を連ねていた事実を覚えている人は多いだろうが、当時10代だった彼が行き着いた先がバンドであり、あれからほぼ変わらない独自性の高いサウンドをバンドに落とし込んでいることには、ある種の感慨を抱いてしまう。バックボーンにはジャズやカントリー、洋楽の数々が浮かぶ弱冠25歳の内村と、彼のデモ音源を予想だにしない形で料理するメンバーがいるからこそ、ゆうらん船は確固たるオリジナリティーを確立しているとも言える。


……時代は移り変わる。しかしながらどの時代を遡っても、こと日本ではチルアウトかつサイケデリックな音楽は流行の直ぐ傍まで迫っているようでいて、なかなかブレイクには至らなかった。片や海外音楽シーンに目を向けてみると、あのテイラー・スウィフトが今までのサウンドメイクを完全に手放してスローリーな作風に徹したアルバム『フォークロア』をリリースして好感触を得たように、コロナ禍を経たからか、現在ゆるりと進行する自然的な楽曲が確実に注目を集めているという。


そしてそれは同時に、ここ日本でも近い将来、そのムーブメントが訪れるという何よりの証明でもある。おそらくそうしたムーブメントがもしも訪れた場合、まず第一に注目されるのは元々ある程度の知名度が確立していたSuchmosやNulbarich、cero、Tempalayといった長命のバンドたちだろうが、例えばフジロックでも同様の音楽性のバンドが多く出演するように、彼らのようなチルアウトな音楽を展開するバンドのベクトルは更に広い。緩やか過ぎる音楽よりある程度ロックテイストを散りばめた音楽を好む人間もいるだろうし、ボーカルの声質を求める者、歌詞を重要視する者……。人の音楽の好みは千差万別である。だからこそ、ある意味での類似性を感じさせている中にも明らかな異質さを携えるゆうらん船は光るのだ。


低血圧な音像の中にサイケの装いをも携えた稀有なバンド、ゆうらん船。その波間にゆらゆらと揺れながら進むが如くの自由奔放な航海の行く先は全くもって不明瞭だが、その穏やかな旅路の果てに訪れるのは、もしかすると未だ発展途上を揺れ動く彼らも、そして彼らの音楽に心酔する我々にとっても予想だにしなかった未来かもしれない……。『NEW GENERATION(新時代)』と名付けられたアルバムを聴いて、僕は勝手ながらそう思ってしまうのである。

 


ゆうらん船『Chicago, IL』Studio Live.

憂鬱とカフェテリア

執筆の為に立ち寄ったいつものカフェテリアで、僕は何を思案するでもなく、ただ呆然とスマホを見詰めていた。すっかり温くなったコーヒーを啜ると、連日の深酒で痛みきった胃が「くそったれ」と鳴いた。

コロナ禍に陥る前……いや、おそらくそのずっと前から、僕の人生は曇天模様だった。自殺未遂から生還し「ライターになりたい」と一念発起して奔走してきた毎日だったが、日々のアルバイトと突発的に襲い来る希死念慮に心殺されるうち、音楽や執筆といったかつての人生の基盤としていた事象はいつしか視界から消え去り、目の前には底知れぬ絶望だけが横たわっていた。

見詰めたスマホには、とある音楽ライターのSNS。そこには知り合いのライターとのツーショット写真や自身の記事の感想を呟いた人間の引用リツイートが晴れやかな顔文字と共に踊っていた。呟きを遡ると、彼女がライターとして開花した大きな要因は、ツイッターやインスタグラムで積極的に自己推薦を試みた末の結果であるといい、人との関わりを極端に避ける自分と比較して、また落ち込んだ。あらゆる手段を模索し、遮二無二に実行に移せる人間が成功するとするならば、僕には生きることそのものが不適合なのだ。

