キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

『正義』について歌う曲5選

こんばんは、キタガワです。


当ブログは約2年間に渡り、音楽関係の記事を様々な視点から書いてきた。


ライブレポートやCDレビューはもちろん、サイケデリックな音楽や顔を隠したバンド特集、果ては年間ベストアルバムの発表やエロいアーティスト写真を集めてみたりと、その括りとテイストは全てバラバラだ。


もちろんなぜ僕がこうした記事を書き続けるかと言えば、『未だ見ぬ素晴らしい音楽に出会うきっかけ』になって欲しいからである。音楽の入りは何でもいい。カラオケでもライブでもCDからでも。……そして、こんなブログからでも。


さて、今回は新たな試みとして『正義について歌う曲5選』と題し、歌詞の一部分に『正義』という言葉が使われている楽曲について記したいと思う。


世間一般でもよく使われる『正義』。辞書で調べてみると、そこには「道徳的な正しさに関する概念」と定義されていた。自分にとって絶対に譲れないもの。自身の行い。それらを正義と呼ぶ。


しかしふと考えてみると、歌詞にしっかりと『正義』と使われている楽曲は少ない印象を受ける。それこそ前述した「自分にとって譲れないもの」のように、正義を何か別の言葉に言い換えて歌うことはあるにしろ、赤裸々にズバっと「これは僕の正義だ」などというミュージシャンはあまりいない。


きっと正義について歌った下記の楽曲群を聴けば、彼らが言わんとするメッセージが分かるはずだ。

 

 

拝啓、いつかの君へ/感覚ピエロ

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拝啓、いつかの君へ

そんなに愛想笑いが 巧くなってどうするんだい?

忘れた訳じゃないだろ いつまでそこで寝てんだよ

「あんたの正義は一体なんだ?」


関西のロックバンド、感覚ピエロ。ライブでは必ずセットリスト入りし、彼らの一番のヒット曲とも称されるのがこの『拝啓、いつかの君へ』である。


この楽曲はドラマ『ゆとりですがなにか』の主題歌として選ばれ、ドラマ自体の人気と共に『拝啓、いつかの君へ』、ひいては感覚ピエロそのものにも注目されるようになった。様々なメディアで語っている通り、彼らにとっては大切な1曲だ。


ドラマタイアップということもあり、歌詞はドラマを大きく意識して作られている。何かにつけて『ゆとりだ』と揶揄されながらも、懸命に努力する主人公の心情を表したメッセージソングだ。


しかしこれは同時に、くそったれな現代を生きる我々にも通じるところがあると思うのだ。社会や学校といったある種の集団の中では、自分の意思は徹底して殺さなければならない。少しでも他者と異なる言動をした者に明日はない。一匹狼の黒い羊は、集団の白い羊によって蹂躙されるのが世間一般の暗黙の了解なのだ。


この楽曲は「あんたの正義に覚悟はあるのか?」と問うて終わる。そう。集団においてある程度の迎合はするべきではあるが、結局は自分の生き方を貫くしかないのである。そんな当たり前に今一度気付かせ、背中を押してくれる1曲。それが『拝啓、いつかの君へ』である。

 


感覚ピエロ『拝啓、いつかの君へ』 Official Music Video(ドラマ「ゆとりですがなにか」主題歌)

 

 

正義の歌/ミオヤマザキ

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叩いちゃったって 叫んだって
何も変わりゃ 死ねねねねねねね
あんたの正義は誰かを救えんの?


MVが公開中止となるほどの過激な歌詞とミステリアスなライブパフォーマンスで人気を博すバンド、ミオヤマザキ。


今回紹介する『正義の歌』は昨今のライブでは必ずと言っていいほど最後に演奏され、現代社会のリアルな『今』を痛烈に批判する楽曲だ。


『正義の歌』に関してはミオヤマザキの他の楽曲と比べ、合いの手や壮絶なヘッドバンギングポイントといったライブで映える行為を重要視している印象が強い。更に「ウソ?ヤだ!」、「はーい」といった歌詞を見てしまうと、およそエンターテインメントに特化した楽曲にも思える。


しかしてその実態はヤリ捨てやツイッター、メンヘラ呼ばわりといった、SNSから派生する言動にディスを飛ばす痛快なロックンロール。「言いたいことをぶち撒ける」というこの楽曲は、不器用な生き方しかできないミオ(Vo)の言いたいことが全て集約されている楽曲という印象を受けた。


ライブをスレと呼び、参加者をミオラーと呼ぶミオヤマザキ。現在は過去祭大規模となる横浜アリーナのライブに向け、47都道府県のツアーの真っ最中。ちなみにチケット代はなんと無料だ。気になった方はライブで直接『正義の歌』を聴いていただき、その楽曲の持つメッセージ性に触れてほしいと思う。

 


ミオヤマザキ 1stフルアルバム「anti-these」収録『正義の歌』

 

 

正義/ずっと真夜中でいいのに。

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悪いことしてなくても 秘密を隠し通すことが正義なら

青い風声鶴唳押し込んで いつでも帰っておいでって

口癖になってゆくんだ


昨年彗星の如く音楽シーンに現れたダークホース、ずっと真夜中でいいのに。『正義』は今年発売のミニアルバム『今は今で誓いは笑みで』に収録されているミディアムチューンである。


個人的にずとまよの魅力は独特の歌詞にあると思っているのだが、この『正義』においてもまるで推理小説のトリックのような、頭を捻らなければ理解不能な文学的な歌詞のオンパレード。


『正義』に秘められた意味を完全に読み解くのは難しいが、無理矢理紐解くならば『自分と他者との距離=自身の正義の大きさ』と言うことになるのだろう。


吹けば飛ぶような存在を大切にしてしまう自分。大切な存在に近付きたいと思いながらも、付かず離れずの関係を築き上げてきた自分……。自身の正義はそんな脆く弱いものなのだと痛感する、自分を見つめ直す楽曲となっている。


今回紹介する5つの正義の曲と比較すると、この『正義』は極めて異質で、また判然としない。正義とは通常、それを自覚した上で指針としたり行動理念とするものだが、ずとまよにおける正義は未だ模索中。


それこそ中学生、高校生時代のような『自分はどうしたいのだろう』という葛藤と悩みが渦巻いている、全く新たな視点で描く正義である。

 


ずっと真夜中でいいのに。『正義』MV

 

 

あっぱれが正義。/和楽器バンド

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一富士二鷹三茄子! Everybodyあっぱれゲン担ぎ!

猪突猛進が正義。景気出せ チャンスは逃さない


当初は『千本桜』や『カゲロウデイズ』といったボーカロイドのカバーアルバムをリリースしたことから「カバーバンド」と揶揄されていたが、今やオリジナル楽曲を多数生み出し、新たなファンを取り込んでいる和楽器バンド。


『あっぱれは正義』は昨今のライブでは必ずセットリスト入りする、和楽器バンド史上最もアッパーなナンバー。世間一般的なロックバンドの形態プラス、和太鼓や琴、津軽三味線、尺八まで取り入れた奥行きのあるサウンドは唯一無二だ。


こちらもずとまよのように、一風変わった正義を表現している。というのもこの曲自体に大した意味合いはないのだ。歌詞を読み込んでみても『自身の正義は何たるか』というような文言は一切出てこないし、楽曲全体からはサウンドに重きを置く盛り上がる曲のイメージが強い。


しかしながら、元々文豪作家並みに難解な歌詞を連発し、徹底して『ライブで披露する』ことを前提とした曲作りを行ってきた和楽器バンドとしては正常運転のような気もする。総じて『あっぱれが正義』は、頭からっぽにして盛り上がりたいときに聴きたい音楽のひとつだ。ひとたび聴けばそこはダンスフロア。

 


和楽器バンド / あっぱれが正義。

 

 

蒼き日々/plenty

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朝が来るまでは 僕だけが正義

明日を笑えるように 何を裁く

今更何を怖がる? 独りよがりでいいだろ


ロックインジャパンのオーディションで優勝し、そこからスリーピースの若手の筆頭としてロックシーンを牽引したplenty。人気絶頂の中2017年解散し、現在は江沼郁弥(Vo.Gt)がソロで活動している。


この楽曲における『正義』は、今回紹介したどの正義よりも、確固たる信念をもって歌われる。正義は自分の中で既に確立しているものの、その正義を良しとしない他社との壁に悩む。そんな辛い現状を歌うのが『蒼き日々』という楽曲なのだ。


「明日が来るまでは僕だけが正義」とする歌詞や、誰もいない夜道を口ずさみながら歩くMVを見てもそれは明らかで、この主人公は間違いなく現実が上手くいっていない。しかし自分を曲げるのも嫌という強いプライドが、そんな現実を更に生きにくくさせている。


思えばplentyの解散ライブにおいて、最後に演奏されたのがこの『蒼き日々』だった。おそらく彼自身が明確な答えを口にすることはないだろうが、この楽曲は江沼の人生観そのものであり、またplentyをplentyたらしめる大事な1曲でもあったはずだ。


どしゃめしゃなギターと甲高い江沼の歌声が涙腺を緩ませる、次世代のロックンロールである。

 


plenty 「蒼き日々」

 

 

……さて、いかがだっただろうか。


正義というのは千差万別だ。僕もあなたも、吉本興業も自民党も、それぞれ違う正義じみたポリシーを抱いて生活しているはずである。


今回紹介した楽曲も『正義』を題材にしてはいるものの、その内容はそれぞれ異なる。ストレートな言葉で表現する感エロや、全体が靄がかったずとまよ。盛り上がりに特化した和楽器バンド……。彼らの楽曲全てに意味があり、また魅力が詰まっているのだ。


普段の会話の中で「僕の正義がね……」などと言う人はほとんどいない。口にすることも耳にすることも少なくなってきた『正義』をテーマにした楽曲群だが、この機会に一度聴いてみてはいかがだろう。


きっとあなたの正義を肯定し励ましてくれる、そんな楽曲ばかりだと思うから。

映画『天気の子』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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7月19日。新海誠監督の最新作『天気の子』を、公開初日に観てきた。


全国的に記録的な大雨となった前日とはうって変わって、からっと晴れた公開初日。それはまるで『晴れ女』を題材にした今作の公開を祝福するようでもあり、感動的に映った。


以下、映画.comからあらすじを抜粋する。

「君の名は。」が歴史的な大ヒットを記録した新海誠監督が、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄されながらも自らの生き方を選択しようとする少年少女の姿を描いた長編アニメーション。

離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。


さて、テレビCMやバラエティー番組で大々的にPRしていることからも、今後も鑑賞する人は増えていくだろうし、アニメ映画としては大ヒットと呼ばれるところまで行くだろうと予想する。


しかし鑑賞前に新海誠監督作品のファン、ひいては全アニメファンが抱く大多数の意見はおそらく単純だ。それはズバリ、あの『君の名は。』を超えられるかどうかである。


読者貴君もご存じの通り、『君の名は。』は興行収入230億円という、アニメ映画としては通常あり得ないレベルの大ヒット作品となった。老若男女問わず、この作品を知らない人は日本全国探してもほぼいないだろうと思う。


かく言う僕も劇場で3回鑑賞し、その後にDVDを購入した熱烈なファンであり、今では場面展開や登場人物の一言一句をそらで言えるほどだ。


そんなファンからすれば当然の如く、今回の『天気の子』に対しては「期待半分不安半分」というのが正直な気持ちとしてあった。あまりに高く設定したハードルを、果たして超えられるのかどうか。僕は恐々とした思いで、劇場に足を踏み入れた。


……結論から書くととても面白かった。全アニメファンはもちろんのこと、『君の名は。』のファンの大半を納得させるような、極上のエンタメ作品に仕上がっていて驚いた。例えるなら『あの新海誠監督の次の作品』というのを完全に抜きにしても、友人らに「面白いからとにかく観に行け」と吹聴して回るレベル。


まず驚いたのは、やはり独特の作画。今作は『晴れ女』の特性上、全編通して雨が降る描写がすこぶる多い。それもポツポツというようなものではなく、一寸先も見えないザーザー降り。通常映画の中で雨と言えばシリアスなシーンを際立たせるために降らせることがほとんどだが、『天気の子』では2時間の上映中、ひたすら雨が降り続けているのだ。


いくらなんでもここまで降らせるのはタブーだろうと思うだろう。しかしここが新海誠の真骨頂。その卓越した作画から、雨が全く煩わしく感じないのだ。これには心底凄いと思った。


そしてもちろんシナリオも素晴らしい。ネタバレになるので詳しくは書かないが、「こう来たか!」という予想外の展開のオンパレードで『君の名は。』とはまた違うストーリーで突き進んでいく。『君の名は』にあって『天気の子』にしかない魅力も存分に詰まっており、この2つは完全なる別の作品と捉えた方が良さそうだ。


更に最重要部分ではRADWIWPSの音楽でもって、心を揺さぶられる圧巻の作り。個人的には家族や友人を誘って、あと2回は映画館で観れる。それほどの名作だ。


もちろん疑問点もなくはない。『君の名は。』と比べると幾分非現実的な部分はあるし、『秒速5センチメートル』や『星を追う子ども』といったかつての新海誠監督作品のファンからすれば、ある意味ポップに振り切った大衆向けな作品にも思えてしまうだろう。