数十分間の無の時間を越えた今、震える指で文字を打っている。皮肉なことに無意識的に生み出される文字の羅列は意思を持ち、最終的にはあれほど僕の精神を蝕む要因となった『文章』になった。随分と久方ぶりに書く文章は酷くあまりに滑稽で支離滅裂な代物であったが、それでも良いと思った。僕はまだ、完全には死んではいない。

明日、僕はまたひとつ歳を取る。執筆活動をスタートさせてから早3年。未だ一銭の金にもならず、誰にも見向きもされない現状ではあるが、絶望の淵でもがきながら生きていこうと思う。ハッピーバースデイ。

『ドキュメンタル』シーズン8における失敗と失敗(ネタバレあり)

こんばんは、キタガワです。

 

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「amazonさんなんですけど、もうこの話してええか分かんないんですけど、前回のシーズン7がめちゃくちゃ評判良くて、amazonさんがもう大喜びで。ドキュメンタルはこの先もどんどん続けていきたいとお褒めいただいて。そのあと調子に乗って次のシーズン撮ったんです。ただ未だに公開が決まっていない。amazonの偉いさんが下品にも程があると。だからamazonと言えども、下ネタは底無しではないということです」


上記のコメントは、松本人志氏が各芸人から100万円を回収する少し前に語ったそのままの形で記したものだ。これを観ながら僕の首筋からは、熱帯夜がもたらす汗とは違う、嫌な予感を携えた汗が流れ出ていた。1週間前の自分からは想像も出来なかっただろう。まさかあれほど期待していたシーズン8が個人的に歴代ワーストに転落する作品となったことについては。


まずこの上記の松本のコメントの時点で、参加者の脳裏に『ドキュメンタルは完全なる無法地帯ではない』という決定的事実が掠めたはずだ。実際『最も下劣な回』として低評価レビューが駆け巡ったシーズン4では宮迫が息子を怒張させた状態で登場するのみならず、おそらく一般的なテレビ番組ではまずカットされるに違いない、井戸田とノブが放尿で笑いを取るという行為についても温情な判決で許され、過度な修正なしで公開されるに至った。そして回を重ねるごとにドキュメンタル自体の知名度も飛躍的に高まったことと、所謂お下劣に分類される様々な事象が結果的に何かしらの笑いを生むことが証明されてしまった今、言うなればどんな手段を使ってでも、この番組で目立った人間はある程度の評価を受けるという異次元的な状況が出来上がってしまっているのは事実としてある。


シーズン2の優勝者・小峠が全ての闘いが終幕した後のインタビューにて、ラスト数十分間斉藤との直接対決を余儀無くされた際に「俺本当に最後斉藤ぶん殴ろうかと思った」と語っている通り、ただそれでも何故小峠が暴力に至らなかったかと言えば、それは今まで培われたテレビ業界の『ここまではやって良いけどこれ以上はアウト』との無意識的な線引きが自己で成されていたためであろう。


だがゲーム開始前に「amazonならええやろ別に」と語ったせいじや「下ネタはなしってことなんですね?」と思わず質問した藤本に顕著なように、やはりこの場に臨む上で何かしらのインパクトのあるネタ……即ち下ネタに特化した何かを考えていた芸人は多いであろうし、参加芸人が全員男性であったことから「ならこれが使えるな」と判断した人間は多かったはず。そうした芸人たちはまずこの松本が発した強いコメントにより、大きく出鼻を挫かれることとなる。


更に言うならば、その直後に松本が語った「反省の気持ちも込めて今amazonのパーカーを着てる」との発言も、芸人たちをピリつかせる大きな要因であったように思うのだ。そう。この瞬間ドキュメンタルは『一斉一代の勝負の場』という芸人的な意味合いではなく『何としてでも成立させなければならない大事な番組』との認識が生まれてしまった。憧れの松本人志に迷惑をかけてはならない。下手なことをすれば炎上に繋がる。ドキュメンタルの今後の行方はこの回で決まる……。正直なこの発言から、先程まで緩やかだった全員の笑顔と口数が圧倒的に減った気がする。年末特番である『笑ってはいけない』から緊張感を増加させた番組が『ドキュメンタル』であるとすれば、この時点で今回のシーズン8はそれから更に緊張感を加えた形になってしまった。