しかし今作は、そんな細かな疑問点を引っくるめても「それでもオールオッケー」と高らかに叫ぶことができる作品である。


気になっている人や「正直どうなの?」と尻込みしている人は悩んでいる暇はない。世間からの波に置いていかれる前に、一刻も早く鑑賞することを強くお勧めする。


ストーリー★★★★☆
コメディー★★★☆☆
配役★★★★☆
感動★★★★☆
エンタメ★★★★★

総合評価★★★★☆


映画『天気の子』スペシャル予報

ブロガーとして頑張ることを辞めた話

こんばんは、キタガワです。


2017年に『キタガワのブログ』を開設してからというもの、まもなく2年の月日が経とうとしている。総記事数は240。読者数は22人。平均的な閲覧数は1日あたり700人前後を推移している。


今までも定期的にブログ運営者として心情を吐露する記事は多数執筆してきたが、ここらで現時点での率直な気持ちを書き殴っていきたい。


結論から書くと、僕は世間一般で言うところの『ブロガー』として頑張ることを、今後は辞めようと思っている。人気。安定した閲覧数。それに伴う副収入……。ブロガー冥利に尽きるであろうこれらの事柄は頭の隅に追いやり、極めて独善的で誰とも関わらないブログ運営を目指していく。


なぜ僕がこうした思いを抱いたのか……。その根本的な理由については、今までに何度か語ってきた。『コミュニケーションが苦手』という性格や、『ブログ運営に悩んで鬱状態になった』こと、『どうしても他者と比較してしまう』ことなど。そうした思いを堪えながらブログを騙し騙しやってきたが、ここらでそろそろぶっ壊れてしまいそうな気がしたのだ。


そしてそれらの出来事プラス、改めて「僕には無理なんだな」と決定付ける出来事がここ数ヵ月の間に頻発したことも大きい。今回はそうした部分も含め2019年7月18日現在のキタガワの飾らない心境を、3つのポイントに分けながら、洗いざらい語っていく所存だ。

 


一般的な成功に至るプロセスに従えない

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話は少し脱線するが、僕はブログ開始当初から今に至るまで『時間をかけた力のある文章は評価されて然るべき』という考えを持っている。


細かな事前調査や起承転結、そして何よりも文章から迸る熱量。その人がどのような思いで執筆したのかは、読み進めれば絶対に分かる。僕はそうしたある種の本気度を、文章を書く上でも読む上でも最重要視している。


そう。「誰彼構わずいいね押します」は違う。実際に読んで本当にそれが良い記事であればいいねを押すべきでも押されるべきでもあるし、はてなスターも同様だ。総じて本気で頑張っている人間が評価されないというのは、おかしいと思うのだ。


それと同時に、僕は「読んで読んで」と媚を売るブロガーを心底嫌悪している。


『はてなブログ』とエゴサーチをし、片っ端からいいねを付ける。リプライを送る。フォローする。読者登録をする……。もちろん全員ではないにしろ、そうした行為を行う人は自身のブログを閲覧数を増やすためにやっていることが多い。


実際この2年間、僕のツイッターやブログにもそうした人たちはわんさか集まってきた。「私もブログ書いてます。読者登録お願いします」といった声や、僕が記事を投稿するたびにはてなスターを押してくる人、果てはDMで「記事書いたのでリツイートお願いします」と言ってくる人さえいた。


僕はそうした人を見るたびに、その裏にある魂胆が透けて見える気がしてたまらないのだ。だからこそそうした人が出現した場合は、実際にブログを訪問してみてフォローするか決めている。


で、そうした人たちのブログを見に行くと、大抵熱量の欠片もない文章ばかりが並んでいるのである。400文字詰め原稿用紙の半分も埋まらないような文章を毎日投稿したり、内容も「えー、何書こうとしたか忘れちゃった(笑)。そんじゃ!」といった起承転結をぶち壊したもの、音楽について書いているのに「この曲はすごく盛り上がる最高の曲です!みんなも聴いてね!マジで草www」というIQ2レベルの文章……。


そして何よりも悲しかったのが、そうした文章を書いている人間ばかりが評価されている現状だった。中には読者数400人。毎日の閲覧数は2万超え。そうした陳腐なブログで多額のお金を得ている人さえいた。


悔しかった。『熱量のある文章は評価されるべき』と考えている自分にとっては理想を打ち砕くというか、傷口に塩を塗られる思いだった。実際、今も涙で瞳を濡らした状態で書いている。悔しい。本当に悔しい。


「じゃああなたも同じことをして閲覧数を増やせばいいじゃないか」と思う人もいるだろうが、僕は絶対にそれはしたくなかった。そんな小さなプライドはかなぐり捨ててしまえばいいと自分でも思うのだが、これだけは譲れない。どうしても嫌なのだ。


2年間も陽の目を見ないブログ運営をしている根本的な原因は言うまでもなく、僕が一般的な成功に至るプロセスを実践していないからだ。いや、実践していないというより『実践したくない』。自分を曲げたくない。しっかりと評価されたい……。そんな思いが自分を苦しめ、底辺ブロガーたらしめている。

 

自分のブログがブログ向きではない

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ブログにはブログなりの書き方というものがある。


ブログでは小説やエッセイなどのような、凝り固まった表現は使うべきでないとされている。そのため話し言葉やくだけた表現が主に使われ、果ては文章を書かず画像のみで進行するなど、そのやり方は多種多様だ。


思い返せば開始当初、『キタガワのブログ』は徹底しておちゃらけた文章を書いていた。例えば今で言う「爆音で鳴るギター」という表現は「近所の犬が驚いて逃げ出すギター」などと書いていたし、「妖艶な仕草」は「出会って3秒でセックス出来そうな仕草」としていた。


(ちなみに当時最も読まれていた文章がこれ。今とはかなり違うことが分かる)


そんな表現方法を大きく転換したのは、僕が本格的に音楽のライターを目指そうと決意した頃からだった。僕はかねてより音楽雑誌を発行する会社である『某紙』から仕事を受けることを目標として記事を書いていたのだが、ある時期から『おちゃらけた表現を書き続けることはマイナスだろうな』と思うようになった。


当然の如く音楽雑誌は真面目な雑誌のため、ふざけた表現は絶対使ってはならない。そのためもしも最終目標を音楽雑誌に定めるとするならば、おちゃらけた表現でなく、真面目な文章を常日頃から書き続ける必要があると思ったのだ。


そしてある日を境に、僕はブログ用のおちゃらけた表現を使うのをぱったりやめた。ブログ内でも徹底して真面目に書き、いざ投稿用の音楽記事を書く際でもいつでも臨めるようにした。