そして悪い予感は的中し、番組は開始1時間半以上が経過してもひとりの脱落者も出ることはなく、最終的には参加者の半分以上に及ぶ全6名がタイムアップまで生き残るに至った。言うまでもなくここまで大多数の芸人が残ったのはドキュメンタル史上初であり、結果として異様な数の低評価を集めたシーズン6よりも多い。故に後半では我々視聴者でさえフラットな表情と見なしているにも関わらず、松本に「笑っている」と判断されて退場に至るケースも多々あり、直接的に松本に文句を言う人間はおらずとも芸人同士が強い言葉で貶し合ったり蔑み合ったりしているのを見ると、やはりフラストレーションは溜まっていたのだなあと思ってしまう。

 

加えてとある場面で松本が独裁で下した「全員ほぼ笑てる」との理由によるよもやの『この瞬間全員がイエローカードを保持していることとする』という審判も良くなかった。この時点で全ての芸人は気付いてしまった。我々は踊らされる駒なのだと。クイズ番組で「次の問題に正解すればなんと1万ポイントです!」と言われた瞬間ブーイングが起きるのは誰もが予想できるだろうが、そうした判断がドキュメンタルで行われたことについては、やはり悪手だったのではと思わざるを得ない。そこに必死に稼いだ100万円がかかっているなら尚更である。


さて、ここまで総文字量も推敲もせず思うがままに書き殴ってきた。現在の時刻は午前2時半。公開開始から同じく約2時間半が経過した計算になるため未だ今作が最終的に視聴者にどのような評価を受けるのかは分からない。だが僕個人としてはあのシーズン6に劣る出来であったのは確かで、今の僕には今後見返すとしてもスキップ機能を多用しながらの視聴になるだろうなという漠然とした……けれどもほぼ間違いなくそうなるだろうという確信がある。


僕自身チャンス大城や千原せいじの起用が発表された瞬間は酷く喜んだものだし、日々ドキュメンタルのことを考えて過ごしていた。それが期待値を下回った瞬間どうなるか、ということに関しては言うまでもない。ただドキュメンタルを根本から否定したい訳ではないのも確か。いち視聴者としては「面白い回が観たい」というその一心だけなのである。そしてドキュメンタルが作ろうと思って作ることが出来る番組であるわけではないのも重々承知だが、やはり本心としては「ちょっと残念だったな」との思いに帰結してしまう次第だ。でも次の作品も結局見ちゃうんだろうなー。ドキュメンタル。

【ライブレポート】ずっと真夜中でいいのに。『オンラインライブ NIWA TO NIRA』

こんばんは、キタガワです。

 

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8月上旬に行われたずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)の有料生配信ライブ『オンラインライブ NIWA TO NIRA』。摩訶不思議なタイトルを冠した今回の試みは結果としてエンターテインメントに特化した異次元空間を形成するに留まらず、今やインターネットシーンの筆頭として絶大な存在感を放つずとまよ)の更なる飛躍を確信させる一夜でもあった。


配信時間は夜の20時。ライブ開始前にも関わらず、コメント欄は多くのファンによる興奮が理性を超越したかの如き感嘆符の数々がひっきりなしに流れ、もはや追うことさえ不可能な有り様。そんな激しく行き交うコメントをよそに、画面には青空と自然をバックに“お勉強しといてよ”のMVにおけるメインキャラクター・にらちゃんと共に「しばらくお待ち下さい」との不適切なシーンが見られた際に流れる緊急画面を彷彿とさせる固定画面が大写しになっており、ライブの幕開けをじっと見守っていた。