すると必然的にアクセス数はみるみる減少した。それどころか、今現在でも僕のブログ内で定期的に読まれている記事の大半はそんな数年前のおちゃらけた記事で、『今の僕』の記事にはほとんど見向きもされていない。たまに「1週間前に書いた記事のアクセス数を見てみようかな」と思っても、1週間で5回しか読まれていなかったりするわけだ。


そうなると「この書き方はブログには向いてないんだな」と思うと同時に「僕の主戦場はブログではないんだな」とグサリと来る。

 

結果が出ていないことのストレス

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以前、有名なブロガーの方が語っていたのを見たことがある。「1年以上ブログをやっていて閲覧数が1日あたり1000に届かない人は辞めた方がいい」と。


僕は2年間ブログをやっており、閲覧数は1日に700あればいい方である。そのためそのブロガーには開口一番「辞めちまえ!」と叫ばれてもぐうの音も出ない。ブロガー界の下の下。地べたを這いずり回るモンスター並みのしぶとさで何とか息をしている。それが僕だ。


同い年の友人らは安定した職に就き、貯金を貯めている。中にはマイカーを購入したり、結婚や出産を経験し、幸せな生活を送っている人も多い。


対して僕はどうだろう。正社員を僅か半年で退職し、人間関係に絶望した結果、今はフリーター生活をしながらひたすら文章を書く毎日だ。これが底辺と言わずして何と言おうか。


来月にはまた歳を取る。人間関係の悪化で両手の指に収まらないほどバイトをクビになったことからも、再就職も絶望的だろう。「まだ若いから大丈夫」と言われた時期はとうに過ぎ去った。来月に待っているのは一般的に言われる『夢を追うための最後のボーダーライン』だ。早く何とかしなければという思いばかりが頭を支配するものの、結果は出ない。焦れば焦るほど、筆も乗らない。


そしてクソッタレな文章で評価されるブロガーを見て、つくづく僕は哀れだなと思うわけだ。

 

最後に

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ここまでだらだらと書き殴ってきたが、ここで声を大にして言いたいのは「僕はブログを辞めるわけではない」ということだ。もちろんこれからもブログは書き続けるし、何なら一生続けると思う。


そう。ブログ開始当初から僕は『ブロガー』として生計を立てるつもりはほぼほぼなかった。では今の僕は何を目標にしているのかと言えば、少し前にも書いたが『音楽の文章で評価されること』だ。


実はブログ開始と同時進行で始めていたとある投稿活動があるのだが、それがようやく花開きつつあるのだ。何度か賞もいただき、これを続ければ奇跡が起こるのではないかと光明が差した思いだ。


友人らの中には『キタガワ=ブロガー』という見方をする人もいるが、そうではない。僕の夢は2年前から一貫して『音楽ライター』なのだ。あくまでもブログはそのためのステップで、いわば踏み台だ。もちろん「ブログで有名になるのもいいかも」というスケベ心があったことは否めないが、とにかく。ブログは趣味。その先にあるのが音楽ライターとしての活動だ。


そのため今後も最も力を注ぐものを投稿活動、そしてそのための修行兼日常的執筆活動として、ブログ運営を行っていく。今回の長々とした記事は、その決意表明と言うべきものとでも捉えてほしい。


「もしかしたらブロガーとして食べていけるかも……」という思いがなくなった今、幾分と楽になった。今後は『キタガワのブログ』に過度な期待と夢を見すぎないように心掛け、肩肘張らないブログ運営を心掛けていきたいと思う。


……先日とある読者の方から、とある記事について「この表現は間違っています」との指摘をいただいた。おそらく昔の自分であればその言葉に悩んだだろうが、そのときは感謝の気持ちで一杯だった。


なぜならその人は、僕の記事をしっかり読んでくれていたから。その上で事実と異なる部分を指摘し、間違っている部分は間違っていると、ある種の応援の気持ちを込め、勇気を持って書いてくれたのだ。


今僕のブログを読んでくれている人は、僕が嫌悪する『どうでもいいブログ』の記事に群がる人たちとは違う。純度100%の心で応援し、時には背中を押してくれる。そんな人たちだ。悪どい方法でブロガーとして有名になるより、何倍も幸せだ。


既に退路は絶たれている。応援してくれる人たちのためにも、やるしかない。僕は僕なりのやり方で夢を掴むし、それは誰にも邪魔させない。


時折またこうしたネガティブな記事を書くかもしれないが、どうかお許し願いたい。心配は無用。なぜなら僕は『底辺ブロガー』なのだから。

映画『新聞記者』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。


上映が終わった後、僕はしばらく映画館の席から立てないでいた。一緒に鑑賞した両親から「帰ろうか」と促されるまで、僕がずっと座っていたことすら認識できないほどには呆然としていた。


今は映画の鑑賞から数時間が経過した状態でこの記事を書いているが、現在も「何かとんでもないものを観てしまった気がする」という思いが常に頭を支配している。

 

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最初に書いてしまうが、この『新聞記者』という映画は大問題作である。間違いなく今年度の映画の中ではダントツ。それどころか、ここ数年の邦洋全て引っくるめた映画の中でも一二を争うレベルの問題作だ。


今回ダブル主人公を演じた松坂桃李、シム・ウンギョンの2名は特にだが、おそらく今後映画業界で、この『新聞記者』がきっかけである種起用しづらい存在になるのではないかとも危惧してしまう。


では一体何が問題作たらしめているのかと言うと、その正体はジャスト2時間に渡って展開されるストーリー展開にある。


この映画で語られるストーリーはズバリ『日本の国そのもの』である。


松坂は内閣府に務める官房。内閣府の人間というのは、国に最も近いとされている存在だ。そのため書類作成然り、機密文書のファイリング然り、その全ての業務は『お国に尽くす』という忠誠のもと行われる。


対するウンギョンは主に政治家を担当する新聞記者である。汚職問題やレイプ疑惑、浮気調査や記者会見での発言……。スキャンダルがあれば手広く取材してすっぱ抜く、いわば松坂桃李とは真逆の立場にいる人間と言える。


そんな中発生するひとつの事件。松坂は内閣府に暗部がいることを確信するも、『自身の正義』と『国』との狭間で葛藤する。そしてウンギョンも同様に『自身のジャーナリスト精神』と『上の指示』に悩んでいた。


悩んだ末、二人は日本国を根底から揺るがしかねない、ある一大決心を極秘に始動させる……。そんなストーリーだ。


実際この映画は公開されるや否や瞬く間に話題となり、映画評論サイトでは評価数がとてつもない数に達した。レビューに至っては作品の良し悪しに関わることのみならず、左翼と右翼が入り乱れる賛否両論の大激論が巻き起こる事態にも発展した。