長らく固定画面が続いていたが、定刻を過ぎると画面は切り替わり、いつしか画面は宙に浮いたやかんから煙がゆらゆらと立ちのぼるリアルタイムの映像へとシフト。しばらく待っていると更に画面が切り替わり、そこに映し出されたのはずとまよのフロントウーマンにして、現状唯一バイオグラフィーに名を連ねているACAね(Vo.G.Electric Fan Harp)その人であった。


当のACAねはしばらく暗闇を歩いて最終的にはボウルに盛られた大量の野菜の数々とまな板、包丁が配置されたテーブルに着くなり、パプリカやナス、トウモロコシなどの野菜の数々を丁寧に乱切りし、別のボウルへと移し変えていく。その表情は背後に絶妙に照らされる照明による逆行でシルエットとなり、その一切が判別不能である。彼女がニラを切るタイミングに合わせてバックで流れる打ち込みのドラムの音がシンクロし、1曲目“眩しいDNDだけ”が鳴らされた。

 


ずっと真夜中でいいのに。『眩しいDNAだけ』MV

 


さて、今回のライブは終始圧倒的な音圧でもって鼓膜を刺していたのだが、それもそのはず。この日の楽器隊は総勢8名を超える大所帯であり、去る5月7日に行われたオンラインライブ『お風呂場ライブ 定期連絡の業務』にてACAねの両脇を固めていた村山☆潤(Key.Manipulator.Band Master)と西村奈央(Key)の他、かねてよりずとまよのライブのサポートメンバーとして全国を共に回り、信頼を構築してきた盟友たち。加えてその中にはフジロックや昨年の全国ツアーでサポートを勤めていたオープルリール式テープレコーダーを楽器として演奏するOpen Reel Ensembleのメンバーもフル参戦するなど、総じて現状におけるずとまよの最強メンバーが首を揃えた形だ。


何より驚きだったのは、一口に『ライブ』というひとつのショウには到底収まらないほど練り上げられたステージの装飾である。天井から垂れ下がる大量のケーブルとボロ布、ある種の物悲しささえ感じさせるエアコンの室外機、括られたカーテン、懐中電灯、そこかしこに置かれた機材の数々……。そのあまりに非現実的な光景は終末世界のイメージとも、SFにおける組織のアジトと称されたところで合点がいく、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。


そんなあまりに情報量の多いステージの中心で歌うACAねはCD音源と遜色ない高らかな歌声を響かせると共に、大サビに入る直前の《満たされていたくないだけ》の一幕では限界まで伸ばしたハイトーンでもって、いちボーカリストとしての実力を遺憾無く発揮。なおその間もカメラがACAねを重点的に捉えることは然程なく、むしろサポートメンバーの面々やステージの装飾を目まぐるしく映し出しずとまよの世界観を画面越しの我々に最大限伝えるよう尽力している印象すら受けた。

 


ずっと真夜中でいいのに。『お勉強しといてよ』MV(ZUTOMAYO - STUDY ME)


なおも衝撃は続く。以降は先日リリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』のリード曲にして、5台のブラウン管テレビを叩く和田永(Open Reel.TV Drums)による前衛的な演奏が炸裂した“お勉強しといてよ”、きらびやかな音像で一気にライブの高揚を高めた“ヒューマノイド”とアッパーな楽曲を立て続けに披露するモードに突入。重厚なアンサンブルと視覚的効果を見事に融合させた圧巻のステージングで、ぐんぐんと引き込んでいく。


“ヒューマノイド”終了後、再びテーブルに向き合ったACAねは、先程自身の手で切り刻んだ野菜を盛ったボウルを持ちながらライブハウスを後にし、薄暗い階段を一段、また一段と登っていく。そんな荒唐無稽な流れの果てに彼女が辿り着いたのは屋上のプールサイド(ライブ終了後の彼女のツイッターでは「庭」と語っていた)で、全長10数メートルはくだらない巨大なプールを取り囲むように、いつの間にやら楽器隊がひしめき合い、ずとまよの主たる存在であるACAねが定位置に着くのを待っていた。