だからこそこの映画は『問題作』なのだ。今までどのメディア(特にニュース番組)も語ってこなかったタブーに鋭く斬り込み、今の日本の現状を純度100%で表している。とにもかくにも、期日前投票真っ只中の時期にこの映画が公開されたことは、良くも悪くも大きな意味を持つだろうと思う。


もしもこの映画が日本アカデミー賞にノミネートされたら、何かが変わるかもしれない。そう思ってしまう作品だ。あなたの目にはこの映画はどう映るだろう。名作か、それともクソ映画か。


いずれにしても、観てみなければ分からない。この2019年最大の衝撃は、ぜひ劇場で体験してほしいと切に願う。

 

ストーリー★★★★★
コメディー☆☆☆☆☆
配役★★★★☆
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★☆☆

総合評価★★★★★
(2019年公開。映画.com平均評価・3.8点)

 


映画『新聞記者』予告編

映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。


人間とは不思議なもので、当たり障りのない普通の日々を過ごしていると月イチほどのペースで突然「これやりたいな」という衝動に駆られることがある。


ちなみに僕の場合は主に『納豆食べたい欲』である。その欲求はとてつもなく大きく、他のやるべきことを全て無視してでも「今すぐにやりたい。いや、やらねばならぬ」と思ってしまい、気付いた頃には時既に遅し。目の前には消費できるはずもない大量の納豆のパックが並べられ「何で俺こんなに買ったん」と後悔することがしばしばある。


欲求といっても一過性のため、一度欲求を満たしてしまえばそれで終わりだ。しかし納豆はそうはいかない。1パックほど食べて「もういいや」となった後も、残り5パックも残る納豆地獄が待っているからだ。そして消費期限当日になると自暴自棄になり、5パックを全てぶちまけた『納豆納豆納豆納豆納豆ごはん』を食べながら「もう納豆は食わねえ」と心に誓うのだ。


閑話休題。


さて、僕の中で定期的に訪れる欲求のひとつが『納豆食べたい欲』だとするならば、それとはベクトルの異なる欲求というのも存在する。それこそが本題に繋がる『ゾンビ映画観たい欲求』である。

 

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今回鑑賞した『ショーン・オブ・ザ・デッド』は、そんな欲求に支配された僕がシュババとTSUTAYAに赴き、光の速さでレンタルした逸品である。聞いたことのないタイトルではあったが、とりあえず「ゾンビ映画のコーナーで表表紙で陳列されていたから面白いだろう」という、謎の評価基準のもと選んだ。


鑑賞しながら抱いた感想は「コメディ映画かよ」だった。ゾンビ映画ではあるものの、笑いとシリアスの比率は普通のゾンビ映画とは完全に真逆。全編通して笑えない場面を見付けることの方が難しいという、とち狂ったおバカ映画だった。


もちろん『スクリーム』や『13日の金曜日』を彷彿とさせるお決まりのシーン(角を曲がったら誰かがいる、仲間のひとりが単独行動をするなど)もあるにはあるが、基本的には笑いに転じるため予想ができない。


かと思えば全員で団結したり、終盤ではウルっとくるシーンもあり、総合的には非常に高いレベルでまとまっているゾンビ映画という印象を受けた。


ゾンビ映画は世界各国で作られてはいるものの、話の進行はどれも似通ったものになりがちである。そんな中で『ショーン・オブ・ザ・デッド』はオリジナリティー溢れる作りで、おそらくは世界中どこにもないゾンビ・コメディという新たなジャンルを確立したのだ。その点は称賛に値するし、純粋に面白い試みだとも思った。


詳しくはネタバレになるので書かないが、ラストのワンシーンは「多分こうなるよね」という一般ピープルの予想を大きく裏切る形で終わる。今まで様々なゾンビ映画を観てきた自負はあるが、正直「やられた!」と思った一幕がそのラストである。気になった方はぜひ。


ストーリー★★★★☆
コメディー★★★★★
配役★★★☆☆
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★★☆

総合評価★★★★☆
(2004年公開。映画.com平均評価・3.7)

 


【ゾンビ】ショーンオブザデッド SHAUN OF THE DEAD 【ZOMBIE】

【ライブレポート】The Birthday『VIVIAN KILLERS TOUR 2019』@米子Aztic laughs

こんばんは、キタガワです。

 

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7月12日、米子laughsにて行われたThe Birthdayのワンマンライブ『VIVIAN KILLERS TOUR 2019』に参加した。


タイトルに冠されていることからも分かる通り、今回のツアーは3月20日に発売されたニューアルバム『VIVIAN KILLERS』を携えて行われるものだ。


かねてより「また来るぜ!と言ったバンドが二度と来ない」、「全国ツアーの文字を見ても心が踊らない」などとカレンダーや書籍で諦めに似た自虐が展開される山陰地方(島根と鳥取)に、毎年定期的に足を運んでくれているThe Birthday。もはや言うまでもなく日本ロックバンド界の重鎮である彼らが、こうして毎回遠方まで来てくれることには頭の下がる思いである。


夏が近付きつつあるといっても、まだまだ肌寒い時期。雨特有の匂いが鼻をくすぐる中、会場周辺は半袖のバンTを着た大勢のファンでごった返しており、10年以上に渡り最前線で活動を続けるThe Birthdayの根強い人気を改めて実感する。


会場内に足を踏み入れると、キャパシティ350人の小規模なライブハウスであるためか、そこには会場の外で待機していた人よりも更に多くの人で溢れている印象を受けた。ふと背後に目を向けれると、ステージ後方までビッシリの客入りだ。


ギターのトラブルにより、定時から少し遅れて暗転。クハラ(Dr)にヒライ(Ba)、フジイ(Gt)、そしてサングラスをかけたチバ(Vo.Gt)がステージに降り立つと、怒号のような歓声に沸く場内。瞬間、中心から前方にかけての観客が二歩三歩とステージに迫ったためにぐいっと体が押され、気付けばステージ前方まで押しやられていた。演奏開始前にも関わらず、完全なる寿司詰め状態である。


ギャリギャリのギターリフと共に始まった1曲目は『LOVE IN THE SKY WITH DOROTHY』。


『LOVE IN THE SKY WITH DOROTHY』はニューアルバム『VIVIAN KILLERS』において、最も直接的なパンクロックとして鳴っていた楽曲だ。CD音源の時点でも自然に体が動いてしまう魅力に溢れていたのだが、弦を力強くピッキングすることで奏でられる生音はやはり格別。