そして階段を上がったACAねが謎の黒服にボウルを手渡したのを皮切りに、ニューアルバム『朗らかな皮膚とて不服』収録のメロウチューン“マインブルーの庭園”が緩やかに鳴らされる。チームずとまよは本物の扇風機をギタータイプに改造したオリジナル楽器・扇風琴(せんぷうきん)を巧みに操り、アコーディオンを模したオープンリール……その名もテープレコーディオンを弾き倒し、更にはオープルリールの剥き出しになったテープ部分を叩いたり引っ張ったりと、特異なライブ空間を演出。途中には謎の黒服がACAねの切った野菜を鉄串に刺して焼く演出も挟まれ、とっぷり日が暮れた屋外であることも相まって、壮大ながらもどこか開放的だ。


パーカッションを軸としたアコースティックな演奏で魅せた“君がいて水になる”、盆踊り風のサウンドで全国各地で中止となったであろう夏祭りの雰囲気を脳裏に過らせた“彷徨い酔い温度”と、ロック然とした前半とはまた違った雰囲気を携えた楽曲群の演奏が終わると、プールサイドをぐるりと回る形で定位置から離れたACAねにカメラがフォーカスを当てる。おむもろに椅子に腰掛けたACAねは夜空の下、焼き上がったシュラスコ風の野菜に舌鼓。時刻は夜の20時30分過ぎ。少し遅めの優雅な夕食である。しばらくその時間が続いていたが、次第にどこからともなくEDMのライブを彷彿とさせる心臓を打つEDMのメロが流れていることに気付いたACAねは、その音楽に誘われるように再びライブハウスへ帰還。するとそこは先程までのライブ空間から一変、天井に巨大なミラーボールが鎮座し艶やかな光が辺り一面を支配するダンスフロアと化しており、まるで一昔前のディスコの様相の中で新機軸のキラーチューンである“MILABO”が艶やかに奏でられたのだった。

 


ずっと真夜中でいいのに。『MILABO』MV(ZUTOMAYO - MILABO)


“MILABO”が終わると「改めましてこんにちは、ずっと真夜中でいいのに。です。ACAねです。少し落ち着いたような感じが、してます。見てくれてる……。ありがとうございます。最近ハマってることは、体幹を鍛えることと、画像をザラザラに加工することです。楽しいです。元気です。大変な状況だけど……みんなお忙しい中だと思うんですけど、見てくれて凄い嬉しいです」とたどたどしくも感謝と近況報告を語るACAね。ずとまよのオンラインライブは今回で2回目。今回が大幅増員の総勢8名の大所帯となった理由については「ACAねのやりたいことが生放送では厳しいと判断したスタッフ達により、スペシャルなバンド編成でのライブになります」とのライブ前に発信された公式のコメントが全てであろうが、結果として去る5月7日に行われた前回のオンラインライブ『お風呂場ライブ 定期連絡の業務』でのACAね+ピアノ隊2名というミニマルな編成とは大きく趣を異にするものとなった此度のライブは、彼女の中でも確かな成功を感じ得る代物であったはずだ。


直後「はじめて投稿した曲が(総再生数が)6000万回になり、ありがとうございます。記念に一緒にお願いします……」との流れで突入した“秒針を噛む”でもって画面越しに観ている何人ものファンの琴線に触れると、以降はダンサブルなサウンドが突き抜けた“低血ボルト”、後半部に差し掛かるにつれ俄然熱を帯びていく“マイノリティ脈絡”と続き、ラストは「帰りの時間です……」と語ったACAねが楽器隊に向き合い指揮を振る形で、古くからの名曲・夕焼け小焼けをオリジナリティ溢れるインストゥルメンタルアレンジでゆったり聴かせた後の“正義”で大団円を飾った。1時間を通して楽曲以外では直情的な思いを語ることのなかったACAねだが、ハンドマイクで跳び跳ね身ぶり手振りを繰り出し、楽曲の最後に本来の体感とは全くの真逆の体感温度であるはずの「涼しいー!」と叫んだ一幕は、この日のライブが彼女にとって濃密な時間であったという事実を如実に表していたように思う。