中でもサビ部分で歌われる「LOVE IN THE SKY WITH DOROTHY」のリフレインは名状しがたい盛り上がりを見せ、集まった観客は一様に、歌うというよりも叫ぶように熱唱していた。

 


The Birthday - アルバム「VIVIAN KILLERS」全曲試聴


今回のライブは『VIVIAN KILLERS』全収録曲に加え、長年ライブで披露されてきた楽曲、更には過去のシングルのB面曲といった、昨今ほとんど演奏されないレア曲も散りばめた攻めのセットリストとなった。


昨年のツアーでも同様にオリジナリティー溢れるセットリストではあったものの、昨年のツアーと今回のツアーでの楽曲の被りはほとんどなし。各地のフェスでも新曲をメインにプレイするなど、一貫して『今が一番格好いい』という姿勢を貫くThe Birthdayらしい試みと言える。


その後は間髪入れずに『POP CORN』に『THIRSTY BLUE HEAVEN』、そして過去に発売されたシングルのB面に位置していた『FUGITIVE』、『VICIOUS』と続いていく。


通常アルバムのリリースツアーというと、アルバム全体を聴き込んでいる人とそうでない人の差が顕著に出る。そのため会場内の盛り上がりにムラがあることも多いのだが、イントロが流れた瞬間に大歓声と共に体を動かす観客を見ていると、まるで「結成当初から何度も演奏されてきたのでは?」と錯覚するほど、十分に馴染んでいた。


ここまでまともなMCは一切なし。曲間も僅かなチューニングを行うのみで、メンバーのひとりとして口を開くことはなかったのだが、ここでチバがマイクに届くか届かないかの声で「米子城跡ってあんじゃん……」とボソリ。


「知ってる!」や「チバ行ったの!?」の声が挙がるものの「まあ興味ないけど……」と淡白な返答が。そして次の瞬間には何事もなかったかのように『青空』に移行するチバはいつも以上に余裕綽々で、肩肘張らないクールさに逆に痺れてしまった。

 


The Birthday「青空」MUSIC VIDEO


『DISTORTION』、『THE ANSWER』と大盛り上がりでライブは続いていくのだが、チバがハンドマイクで歌う『DIABLO~HASHIKA~』はこの日のハイライトのひとつだった。


〈なぁベイビーディアブロ お前の生まれた星座はさぁ〉

〈今週最悪らしいぜ だったら俺と海にでも行こうよ〉


客席に身を乗り出し、まるで語りかけるように言葉を紡いでいくチバ。独特のしゃがれ声と共に繰り出されるロックスター然とした振る舞いは魅力たっぷりで、一挙手一投足に目が離せない。


後半では演奏を止め「さあ何すっかねえ……」と考え込むライブならではの場面も。しばらく唸っていたチバだが、突然パッと思い付いたように「米子城跡でも行くかぁ」と子供っぽい笑いを浮かべて呟いたチバに、客席からは大きな歓声が上がった。


ここからライブは後半戦に突入。マラカスを振りながら陽気に歌い上げる『KISS ME MAGGIE』、コール&レスポンスで熱量を底上げした『Dusty Boy Dusty Girl』、後半が長尺のジャム・セッションと化した『星降る夜に』など、ニューアルバムに収録された楽曲を惜しみ無く披露していく。


『BABY YOU CAN』終了後、「米子の夏はどこ行くの?」とおもむろに語り始めるチバ。客席からフェスやプール、夏祭りといった単語が挙げられる中、海に興味を示したチバは「海か。まあ近えもんな」とボソリ。そこから始まった楽曲は『SUMMER NIGHT』だ。


〈いつかのサマーナイト 誰かのサマーナイト〉

〈どっかのサマーナイト LOVE YOU LOVIN'YOU〉


夏をテーマにした楽曲ということからも分かる通り、今までのThe Birthdayにはなかった、爽やかなギターサウンドを軸に展開するロックンロール。チバは時折「米子のサマーナイト」、「鳥取サマーナイト」と歌詞を変えて歌い、一夜限りの『SUMMER NIGHT』を作り出していた。


ラストはダメ押しの『FLOWER』から、シングルカットされたことでも話題となった『OH BABY!』でシメ。

 


The Birthday –「OH BABY!」Music Video (full size)


クハラが頭上からスティックを振り下ろした瞬間、会場内に爆音が轟いた。もちろん今までの音もかなりの音量だったが、ここに来てもう一回り上を行くギターの音色には驚きだ。そんな爆音と、全てを出し尽くすようなチバのしゃがれ声が渾然一体となり、会場内はすぐさま灼熱地獄に。


中でもサビ部分で幾度も繰り返される「OH BABY」のフレーズに至っては、チバの声量を上回るほどの大合唱に包まれた。ステージ前方は完全なる押しくらまんじゅう状態。果てはダイバーも出現するほどの盛り上がりで、完全燃焼で終幕した。


興奮が収まらないのか、アンコールを求める最中もメンバーの名前や言葉にならない言葉が口々に叫ばれるカオス状態の中、再びメンバーがステージに舞い戻る。チバの手には海外産のビール、バドワイザーの350ml缶が握られている。


バドワイザーを一気に胃に流し込み、ギターを携えたチバ。アンコール1曲目は屈指のライブアンセムである『なぜか今日は』だ。

 


The Birthday / なぜか今日は(teaser)


前述したように、今回のツアーはニューアルバム『VIVIAN KILLERS』のリリースを記念して行われたものだ。そのため大半は必然的にそのアルバムから演奏され、今回演奏された『DISTORTION』や『SUMMER NIGHT』といった既存曲に関しても、いずれもシングルのB面に位置していたり数年ぶりに披露されるものが多く、観客の誰しもが「これだ!」と腕を天に突き上げるような楽曲は少なかったように思う。


そんな焦らしに焦らされた観客に対し、このタイミングでの『なぜか今日は』は悪魔的である。観客は四方八方から待ってましたとばかりに次々と前方へ進出し、気付けば特大のモッシュピットが出来上がっていた。


アンコール2曲目の『READY STEADY GO』も大盛り上がりで終了し、メンバーがステージを去っていく。しかし通常どのアーティストのライブでもアンコールが終わった時点で客電が付き、間接的に退出を促されるのだが、なぜかこの段階においてもまだ客電が付かない。


帰宅するつもりで客席後方へ移動していたファンもこの光景を受け、瞬時に踵を返し二度目のアンコールを願う拍手を送る。するとやはりと言うべきか、三たびメンバーがステージへ。ちなみにチバは2本目のバドワイザーを握っており、もう片方の手にはタバコ。タバコの煙を燻らせながら、僅かな休息へ。


またもやバドワイザーをぐいっとあおり、吸殻をぐしゃっと灰皿に押し付けてのダブルアンコール。1曲目は『くそったれの世界』である。

 


The Birthday - くそったれの世界 (Short Ver.)


〈とんでもない歌が 鳴り響く予感がする〉

〈そんな朝が来て 俺〉


短時間にビールを2本空けたからか、はたまたライブ中大量のドーパミンが分泌されたからか。どちらの理由なのかは分からないが、チバは頭をグラグラと動かしながら時折笑みを浮かべており、少しばかり酔っている様子。


しかしながら歌唱は非常に安定しており、力強い歌声を響かせていた。更にサビの一部分に関してはマイクを客席に向けて歌わせるなど、The Birthdayと観客のある種の信頼感と一体感を覚えた一幕でもあった。


正真正銘のラストナンバーとして鳴らされた楽曲は、ニューアルバム『VIVIAN KILLERS』内で今までに演奏されなかった最後の1曲である『DISKO』だった。


「このくそメタルババァがよ」から始まる直接的なパンクロック。僅かに暴れ足りないはずの観客には、まさに火に油である。言葉には出さないものの、チバが指をクイっと動かす仕草は「もっと来れるだろ」と焚き付けるようでもあり、それに呼応した観客たちはまるでピラニアに餌を与えたような暴れっぷりで、最終的にはこれ以上ない大団円で幕を閉じた。


開演前から分かりきってはいたが、やはり彼らのライブは圧巻だった。


ここ数年で日本の音楽シーンは大きく変化した。音楽チャートは有名アイドルやその人気にあやかった姉妹グループが上位を独占。片やロックバンドにおいてもSNS上でバズらせることで人気を得ようとしたり、他のバンドにはないエンターテインメント性に焦点を当てたバンドが増えてきた。


悲しいかな、音楽は飽和しきっている。そのため今の時代はかつてのようにある意味無骨な『純粋に音楽の力だけで勝負する』というやり方は通用しないのかもしれない。


そんな中、The Birthdayは数年前から全く自分を曲げない硬派なバンドだ。打ち込みは使用せず生楽器のみ。毎日何度も呟くようなSNS上での告知もなし。決して大衆に媚びず我が道を行くバンド。それこそがThe Birthdayである。


そして表立って口にはしないものの、The Birthdayとそんな彼らに心酔するファンは、何よりも強い絆で結ばれているのだと今回のライブで強く実感した。


今年メンバーの3人が50歳を超えたが、ますます高いハードルを更新し続けるThe Birthday。今後もライブがあれば足しげく通い『今』を体験したいと思う稀有なバンドだ。次回のライブはまた今回のライブと大きく異なるものになるだろう。次なるツアーの開催は来年か、はたまた再来年か。いつになるかは分からないが、必ず参加したいと思う。


なぜなら彼らは、『今』が一番格好良いのだから。

 

【The Birthday@米子 セットリスト】
LOVE IN THE SKY WITH DOROTHY
POP CORN
THIRSTY BLUE HEAVEN
FUGITIVE
VICIOUS
青空
DISTORTION
THE ANSWER
DIABLO~HASHIKA~
KISS ME MAGGIE
Dusty Boy Dusty Girl
星降る夜に
BABY YOU CAN
SUMMER NIGHT
FLOWER
OH BABY!

[アンコール]
なぜか今日は
READY STEADY GO

[ダブルアンコール]
くそったれの世界
DISKO

途中でテンポが変わる曲5選

こんばんは、キタガワです。


思えばこの数十年間の間に、音楽業界を取り巻く環境は大きく変わった。J-POPとロックが『音楽の主流』と言われていたのは今や遥か昔。数年前にはEDMやアニソンが頭角を現し、そして2019年現在では完全なる飽和状態に陥っている。


もはや次世代のスターの誕生はほぼ皆無と言っていい。アメリカの音楽シーンに至っては口々に「ロックンロールは死んだ」と揶揄され、代わりに現政権や人種差別に対してリリックをぶち撒けるヒップホップが台頭しつつある。


今後も音楽はどんどん多様化し、新たな環境へと突入していくことだろう。


さて、当ブログではそんな時代と逆行するかの如く、独自の視点から様々なジャンル(パンクやサイケデリックロックなど)の音楽を紹介してきた。記事自体のアクセス数は相変わらず両手で数えきれるほどなので満足の行く結果ではないのだが、後悔はしていない。


……というわけで、今回紹介するのは更にニッチな層にしか刺さらない音楽。その名も『途中でテンポが変わる曲』である。


転調とは『楽曲の途中で他の調べに変えること』を指す。試しにあなたの好きな何かしらの音楽をかけ、リズムに合わせて指でトントンとリズムをとってみてほしい。おそらく大半の楽曲は全く同じテンポのまま進行し、そして曲が終わるはずだ。


対してテンポが変わる曲というのは指を動かすリズムが各所で変化し、最終的には『最初に行ったリズムのトントン』とは違う、ごちゃごちゃの拍になる。この転調は主にミュージカル音楽やブラスバンドで使われ、楽曲の一種のスパイス的役割を担っているのだが、いわゆる大衆音楽の中で使われる機会はほとんどない。


だが逆に言えば、存在しないわけでもないのだ。今回は個人的に厳選した転調を多用する曲を紹介しつつ、そのクレイジーな魅力に迫っていこう。

 

 

草木/長谷川白紙

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インターネット発の謎のミュージシャン、長谷川白紙。現役音大生である彼はなんと弱冠20歳で、昨年リリースされたミニアルバム『草木萌動』で華々しくデビューを飾った注目株だ。


彼の音楽の特徴は、膨大な転調数を活かしたトリップ感。まずは下記の『草木』のMVを観ていただきたいのだが、はっきり言って狂っている。通常ミュージシャンとは音楽を一聴しただけで誰に影響を受けているのか、何を参考にしているかが薄ぼんやりと推測出来るものだが、彼の音楽はそうした推測が不可能なほどオリジナリティー全開だ。


まるで脳の外側だけを使って生み出したような楽曲の数々だが、官能的な響きを持って襲い掛かってくるのだから不思議だ。お笑い芸人で言うところのくっきーやハリウッドザコシショウのような「何でこんなこと思い付いたんだよ」と感じる人は何人かいるが、彼もその類い。


おそらくは生まれ持ってのアーティスティックな才能の持ち主で、直感的に『音楽』を作った結果がこの楽曲なのだろう。まだまだ知名度は低い長谷川白紙だが、彼を取り巻く環境は、このグルグル回るトリップ感と同じく今後目まぐるしく変わっていくはずだ。


まさに新世代の『今』知っておくべきアーティストと言える。

 


長谷川白紙 - 草木

 

 