 


ずっと真夜中でいいのに。『正義』MV


何故今回最後に演奏されたのが、前日にリリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』の収録曲ではなく昨年にリリースされたフルアルバムに収録された“正義”だったのか、そして今まで単独ライブでは一切の例外なく本編のラスト、若しくはアンコールを飾るポジションに位置していた“秒針を噛む”が何故今回に限り中盤付近で鳴らされたのか、僕はずっと疑問として浮かんでいた。実際ライブが終幕して数週間が経過した今でもその確たる真意は不明のままであるし、今回のライブのラストに“正義”を選んだ理由についてACAねが発言することも、おそらく可能性としては低いだろう。しかしながら歌詞において秘密に蓋をしたり、はたまた無意識的に話しすぎてしまう場面が幾度となく記されているように、この世の全ては個々人における正義的言動の乱立によって成り立っている。そしてそれは日常であった様々な事象が消失し不便な生活を余儀なくされている我々にとっても、感染防止の関係上オンラインライブとして楽曲を届けざるを得ないACAね自身にとっても同様だ。故に此度のラストにACAねが“正義”を選択したのは彼女にとっての何よりの正しい道理の主張なのだと解釈するのは、流石に早計だろうか。


そしてライブ画面のフェードアウトと共に「ライブ見てくれてありがとう。今日のために部活やお仕事休むといってくれてたのも見かけました。申し訳ないです…でも嬉しいです。目の前にお客さんいなかったけど機材に囲まれ幸せです。会ってライブしたいねえ…」とACAねの直筆で記されたコメントが流れ、今回ライブを形作った関係者全員の名前の横に検温時の体温が記載されるという稀有なエンドロールでもって、約1時間に及んだライブはその幕を下ろしたのだった。


その独特なタイトル然り挑戦的なコメント然り、始まる前は一切の予想が出来ず若干の不安なも正直な思いとして存在していた今回のライブだが、結果として『オンラインライブ NIWA TO NIWA』は画面越しのライブの常識を覆す多大な遊び心と確かな音楽的価値を示した、言わばずとまよにしか成し得ない神秘的な体験だった。思えば約2年前にYouTube上急速にバズをもたらした“秒針を噛む”によって運命が一変したずとまよだが、特にここ数年は大勢のファンの前で場数を踏み、ハイペースに楽曲をリリースするという愚直かつワーカホリックな活動の果てに今では広く認知されるに至ったずとまよ。そして現在ではストリーミングサービス市場で特集が組まれたり、此度リリースされたミニアルバム『朗らかな皮膚とて不服』もアルバムチャートの上位に食い込んだ事実も証明しているように、ずとまよは今や音楽シーンにおける先頭を走る存在を担っている。そんな中今回のライブは言わば、彼女たちの今までと更なるこれからの快進撃を証明するに相応しいライブであったように思う。来たる10月30日には映画『さんかく窓の外側は夜』の主題歌を担当することも決定しているずとまよ。今後も目が離せない存在となるのは、およそ間違いないだろう。


【ずっと真夜中でいいのに。@オンラインライブNIWA TO NIRA セットリスト】
眩しいDNAだけ
お勉強しといてよ
ヒューマノイド
マリンブルーの庭園
君がいて水になる
彷徨い酔い温度
MILABO
秒針を噛む
低血ボルト
マイノリティ脈絡
正義

 

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【コメント寄稿のお知らせ】『いま注目のヨルシカ、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。……音楽ブロガーが語る3組の「夜」の魅力』

こんばんは、キタガワです。

 

この度はてなブログ様からご依頼いただき、『いま注目のヨルシカ、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。……音楽ブロガーが語る3組の「夜」の魅力』と題された特集記事にコメントを寄稿いたしました。ぜひ。

 

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