Rave-up Tonight/Fear, and Loathing in Las Vegas

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暴れたい盛りのライブキッズたちを虜にする、現代ロックシーンのダンス担当。彼らのスクリーモとピコピコ音を合わせた独自のサウンドは『ピコリーモ』とも呼ばれ、唯一無二の世界観を形成している。


彼らのライブで必ずセットリスト入りするのが、この『Rave-up Tonight』である。オートチューンとデスボイスが入り交じる展開も素晴らしいが、特筆すべきはその曲調。サビが何個もごった煮されたような耳馴染みの良いサウンドの連続で、鼓膜はビリビリ刺激される。


『Rave-up Tonight』のみならず、彼らの楽曲は基本的に大量の転調を用いている。しかもそれらが確固たる存在感を持って鳴り響くため、1曲を聴くというより複数の曲を一気に聴いている感覚に陥ってしまう。


今夏からはメンバーを新たに、待望の全国ツアーも決定。全国各地にピコリーモサウンドを轟かせてくれるのはもちろん、次なるハイテンポな楽曲の発表にも期待したいところ。

 


[PV]Rave-up Tonight/Fear, and Loathing in Las Vegas

 

 

めっちゃかわいいうた/ネクライトーキー

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ツアーは全会場ソールドアウト、サーキットイベントでは入場規制と、今ノリにノッている関西発の5人組。


全員で「ジャン!」と鳴らす一幕や、各所の遊び心がふんだんに散りばめられたネクライトーキーの楽曲の中でも、格段に盛り上がるのがこの『めっちゃかわいいうた』である。


最初に「かわいいだけの歌になればいいな」と言いつつもサビでは「どつき回せ鉄で殴れ」だの「紅生姜をぶつけてやれ」だの、可愛さの欠片もない歌詞が並ぶこの曲。キャッチーなメロとハム太郎とも称されるボーカルもっさの歌声でもって、とてつもない破壊力を秘めている。


注目ポイントは曲の後半で、なんと一気にスピードが1.5倍増しに。ここまで来るともう何が何だか分からないが、この意味の分からなさに体を委ねるのもネクライトーキーの面白さ。全力疾走でバン!と後腐れなく終わるのも魅力的だ。


なお某動画サイトに挙げられている『許せ!服部』にも顕著だが、ライブにおいては大幅な改良が加えられ、より肉体的なパフォーマンスを見せる。機会があればぜひライブへ。

 


ネクライトーキーMV「めっちゃかわいいうた」

 

 

PALAMA・JIPANG/八十八ヶ所巡礼

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プログレッシブロックの隠れた立役者、八十八ヶ所巡礼。その類い稀なるバカテク演奏と独創性の高いサウンドは、ファンならずとも「何だこりゃあ!」とたまげる代物。


『PALAMA・JIPANG』は最近こそあまり披露されないものの、ファンの間では人気の高いアッパーなナンバー。頭のおかしいレベルの早引きを連発するギターとこれまた難易度の高い運指で翻弄するベース、そして全体重をかけて振り下ろすドラムのスリーピースなのだが、密度が濃すぎて5人に見えるというか何というか、とにかく情報量が多いのだ。


個人的にライブに3度ほど足を運んだことがあるのだが、あの音源は打ち込みを使用しているわけでも何でもなく、本当に彼らの指先で奏でられていた。それこそ布袋寅泰やMIYAVI、押尾コータローといった多くの有名なギタリストはいるが、ことギターに関してはこのバンドのギタリストが秀でている気がしてならない。


ちなみにMVでは展開が徹頭徹尾意味不明で、問題の転調シーンに関しては『キャベツを一心不乱に切りまくる』という謎仕様。これからも八十八ヶ所巡礼は地下ロックシーンにおいて、絶大な人気を誇っていくことだろう。

 


八十八ヶ所巡礼「PALAMA・JIPANG」

 

 

HIMITSU GIRL'S TOP SECRET/ZAZEN BOYS

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今年NUMBER GIRLの再結成が発表され、ツイッター上で大バズを引き起こしたが、その発起人である向井秀徳率いるもうひとつのバンドがZAZEN BOYSだ。


「ポテサラが食いてえ」や「陸軍中野学校予備校理事長村田英雄」といった謎の歌詞や、ライブ中ハイボールをこさえてチビチビ飲むなど、肩肘張らないゆるーいスタイルで曲を展開していくのがZAZENの魅力。


そんなZAZENの楽曲『HIMITSU GIRL'S TOP SECRET』は、変拍子とギャリギャリと研ぎ澄まされたギターが襲い来る怪曲だ。不協和音に限りなく近いバンドアンサンブルからの絶頂は、日本の他のバンドでは味わえない魅力がある。


PCの打ち込みやサポートを入れつつ幅広い音像で楽曲を製作するバンドが多い中、彼らのような4人でドカンと鳴らすバンドは今や少数派である。気になった人はアルバムを買うべきだ。もしも「どれがオススメ?」と問われれば、「全部狂ってるからどれでもいい。とにかく聴け」と答えるだろう。

 


Zazen Boys - Himitsu Girl's Top Secret

 

 

……さて、いかがだったろうか。


ご存じの通り、今の音楽シーンはキャッチーで口ずさみやすいポップスが台頭している。例えばタイアップ重視の話題性のある楽曲やアイドルソング。更にはSNSをバズらせて音楽以外の部分でフィーチャーされるなど、訳が分からない地獄絵図だ。人前で言うつもりはないが、僕個人としては今の音楽シーンは大嫌いである。


それらを踏まえての正直な話をしてしまうと、おそらくは今回の記事を読んで「このバンドの曲最高!」と声高に叫ぶ人はほとんどいないだろうと思う。なぜならいわゆる『流行りの音楽』とは、全くもって違うから。


しかし僕は今回の記事を執筆したことに、大きな意義があると思っている。音楽というのは『入り』が大事だ。友人がカラオケで歌った歌、YouTubeのオススメで出てきた歌、CDのジャケ、SNS……。あなたにとって鮮烈な『入り』を経験すれば後の好き嫌いの判断は委ねられるが、逆に『入り』を経験しなければ何も始まらない。


思い返してみてほしい。米津玄師もU.S.A.も、あいみょんもそうだったはずだ。何かしらのきっかけがあって曲を聴き、そこから何度も触れることでいつの間にか歌えるようになり、そのアーティストの他の作品に触れ、好きになっていったはずなのだ。


今回の記事……というより当ブログの音楽紹介記事は、全てそうした『新たな音楽との出会いのワンシーン』の意味合いが込められている。


「転調?何それ嫌い」と思ってもらっても結構だ。この記事がその中の1%の人にでも刺されば、書いた甲斐があったというものである。


それでは、良い音楽人生を。